トインビー史観の集大成ともいえる『図説 歴史の研究』(学習研究社)。その「訳者あとがき」で、フランス文学者の桑原武夫は次のように記している。
「1956年(=昭和31年)、京都で学者たちとの会合がもたれたとき、トインビーが当時目新しかったテープレコーダーを廻しつつ、長時間疲れを見せず意見交換をしたのは壮観であったが、そのさい彼がもっとも熱心に質問をくりかえしたのは大乗仏教についてであった」
ちなみに桑原は、この一文を書いた翌年、池田とフランス作家アンドレ・マルローの対談集『人間革命と人間の条件』の解説文を執筆。「これは二人の大実践者の対話である」と高く評価している。
トインビーは晩年まで、「世界宗教」の価値を探り続けた。「西洋一辺倒」の歴史観を排して、「地球そのもの」を視野に入れた彼は、アジア伝来の大乗仏教に注目せざるを得なかった。
そして、トインビーと桑原が語り合ったこの年。28歳の池田は、戸田の指揮のもと、第4章で触れた「大阪の戦い」を始め、まさに大乗仏教の可能性を開くため、粉骨砕身の日々を過ごしていた。
それから11年後の1967年(昭和42年)。トインビーは三度目の来日を果たす。この来日が、池田と出会う”序曲”となった。のちにトインビーが満を持して、池田に対談を要請した書簡(1969年)は、この時の思い出から書き起こされている。
「1967年に私(トインビー)が日本を訪れた時、日本の人達が創価学会について、そして貴方(池田)御自身のことについて、私に話してくれました」
哲学者の梅原猛。当時のトインビーとの出会いを述懐している。
「私が今は亡きトインビーと会った時、トインビーは創価学会について強い関心を表明していた・・・・今のキリスト教にはとてもこんなエネルギーが残っていない。どうして仏教にはこのようなエネルギーが残っているのか、というのがトインビーの疑問であった」(『世界に拓く関西創価学会』1982年刊)
大乗仏教の精髄である法華経を根底にした、日本最大の宗教団体のリーダー。その大乗仏教の可能性を探っていた歴史学者。二人が出会うのは必然だった、とも言えよう。