大峯哲雄(沖縄大学名誉教授)生物地理学の権威であり公害研究の先駆者である。
大峯は「小説『人間革命』の冒頭からは、池田会長の反戦への切望、゛平和への覚悟゛を感じる」と述べている。
昭和20年、大峯は13歳の少年兵だった。沖縄本島北部の山中にいた。
沖縄の人工は約59万人。そこに、55万人の米軍兵士、1500の艦船が押し寄せた。
「4人に1人」が命を奪われた。
軍人よりも住民の犠牲者がはるかに多かった。猛爆撃により、地形まで変わった。1ヶ月で680万発の砲弾が打ち込まれた。不発弾を完全に処理するには、あと50年かかると言われている。
大峯は、兵達と草をかき分け、山をさまよい米兵から逃げ回った。13歳にして地獄を見た。
銃撃、爆発、病、飢え。手榴弾による強いられた「集団自決」が続発した。
南部戦跡を訪れた池田会長は、「ひめゆりの塔」で「健児之塔」で、題目を唱えた。池田会長は、題目三唱の後、「もう二度と、ここで戦争は起こさせません!沖縄の国土を我々が幸福の楽土に変えてみせます!」
池田会長は、再び題目三唱し「そこに生きる人の境涯が変われば、国土は変わる。
最も悲惨な戦場となったこの沖縄を、最も幸福な社会へと転じていくのが私達の戦いだ」と語った。
「最も苦しんだ人が、最も幸福になる権利がある」この池田会長の信条は、一貫して変わらない。
師匠の戸田城聖は、愛弟子に呼びかけた。
「私はこの世から、一切の不幸を悲惨をなくしたい。これを広宣流布という。どうだ、一緒にやるか!」
この言葉のままに、生涯を駆け抜けた風雲児・戸田。その伝記小説『人間革命』を書き始める場所を、池田会長は決めていた。
沖縄創価学会の歴史は、昭和29年に始まる。
「法華経」が、うぐいすの鳴き声に似ている事から「鳥を拝む者」と悪口を言われた。
「本土を護る」という大義名分で、捨て石にされた沖縄。
「内地からきたヤマト(本土)神」と言われ、布教は悪戦苦闘を極めた。
池田会長は、沖縄初訪問の際、沖縄婦人部へ和歌を贈った。
「妙法の
宝を胸に
今日も又
人のためにと
君ら舞いゆけ」
「人のために」
この一言を胸に、沖縄婦人部は沖縄全土を歩き抜いた。
沖縄の一粒種、福見西は「池田会長ほど、うちなんちゅう(沖縄の人)から好かれた、やまとんちゅう(本土の人)はいませんよ」と語った。