欧州日記まとめて | 書き手 吉崎エイジーニョのブログ

欧州日記まとめて

12日深夜に帰国いたしました。

ヨーロッパでの出来事、どっかーんとまとめて行きます。


■初日 3月7日

原稿3本締め切り、出発3時間前/無パッキング状態を乗り越え、エールフランスに駆け込む。

ここまでで、ちょっとした達成感。
飛行機の中で読もうと楽しみにしていた、筒井康隆「ダンシング・ヴァニティ」は、ちょっと読みにくくて諦めた。


後爆睡。

パリ経由、フランクフルトのホテルには深夜12時前に着く。

■2日め 3月8日

朝10時まで爆睡。
あまり寝ない生活に慣れつつあり、寝ると逆にだるい。時差ボケなし。

この国にしては、珍しく晴れた朝だった。

15時30分からのフランクフルト―ボーフムの「日本人対決」に向け出発。


懐かしい風景です



試合前、ボーフムサポーターに小野の印象を聞いた。

「カナーター」


という。

あわわ。なんのことか分からん。
ドイツ語に詳しい記者の方に聞いても分からん。
「ナカタ」のいい間違いでは? 
と話が落ち着く。

試合のレポートはhttp://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/0708/germany/column/200803/at00016599.html

にて。

選手の視察に来ていた日本代表・小倉コーチと記者団とともに話し込んだ。
あー楽し、サッカー談義。

■3日め 3月9日

ミラノへの移動がメインイベント。
前日から、安いフライトを探していたが(締め切り多のため、日本出国前に調べられず・・・)
フランクフルト発のものはなし。
あきらめて電車に切り替える。130ユーロ(円)也。

11時よりフランクルト市内にて、現地大阪外大OG、その仲間、そしてグレイトな現地サッカー関係者らとブランチ。

2つドジを踏んだ。


市内の中心地「ハウプト・バッフェ」に集合と言われていたが、オレは中央駅「ハウプト・バンホフ」でずっと待っていた。
名前が似ていたから。ハウプト・バンホフにあるレストランの名前かと思っていた。

待ち合わせに30分遅刻したが、その際慌てて駆けつけてしまったため、しでかしてしまう。


タクシーにキャリーバックを預けていることを忘れたまま、降りてしまった。

カフェの席を立ち、いざミラノへ出発、という段で気づく。
顔面蒼白。
しかし、200%の全力を搾り出し慌てていないふりをする。
母校ドイツ語科いつえ家のご尽力により、すぐに見つかった。

14:05、フランクフルト着。
17:00ごろ、経由地・スイスのバーゼルについた。今夏のヨーロッパ選手権のロゴをたくさん目にする。

デタラメドイツ語が通じるのもここまで。
駅の売店でパンを買う際、店のおばちゃんとしばし談笑。「ドイツ語とフランス語、どっちが得意なん?」と聞いたら「ドイツ語よ。でも、若い店員は分ランス語を話してる」と言う。
だけどおばちゃん、別れ際には「メルシー」だって。こういう言語環境にはかっなり興味があります。
朝鮮語科としてね。

山・坂道がある風景が、ドイツとは違うよなー、と思いつつ途中のフランス語圏では爆睡。
イタリア語のアナウンスで目が覚めた。

ミラノには21時に到着。
Rates to go という直前宿泊予約サイトで、10ユーロケチって最安値のホテルを予約したら
駅からタクシーで11ユーロかかった。下手こいた。


バーゼル中央駅にて


中華でワンブレイク


■4日め 3月10日
今回の旅程のメインイベントがありました。
いやいや、サッカー人生でもなかなかない出来事かもしらん。

ACミランと打ち合わせ。

わが社「Amazing sports lab Japan」の仕事で、何かやれないかと交渉中。

http://aslj.net/
オレ、社長(浜田)とともに挨拶に行ったというワケ。

詳細・結果は追ってご報告します。


こちらのド下手英語と、イタリア人の同レベルのド下手英語の会話、楽しかったよー。
オレは自分のキャリアを見せ付けるため、これまでの原稿のスクラップと書籍を見せた。
そして「アイアムベリベリベリベリー フェイマス マン イン ジャパン」とハッタリをかました。

すると、むこうのスタッフが
「なんだ、ドイツサッカーのファンなのか?」

とツッこんできた。

こちら慌てて「いやー、ACミランは最高だ。オレ、ドナドニのファンなんだ。オランダトリオがいたとき、ものすごく利いていたよねー」
と返す。ちょっと口元が緩んだ。これまた、ハッタリ。

途中、ランチをはさんでミーティングは終了。

直後、弊社社長浜田とともにカフェにかけこみ、一服。
すぐに議事録をまとめた。

あー楽し。
浜田、すぐにトリノへ旅立つ。

その後、市内をプラプラし、ベルリンに飛んだ。

「晴れた日のイタリアのオープンカフェで原稿執筆」というのが夢のひとつだったが、雨のため断念せざるを得なかった。

■5日め 3月11日
ドイツ時間朝4時まで原稿を書いた。ちょっと悩んでしまった。
7時に起き、ボルフスブルグへ移動。


中央駅前が、かの大企業の工場です


長谷部誠選手に届けてまいりました。
「オレ海」。

喜んでくれているようでした。
「小説なんですか?」と聞かれた。いやいや、真実ですと答えておいた。
取材の内容は、追って発表いたします。

この日本当はケルンに泊まりたかったが、練習が夕方開始だったため、手前のボーフム泊に切り替え。


読んでくれー。オレのおんぼろ移籍物語


練習風景


練習後、サポーターのおっさんと。長谷部はどんどんよくなっていくぞ、と。


夕方からは好天候に


小鳥がいたよ


■6日め 3月12日
最終日。ボーフム小野伸二選手にも同様に取材し、「オレ海」を届けた。
取材時の表情はちょっと硬かったが、本を渡したときは少し表情が緩んだ。
この取材の内容も、同様に追って。ボーフムの監督にも話を聞き込んだぞ。

スタジアムゴール裏


取材を終え、細かい原稿の直しをして、ボーフムを出発したのが15時過ぎ。

フライトは20時40分だから、ちょっと時間が余った。
思い切って、足を伸ばしましたよ。ケルン。

30分ほどの滞在だったけどね。
練習取材の時間が読めず、変更が続いたため、現地でお世話になった日本人のみんな、チームメイトなどには
ほとんど連絡が取れなかった。

でもね、あのアホ挑戦の舞台の空気を吸えたのは、ほんとによかった。
壮大なケルン大聖堂は、オレにとっては「チャレンジ」のシンボルです。

ますますアホになろうと強く誓い、ヨーロッパを発った。