私は、石井竜也さんのファンではありませんが、
昔、長男の保育園の副園長先生に仲良くして頂いたこともあり、
彼女が石井竜也さんの熱狂的ファンでファンクラブに所属していたことも知っていました。
それから、時折テレビで石井竜也さんを見かけるとつい見入ってしまいます。

今日、NHKの番組を拝見して、
副園長先生がどうして石井竜也さんのファンだったかを痛感しました。


歌、容姿、表現力、創作力、どれもをこなして、
日本社会を変えたかったんだと、
会談を聞いていて思いました。

私は自分の持っているエネルギーや芸術性を、侮っていたなぁ。
と自分で思いました。ちょっとおこがましい言い方になりますがおねがいあせる


私は、18歳の頃から歌い手として、毎晩ナイトクラブでソロヴォーカルとして歌っていました。
 
その頃、49才だった母は介護が必要になるような重大な医療事後に遭いました。
私は19歳から母を介護しながら毎週3回朝8時までに、
透析のため病院に車で送っていました。(今年私は当時動けなくなった母と同い年になりました。)

免許をとって、軽自動車をローンで買って、母の通院の送迎をしていました。
当時のアルバイトは、朝10時〜20時までのレンタルスタジオのアルバイト、
20時にあがって、そのまま近くのナイトクラブに行き、晩御飯を食べさせてもらって、
それから明け方まで歌うんです。
生演奏のナイトクラブで、1日に5回は最低でもライブを行っていました。
帰宅するのはいつも明け方3時過ぎでした。
数時間休んで、母を病院に送りました。
そしてまたスタジオのバイトに行きました。
そのレンタルスタジオはサザンの桑田さんのお父さんが経営されているところでした。

21才の時に三重県から東京都に遠征に来ていたミュージシャンと恋に落ち、
1年半の遠距離恋愛の末、
23才で結婚しました。嫁いだ先は三重県鈴鹿市。
ごく普通の日本の家庭でした。
夫のご両親からはよくしてもらっていました。

鈴鹿に嫁いだ私はその土地ですごいピアニストと出会いました。
私は彼女のピアノに魅了されて、音楽の全てを教えてもらっていたと思います。
彼女のバンドに入れてもらい、三重県でも歌っていました。

結婚したら、本当に日本人になれる気がしていたところもありました。
日本の男性で、しかもミュージシャンと結婚しましたが、
残念ながら、彼とはうまくいきませんでした。
夫だった彼は、私が外国人であることを受け入れられず、結局、私の居場所はありませんでした。

私は多分、ひとりで居た方がよかったんだろうって今となっては思えます。

23歳だった私は、結婚して幸せになるのが、いわゆる「幸せ」だったのです。

特に、韓国人であることにコンプレックスを持っていた父は、
自分の娘たちは日本人男性と結婚してほしいと思っていたと思います。
私よりも少し上の世代の在日韓国人朝鮮人の若者は、
同胞の相手との結婚を家族から望まれるのが普通でしたが、
うちの父はものすごいコンプレックスがあったのか、
日本人として生きることを優先していました。




三重に移住して嫁いだ数年後、私は好きな人ができて、いや、もしかしたら夫と別れる理由が欲しくて、
ある男性と不倫関係になりました。

付き合って数ヶ月後、
夫と生活していたところから逃げて、鈴鹿で一人暮らしをはじめました。

その時付き合っていた彼は、ひとりになるためのきっかけを私にくれた人と言えます。

26才で母がなくなりそうになったとき、それを期に離婚が成立して、
不倫関係もやめて、

東京で母の最後を看取り、葬儀を終えて数日後、憧れのグループのオーディションがあることを知り、
ものすごい勇気が要りましたが、受けることにしました。

Voice Of Japanという、亀渕友香さんが率いる、ゴスペルグループのオーディションでした。

三重に居て不倫関係にあった頃、そのグループをテレビ東京のトゥナイトという番組でみて、
衝撃をうけていたんです。

絶対に、あのグループに入りたい!と強く願っていました。

そして私は、母の死と、自分の離婚を期に、
Voice Of Japanのオーディションに合格して、東京に戻りました。
次の月からは日本テレビの番組に出演して、
その年の大晦日には、NHKの紅白歌合戦に出演していました。
 
私は人生の上でなかなか味わえない経験を重ねることに成功しました。
 
 


石井達也さんが先ほど出演されていたNHKの番組から、

メジャーの世界では考えられないような、
どんな大御所な芸能人でも実現できるかわからないような、
壮大な芸術性を感じたのです。

メジャーのお仕事を経験させていただいてみて思ったのは、
みなさん、やりたくないことをやっていることの方が圧倒的に多い。


芸能人でいくら有名でも、
必ずしも真の芸術家とは限らない。

米米クラブという、超メジャーなグループの主役である石井さんでさえ、
自分の芸術性と葛藤しているのがビシバシ伝わってきて、
私の永遠の歌のテーマであった「翼」を、
石井さんも愛していると知り、
今一度勇気をもらうことができました。

 

 

 

 

 

 

 

 




「翼」という、自由の象徴としているこの美しいひとつの物体は、
神の使いしか授けてもらえないものと、どこか私は信じているところがあります。

その盲目的な信頼は、ちょっと危ないかもおすましペガサス
 
 
石井竜也さんは、メジャーで名前を残されたミュージシャン界の成功者のおひとりです。

その石井さんも、こうして翼を愛していることを知って、
勇気をもらったのはいうまでもありません。

私は、数々の大舞台に立たせて頂いた星の数ほどいる大勢の歌い手の中の一人ですが、

石井さんのように、自分の中の「自由の象徴」である「翼」をこれからも歌で表現していきたいって強く思いました。


石井竜也さんのお話を聞いて、
久しぶりに、すごい人を見たと思いました乙女のトキメキ