連日放送されている、静岡の保育園の事故。
まずは亡くなられた千奈ちゃんのご冥福を心からお祈りします。
大事なわが子を意図せず亡くされたご家族様のご心中がいかばかりのものか。
ご家族様とは面識すらない私でも、そのお気持ちは察するに余りあります。
それなのに…
あの会見は何なんでしょうか?
人の命を一つなくしているというのに会見で「笑える」園長のあの図太さ。
会見に「疲れた」と軽く言えてしまう副園長の軽率さ。
その二つを取り上げるだけでも「事の重大さ」が解っていないと思えてしまいます。
「不慣れだから」「派遣の女性に任せていたから」「園長が確認するものだと思っていたから」
責任の擦り付け合いに反吐が出る。
「誰か」じゃなく「自分」が責任を持て。それが「人の命を預かる」施設の責務だろう。
百歩譲って園長が子供の一人一人の名前を覚えられないのはキラキラネームもあるこの時代、
仕方がないとしよう。(あくまでも百歩譲ってだぞ)
が、いつも世話しているはずの担任すらも、登園しているはずの子供がいるかいないかを見逃してしまうこと自体にこの園の怠慢さや問題があるのではないか?
「千奈ちゃんが登園していない」と聞いた担任が「おかしいね」で終わらせてしまうずさんさ。
園児が無事に降りたかどうか、来ているかどうかを確認するのも保育園の責任ではないのか?
たった6人の子達を見る余裕もないなら、保育園などやるべきではない。
確かに連絡なくお休みする子もいるだろう。電話して繋がらない親もいるかも知れない。
だからといって「そんな事例があったから」でなぁなぁにしていいものではない。
相手は子供だぞ。まして小さい子なら何をしでかすかわからない。
そんな状態の子を「見守る」のが保育園や幼稚園の役目ではないのか?
親に電話がつながらないならなぜ時間をおいてでも掛けなおさない?
潰れそうなうちの会社でさえ、従業員のタイムカードが押されていなくて、休みの連絡がなかったら、すぐさま確認して、いなければ家に電話をする。
大人相手でさえそういうシステムが構築されている。
「誰かがやってくれるから」の人任せな「放任主義」が招いた結果がこれだ。
人為的ミスではなくこれはこの園の従業員全員が起こした「殺人事件」なんだよ。
あのバスもそうだ。
せめて外から内側が見られるように、透過性の窓にすればまだ誰かが中に人が居ると気づいたかもしれない。なのにあのどうでもいいエヅラでバス全体を覆って見えなくして…
この園にはヒヤリハットとか安全意識などは存在しないのか?
あのどこか「他人事」のような会見もどうしても受け入れられない。
「このような痛ましい事故を起こしてしまったことは慙愧に耐えません。死んでお詫びいたします」くらいの気持ちであるとは到底思えない。
私は子供が好きな方ではないけれど、この事件に関しては心が痛くてたまらない。