昨日、久しぶりに空に掛かる虹を見た。

幼い頃、虹の麓に行けるかも知れないと歩いて歩いて…

しかしどれだけ歩いてもたどり着かず、結局諦めて家に帰った。

また、幼い頃、雲間から射す光を見て「神様が降りてくる」と感じた子供がいた。私のかけがえのない親友だ。


私の家も、親友の家も、家庭環境には恵まれなかった。

今で言う「毒親」が「毒家族」が私達を苦しめた。

その呪縛は歳を重ね、当時の親の年齢になった今でも身体のどこか、心のどこかを蝕んでいる。

「親の言う通り」「優等生」でいなければいけなかった私。

成績が下がれば原因を自分で考え、親に伝えなくてはならなかった。

校則違反はもちろん、制服の長さも身なりも「学校指定」のまま。風邪を引いた時以外は学校を休んだり、サボったりもしない。

親が周りに自慢できる「反抗期のない良い子」で育った私は「人に甘える」ことができなくなった。

そのさなか父親の自営業がうまく行かず借金に苦しむ生活を余儀なくされた私は、生活が傾き欲しいものもろくに買えなくなった。

当時は高利貸しが当たり前だったし、今と違って過払金救済制度などというものもなかったから、借金返済の電話も取り立てもしょっちゅう来ていた。

父親はそれでも必死に働いて借金を返していたが、身体を壊して働けなくなり破産。

私や母との別居後、最期は孤独死した。

過払金救済制度なんてものがあの時代に存在していたら、こうはなっていなかったかも知れない。

母は生活苦から精神を病みはじめ「社会不安症」を持つ「子依存」の「毒親」と化した。

私が就職したことにより、何とか食い繋ぐことはできるようになったがもちろん「贅沢は敵」の生活で、私の中には色々な「我慢」が日常化した。

それは数十年経った今でも続いている。


親友の家も複雑だった

モラハラ夫と姑との不仲に疲れた親友の母親がある日突然失踪した。

その日から「長女だから」という理由で、母親の代わりに学業と家事をこなさなくてはならなかった親友は、誰にも頼らず「何事も完璧にしっかりこなさないと」と思うようになった

彼女はその日から子どもでありながら子どもではなくなった。学業と部活の他、母親代わりに家事をし、時にモラハラの父親と弟の不仲の仲裁に入り、高齢の祖母の介護をし1日が終わる。好きなこと、やりたいことすら満足にできないまま数年間ずっとその生活だった。

子どもらしい自我を殺しながら我慢して生きるのは、どれだけ苦しかったことだろうか。


それら私達の経験は今でも「積もり積もったストレス」を抑圧する引き金となっている。

だから、自分が本当はしんどいのに「大丈夫」と我慢して頑張り続けてしまう。

そして気づいた時には「心が壊れてしまっている」のだ。


だが、心が壊れた時、私を救ってくれたのは好きなバンドの音楽だった。

虹のように心に彩りを与えてくれる楽曲達は、変わらず傍にあり続けてくれる。

そのことがどれだけ未来への希望をもたらしてくれ、今に繋がっているか…。


どんなに時を経ても、虹の美しさは変わらない。

でも虹の麓にはたどり着けない現実の儚さを知った。

どんなに時を経ても、雲間から射す光の神秘さは変わらない。

でも、その光から神様が降りてくることはないという事実を悟った。

幼い頃の気持ちのまま、人生の中に存在する「毒」を知らず、純粋無垢でいられたらどれだけ良かっただろう…。

憧れが憧れのままであり続けられたら、私達の人生は本当はもっと幸せであったのかも知れない。


私達の人生は多分、人並み以上に色々ありすぎたけれど、せめてこれから先は私も親友も「幸せ」☘️になりたいとただ切に願う。