荻生徂徠「弁名」上・読解17~中・庸・和・衷 | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

○中・庸・和・衷:8則

 

(1)

・中者無過不及之謂也。或以為道之名、或以為徳之名、或以為性之名。如舜用其中於民、湯建中於民、是道之名也。其解見君牙。曰、民心罔中。惟爾之中。蓋天下之理以無過不及為其至。故人無賢知無愚不肖、惟中是求。自生民以来為然。然人殊其性、所見以性殊。人殊其居、所見以居殊。而中不定焉。天下之所以乱也。

 

[中なる者は、過不及なきのいいなり。或いは、もって道の名と為(な)し、或いは、もって徳の名と為し、或いは、もって性の名と為す。舜(しゅん)のその中を民に用いたる、湯(とう)の中を民に建てたるがごときは、これ道の名なり。その解は君牙に見ゆ。いわく、「民の心は中なし。ただ爾(なんじ)の中」と。けだし天下の理は、過不及なきをもって、その至りと為す。ゆえに人は賢・知となく、愚・不肖となく、ただ中をのみ、これ求む。生民より以来しかりと為す。しかれども人(ひとびと)その性を殊(こと)にし、見る所は性をもって殊なり。人(ひとびと)その居を殊にし、見る所は居をもって殊なり。しこうして中は定(さだま)らず。天下の乱るる所以(ゆえん)なり。]

 

《中なるものは、過不足がないことをいうのだ。それで道の名としたり、それで徳の名としたり、それで本性の名としたりする。舜(古代中国の伝説上の帝王)が、その(過不足ない)中を民に使用し、湯王(殷王朝の創始者)が、中を民に建造するようなものは、これが道の名なのだ。その(中の)解釈は、(『書経』の)君牙篇に見える。いう、「民の心は、中がない。ただあなたの中だ」と。思うに、天下の理は、過不足がないことを、その至極とする。よって、人は、賢明・智巧かでなく、愚鈍・未熟かでなく、ただ中だけ、これを探し求める。人類が誕生して以来、そのようだとする。しかし、人々は、その本性が異なり、見ることは、本性によって異なる。人々は、その居処(立場)が異なり、見ることは、居処によって異なる。そうして、中は、不定だ。天下が乱れる理由なのだ。》

 

・於是先王建中以為極、使天下之民皆由此以行焉。故極或訓中。是中也者聖人之所独知、而非衆人所能知也。凡先王之所建、礼楽徳義、百爾制度、是皆中也、是皆極也。然先王之所以為中者、亦非以己所見、故建夫不偏不倚無過不及精微之理、以強天下之民使従我所好也。亦非建斯極而使学者由是以求夫不偏不倚無過不及精微之理也。唯其以安天下為心。故建斯中以為極、使天下之人皆由此以行。然後天下可得而統一不乱耳。故先王之所建、莫非不甚高而人皆可勉強行之者焉。賢知者俯而就之、愚不肖者企而及之。是所謂中也。辟如建都。建諸東則西諸侯弗之便、建諸西則東諸侯弗之便。唯建諸中土、而後天下諸侯道路均矣。豈能一一均哉。雖不一一均矣、然亦不甚相遠、而人皆可勉強以至焉。故先王之道雖不遠人、而不可以不勉強者、中之謂也。

 

[ここにおいて先王、中を建てて、もって極と為(な)し、天下の民をして、皆これに由(よ)りて、もって行わしむ。ゆえに「極」は、或いは「中」と訓ず。これ中なる者は、聖人の独り知る所にして、衆人のよく知る所にあらざるなり。凡(およ)そ先王の建つる所、礼楽徳義、百爾(じ)の制度は、これ皆、中なり、これ皆、極なり。しかれども先王の、もって中と為す所の者も、また己(おのれ)の見る所をもって、故(ことさら)に夫(か)の不偏不倚(い)、過不及なくして精微なるの理を建て、もって天下の民に強(し)いて我が好む所に従わしめしにあらざるなり。またこの極を建てて、学者をして、これに由りて、もって夫の不偏不倚、過不及なくして精微なるの理を求めしめしにもあらざるなり。ただその天下を安んずるをもって心と為す。ゆえにこの中を建てて、もって極と為し、天下の人をして皆これに由りて、もって行わしむ。しかる後、天下は得て統一して乱れざるべきのみ。ゆえに先王の建つる所は、甚(はなは)だしくは高からずして、人、皆、勉強して、これを行うべき者にあらざるなし。賢知者は、俯(ふ)して、これを就き、愚・不肖者は、企(つまだ)ちて、これに及ぶ。これいわゆる中なり。辟(たと)えば都を建つるがごとし。これを東に建つれば、すなわち西の諸侯、これを便とせず、これを西に建つれば、すなわち東の諸侯、これを便とせず。ただこれを中土に建て、しかる後、天下の諸侯、道路、均(ひと)し。道路は均しといえども、あによく一一均しからんや。一一均しからずといえども、しかれども、また甚だしくは相遠からずして、人(ひとびと)皆、勉強して、もって至るべし。ゆえに先王の道は、人に遠からずといえども、もって勉強せざるべからざる者は、中のいいなり。]

 

《こういうわけで、先王は、中を建てて、それで極とし、天下の民に、すべて、これ(中)によって、それで行わせる。よって、「極」は、「中」と注釈(訓注)したりする。この中なるものは、聖人が独り知ることで、様々な人が充分に知ることでないのだ。だいたい先王が建てることは、礼・楽・徳・義で、すべての制度は、これが、すべて、中なのだ、これが、すべて、極なのだ。しかし、先王が、それで中とするものも、また、自己が見ることによって、故意に、あの公平中立は、過不足がなくて、精緻な理を建て、それで天下の民に強制して、私が好むことにしたがわせないのだ。また、この極を建てて、学者を、これ(中)によって、それであの公平中立は、過不足がなくて、精緻な理を探し求めさせることがないのだ。ただそれ(先王)が天下を安寧することを心とする。よって、この中に建てて、それで極とし、天下の人を、すべて、これ(中)によって、それで行わせる。そうして、はじめて、天下は、得て統一して、乱れないことができるのだ。よって、先王が建造することは、とても高くはなくて、人は皆、努力して、これ(中)を行うべきものでないことはない。賢明・智巧者は、ヒレ伏せして、これ(礼)をつきしたがい、愚者・未熟者は、ツマ先立して、これ(礼)に及ぶ。これが、いわゆる中なのだ。例えば、都を建造するようなものだ。これ(都)を東方に建造すれば、つまり西方の諸侯が、これ(都)を便利とせず、これ(都)を西方に建造すれば、つまり東方の諸侯が、これ(都)を便利としない。ただこれ(都)を中間の土地に建造して、はじめて、天下の諸侯は、道路が均等だ。道路は、均等といっても、どうして充分に一々均等なのか(いや、一々均等でない)。一々均等でないといっても、しかし、また、ひどくは、互いに遠くなく、人々は皆、努力して、それで至ることができる。よって、先王の道は、人に遠くないといっても、それで努力しないわけにはいかないものは、中をいうのだ。》

 

・祇先王之知大仁至、而其思之深遠、不唯図安於今、亦必養之成之以俾永安之弗傾也。其所為道、乃復有若迂遠而不近乎人情、幽眇乎不易識焉者。是聖人之所以為不可窺測也。後世儒者其智也小、其思也浅、而其操志也鋭。是以不能務遵先王之道、以成徳於已、成治於民、顧求以言語尽之。其如程朱二先生不偏不倚無過不及以極乎精微之至、仁斎先生唯取易行者為中、而有所択乎先王之道者、皆坐是病故也。

 

[ただ先王の知、大にして仁、至り、しこうして、その思うことの深遠なる、ただに安きを今に図るのみならず、また必ずこれを養い、これを成して、もって永(とこしえ)にこれを安んじて傾かざらしむるなり。その道と為(な)す所は、すなわち、また迂遠(うえん)にして人情に近からず、幽眇乎(ゆうびょうこ)として識(し)り易(やす)からざるがごとき者あり。これ聖人の窺測(きそく)すべからずと為す所以(ゆえん)なり。後世の儒者は、その智は小に、その思いは浅く、しかも、その志を操るは鋭し。ここをもって先王の道に遵(したが)い、もって徳を己(おのれ)に成し、治を民に成すを務むること能(あた)わず、顧(かえ)って言語をもって、これを尽くさんことを求む。その程・朱二先生の不偏不倚(い)、過不及なく、もって精微の至りを極めんとしたる、仁斎先生のただ行い易き者を取りて中と為して、先王の道に択(えら)ぶ所ありたるがごとき者は、皆この病に坐するがゆえなり。]

 

《ただ先王の智は、偉大で、仁が至り、そうして、その(先王の)意思が深遠で、ただ安寧を今に図るだけでなく、また、必ずこれ(中)を養い、これ(中)をなして、それで永年、これ(中)を安定して傾けさせないのだ。その(中の)道とすることは、つまり、また、まわりくどくて、人の情が近くなく、幽玄・精妙で、認識しやすくないようなものがある。これは、聖人が推測することができないとする理由なのだ。後世の儒学者は、その智は小さく、その意思は浅く、しかも、その意志を操ることが鋭い。こういうわけで、先王の道にしたがい、それで徳を自己になし、統治を民になすことを務めることができず、振り返って、言語によって、これ(中)を尽くことを探し求める。その(後世の儒学者の)程子(程顥/ていこう+程頤/ていい兄弟)・朱子の2先生の公平中立は、過不足なく、それで精緻の至極とし、伊藤仁斎先生が、ただ行いやすいものを取り上げて、中として、先王の道に選択することがあるようなものは、すべて、この病状が鎮座しているからなのだ。》

 

 

(2)

・如曰中庸中和、皆徳之名也。中庸者、謂不甚高而可常行者。如孝弟忠信是也。孔子時、礼楽不興、而民鮮有中庸之徳。故孔門之学、以中庸為要。辟諸行遠必自邇登高必自卑。所謂高明精微広大者、皆自中庸導之。故子思曰、道中庸。雖有中庸之徳、苟不学道、則不足以為君子。故孔子以民言之。又有小人之中庸及択中庸之文。戦国時、又有其材不及中庸之言。世俗流伝、雖非其本義、亦可以見古言已。如庸字、楽徳亦有祇庸。用之神祇者為祇、用之民者為庸。書所謂庸庸祇祇亦然。民功曰庸。豈不易之義哉。宋儒昧乎辞、務為精微之解、亦以命聖人之道。誤矣。

 

[中庸・中和と曰(い)うがごときは皆、徳の名なり。中庸なる者は、甚(はなは)だしくは高からずして、常に行うべき者をいう。孝弟忠信のごとき、これなり。孔子の時、礼楽、興らずして、民は中庸の徳あること鮮(すくな)し。ゆえに孔門の学は、中庸をもって要と為(な)す。これを遠きに行くに必ず邇(ちか)きよりし、高きに登るに必ず卑(ひく)きよりするに辟(たと)う。いわゆる高明・精微・広大なる者は皆、中庸より、これを導く。ゆえに子思(しし)いわく、「中庸より道(みちび)く」と。中庸の徳ありといえども、いやしくも道を学ばずんば、すなわち、もって君子と為すに足らず。ゆえに孔子は民をもって、これをいう。また「小人(しょうじん)の中庸」、及び「中庸を択(えら)ぶ」の文あり。戦国の時、また「その材、中庸に及ばず」の言あり。世俗流伝し、その本義にあらずといえども、またもって古言なるを見るべきのみ。庸の字のごときは、楽の徳にもまた祇(し)・庸あり。これを神祇(じんぎ)に用うる者を祇と為し、これを民に用うる者を庸と為す。書にいわゆる「庸庸祇祇」もまたしかり。民の功を庸と曰う。あに不易の義ならんや。宋儒は辞に昧(くら)く、務めて精微の解を為し、またもって聖人の道に命(なづ)く。誤れり。]

 

《中庸・中和というようなものは、すべて、徳の名なのだ。中庸なるものは、とても高くはなくて、いつも行うべきものをいう。孝・悌・忠・信のようなものは、これ(中庸)なのだ。孔子の時代に、礼楽は、おこらずに、民は、中庸の徳があることが少なかった。よって、孔子の門徒の学問は、中庸を主要とした。これ(中庸)を、「遠い所に行くのに、必ず近い所からし、高い所に登るのに、必ず低い所からする」(『中庸』5-11)ことに、例えられる。いわゆる高明・精微・広大なるものは、すべて、中庸から、これ(徳)を導く。よって、子思がいう、「中庸から導く」と。中庸の徳があるといっても、もしも、道を学ばなければ、つまりそれで君子(立派な人)とするには不足だ。よって、孔子は、民(という言葉)によって、これ(中庸)をいう。また、「庶民の中庸」・「中庸を選択する」の文章がある。戦国時代に、また、「その人材は、中庸に及ばない」の言葉がある。世俗に流布・伝承し、その本来の意義でないといっても、また、それで古い言葉なのを見ることができるのだ。庸の字のようなものは、楽の徳にも、また、祇(祗、ちょうど)と庸(ふつう)がある。これを神祇(天神地祇、天地の神々)に使用するものを、祇とし、これを民に使用するものを、庸とする。『書経』の、いわゆる「ふつう・ちょうど」も、また、そのようだ。民の功績を庸という。どうして不変の意義なのか(いや、そうでない)。宋代の儒学者は、言葉に暗く、務めて精緻の解釈をし、また、それで聖人の道を命名する。誤りだ。》

 

 

(3)

・中和者、礼楽之徳也。周礼以礼教中、以楽教和。和者和順之謂也。先王之制礼、使賢者俯而就之、不肖企而及之、是中也。其制楽、八音五声、相和以相済、猶五味之和、以養人之徳、以感召天地之和気。亦率人情所悦、而和順以導之、以俾天下之人、和順道徳以成其俗。是和也。周礼又有楽六徳、孝友祇庸中和。是楽復兼有中和。蓋八音五声、相和相済、則自然無過不及之病也。如中庸曰、喜怒哀楽之未発、謂之中、発而皆中節、謂之和、亦中和相因焉。

 

[中和なる者は、礼楽の徳なり。周礼に、「礼をもって中を教え、楽をもって和を教う」と。和なる者は、和順のいいなり。先王の、礼を制するや、賢者をして俯(ふ)して、これに就き、不肖をして企(つまだ)ちて、これに及ばしむ。これ中なり。その楽を制するや、八音五声、相和して、もって相済(な)すこと、なお五味の和するがごとく、もって人の徳を養い、もって天地の和気を感召す。また人情の悦(よろこ)ぶ所に率(したが)いて、和順して、もってこれを導き、もって天下の人をして道徳に和順して、もってその俗を成さしむ。これ和なり。周礼にまた楽の六徳あり、孝・友・祇・庸・中・和なり。これ楽にまた兼ねて中・和あり。けだし八音五声、相和し相済せば、すなわち自然に過不及の病なきなり。中庸に「喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中という。発して皆、節に中(あた)る、これを和という」と曰(い)うがごときも、また中・和は相因(よ)る。]

 

《中和なるものは、礼楽の徳なのだ。『周礼(しゅらい)』によると、「礼によって、中を教え、楽によって、和を教える」と。和なるものは、調和・順応をいうのだ。先王が礼を制するのは、賢者を、ヒレ伏せさせて、これ(礼)をつきしたがわせ、未熟者を、ツマ先立ちさせて、これ(礼)を及ばせる。これは、中なのだ。それ(先王)が楽を制するのは、8つの楽器・5つの音階が、相互に調和して、それで相互に成し遂げることであり、ちょうど5味(酸味・苦味・辛味・塩味・甘味)が調和するようなもので、それで人の徳を養い、それで天地のなごやかな気を感化する。また、人の情が喜ぶことにしたがって、調和・順応して、それでこれ(和)を導き、それで天下が人を道徳に調和・順応して、それでその(和の)良俗とする(成俗)。これは、和なのだ。『周礼』には、また、楽の6徳があり、孝・友・祇(祗)・庸・中・和なのだ。これは、楽に、また、兼ね備えて、中・和がある。思うに、8つの楽器・5つの音階が、相互に調和し、相互に成し遂げれば、つまり自然に過不足の病状がないのだ。『中庸』に、「喜怒哀楽がまだ発動していない、これを中という。発動して、すべて、節度に適中する、これを和という」(1-2)というようなものも、また、中・和が相互に起因する。》

 

・所謂中者、性之徳也。人之稟質、本非若禽獣之偏。雖知愚賢不肖之有異、皆有相生相長相輔相養之心、運用営為之才。而随其所智、能移化之。猶如在中者之、可以左、可以右、可以前、可以後。故謂之中焉。如曰人受天地之中以生、亦是也。喜怒哀楽之未発者、謂方其生之初、侗然無知之時、既有是徳、而以見人之性所以能与先王之道相応故已。非謂其不偏不倚不与聖人殊也。謂之天下之大本者、乃謂聖人之建道、乃率人有是性而立之、天下万事莫不本焉已。発而皆中節者、謂礼楽之教、以養人之徳、故能使喜怒哀楽之発皆中節、而以見先王之道与人性相和順不悖已。故曰、和也者天下之達道也。即率性之謂道意、非謂喜怒哀楽中節為和也。宋儒昧乎古言、又不知古之道。故其解皆誤矣。学者察諸。

 

[いわゆる中なる者は、性の徳なり。人の稟質(ひんしつ)は、もと禽獣(きんじゅう)の偏(かたよ)れるがごときにあらず。知愚・賢不肖の、異(い)ありといえども皆、相生じ相長じ相輔(たす)け相養うの心、運用営為の才あり。しこうして、その習う所に随(したが)い、よくこれに移化す。なお中に在(あ)る者の、もって左すべく、もって右すべく、もって前すべく、もって後すべきがごとし。ゆえにこれを中という。「人は天地の中を受けて、もって生(うま)る」と曰(い)うごときも、またこれなり。「喜怒哀楽の未だ発せざる」とは、その生るるの初、侗然(とうぜん)として無知なるの時に方(あた)りて、すでにこの徳あるをいいて、もって人の性のよく先王の道と相応ずる所以(ゆえん)のゆえを見(あらわ)すのみ。その不偏不倚(い)にして聖人と殊(こと)ならざるをいうにあらざるなり。これを「天下の大本」という者は、すなわち聖人の、道を建つるは、すなわち人にこの性あるに率(したが)いて、これを立て、天下の万事これに本づかざることなきをいうのみ。「発して皆、節に中(あた)る」とは、礼楽の教えは、人の徳を養うをもって、ゆえによく喜怒哀楽の発するものをして皆、節に中らしむることをいいて、もって先王の道の人の性と相和順して、悖(もと)らざるを見すのみ。ゆえにいわく、「和なる者は、天下の達道なり」と。すなわち「性に率うをこれ道という」の意にして、喜怒哀楽の節に中るをいいて和と為すにあらざるなり。宋儒は古言に昧(くら)く、また古(いにしえ)の道を知らず。ゆえにその解は皆、誤れり。学者これを察せよ。]

 

《いわゆる中なるものは、本性の徳なのだ。人が生まれ持った本来の性質は元々、鳥獣が偏向したようなものでない。智巧か愚鈍か・賢明か未熟かが、異なるといっても、すべて、相互に生長して助け合い・養い合う心は、運用・営為の才能がある。そうして、その(中の)習うことにしたがい、充分にこれ(中)に移り変わる。なお中に存在するものが、それで左にすることもでき、それで右にすることもでき、それで前にすることもでき、それで後にすることもできるようなものだ。よって、これを中という。「人は、天地の中を受けて、それで生まれる」(『春秋左氏伝』)というようなものも、また、これなのだ。「喜怒哀楽がまだ発動しない」(『中庸』1-2)とは、それ(中)が生まれる最初、純粋で無知な時代にあたって、すでにこの(中の)徳があることをいって、それで人の本性が充分に先王の道と相互に対応する理由によるのを現わすのだ。その(程子・朱子の)公平中立で、聖人と異ならないことをいうのではないのだ。これ(中)を「天下の偉大な根本だ」(『中庸』1-2)というものは、つまり聖人が道を建造するのが、つまり人にこの(中の)本性があるのにしたがって、これ(中)を確立し、天下の万事が、これ(中)に基づかないことがないのをいうのだ。「発動して、すべて、節度に適中する」(『中庸』1-2)とは、礼楽の教えが、人の徳を養うことによって、充分に喜怒哀楽を発動するものに、すべて、節度に適中させることをいって、それで先王の道が、人の本性と相互に調和・順応して、乱れないことを現わすのだ。よって、いう、「和なるものは、天下の一般に行われるべき道なのだ」(『中庸』1-2)と。つまり、「本性にしたがうこと、これを道という」(『中庸』1-1)の意味で、喜怒哀楽の節度に適中することをいって、和とするのではないのだ。宋代の儒学者は、古い言葉に暗く、また、昔の道を知らない。よって、その(中の)解釈は、すべて、誤りだ。学者は、これを推察せよ。》

 

 

(4)

・如周礼六徳之和者、徳之名也。言人学以成徳、有此六徳之別也。如柳下恵之和、亦同。皆謂其与物相和順而不悖違也。以為司空之材者、司空掌水土百工之事。百工皆順金木皮革百物之性以作其器。故非巽順相入、能和物性、則不能掌其事也。

 

[周礼の六徳の和ごとき者は、徳の名なり。いうは人、学びて、もって徳を成すに、この六徳の別あるなり。柳下恵(りゅうかけい)の和のごときもまた同じ。皆その、物と相和順して忤違(ごい)せざるをいうなり。もって司空の材と為(な)す者は、司空は水土百工の事を掌(つかさど)る。百工は皆、金木皮革百物の性に順(したが)いて、もってその器を作る。ゆえに巽順(そんじゅん)相入れて、よく物の性を和するにあらずんば、すなわち、その事を掌ること能(あた)わざるなり。]

 

《『周礼(しゅらい)』の6徳(知・仁・聖・義・忠・和)の和のようなものは、徳の名なのだ。いっているのは、人が学んで、それで徳をなすのに、この6徳の分別があるのだ。柳下恵(魯の裁判官、賢者)の和のようなものも、また、同じだ。すべて、それ(徳)が物と相互に調和・順応して、違反しないことをいうのだ。よって、司空(工事担当)の人材とするものは、司空が水利・土木の様々な職工を掌握する。様々な職工は皆、金属・木材・皮革の様々な物にしたがって、それでその(物にしたがった)器具を作る。よって、従順に相互に受け入れて、充分に物の本性と調和するのでなければ、つまり、その事を掌握することはできないのだ。》

 

 

(5)

・如曰允執其中者、謂行天子事也。古以執中為人君之道。故亦称行天子之事為執中。不爾、堯曰禹謨、文意皆不協矣。

 

[「允(まこと)にその中を執る」と曰(い)うがごとき者は、天子の事を行うをいうなり。古(いにしえ)は中を執るをもって人君の道と為(な)す。ゆえにまた天子の事を行うを称して「中を執る」と為す。しからずんば堯曰(ぎょうえつ)・禹謨(うぼ)は、文意、皆、協(かな)わず。]

 

《「本当に、その中を執り行う」(『論語』20-497、『書経』)というようなものは、天子が事を行うことをいうのだ。昔は、中と執り行うことを、君主の道とした。よって、また、天子が事を行うことを称して、「中を執り行う」とする。そうでなければ、(『論語』の)堯曰篇・(『書経』の)大禹謨篇は、文章の意味が、すべて、協和していない。》

 

 

(6)

・如曰中養不中者、称美質為中。蓋世俗之言也。

 

[「中は不中を養う」と曰(い)うがごとき者は、美質を称して中と為(な)す。けだし世俗の言なり。]

 

《「中は、不中を養う」(『孟子』8-96)というようなものは、生まれつきの美しい性質を称して、中とする。思うに、世俗の言葉なのだ。》

 

 

(7)

・曰時中者、謂以時進退求合礼義之宜也。与時措之宜同意。中去声、非中和中庸之中也。

 

[「時に中す」と曰(い)う者は、時をもって進退し、礼・義の宜(よろ)しきに合せんことを求むるをいうなり。「時に、これを措(お)いて宜し」と意を同じゅうす。中は去声(きょしょう)にして、中和・中庸の中にあらざるなり。]

 

《「時代に中(適中)する」(『中庸』2-3)というものは、時代によって前進・後退し、礼・義のよいものに合わせることを、探し求めるのをいうのだ。「時代に、これ(誠)を据え置けば、うまくいく」(『中庸』14-25)と、同意だ。中は、去声(最初が強く、最後が低く弱まる発音)で、中和・中庸の中にないのだ。》

 

 

(8)

・衷者正也。書曰、上帝降衷於下民。若有恒性。又曰、天佑下民作之君、作之師。言天立君師、以表正其民、民順其教、則不失恒心也。降者如礼運降於祖廟、降於山川、降於五祀、内則后降徳於衆兆民之降。称君師之表正其民而帰之天者、如天叙天秩之天、奉天道以行之。古之道為爾。它如天誘其衷、与天奪之魄相反。其人忽悟為善、驚以為殆天意歟。故言天引之正也。折衷於孔子、亦取正於孔子也。謂以孔子之言為正也。

 

[衷なる者は正なり。書にいわく、「上帝、衷を下民に降(くだ)す。恒(つね)あるの性に若(したが)う」と。またいわく、「天、下民を佑(たす)け、これが君を作り、これが師を作る」と。いうは天、君・師を立て、もってその民に表正し、民、その教えに順(したが)えば、すなわち恒心を失わざるなり。「降」なる者は、礼運の「祖廟(そびょう)より降す」、「山川より降す」、「五祀より降す」、内則の「后(きみ)、徳を衆兆民に降す」の降のごとし。君・師のその民に表正するを称して、これを天に帰する者は、天叙・天秩の天のごとく、天道を奉じて、もってこれを行う。古(いにしえ)の道しかりと為(な)す。它(た)の「天その衷を誘(いざな)う」のごときは、「天これが魄(はく)を奪う」と相反す。その人、忽(たちま)ち悟りて善を為し、驚きて以為(おも)えらく、殆(ほどん)ど天意かと。ゆえに「天これが正を引く」というなり。「孔子に折衷す」というも、また孔子に取正(しゅせい)すなり。孔子の言をもって正と為すをいうなり。]

 

《衷なるものは、正なのだ。『書経』によると、「天帝は、衷(善)を人民にくだす(降衷/こうちゅう)。いつもある本性にしたがう」。また、いう、「天(天帝)は、人民を助け、これ(天)が君主を作り、これ(天)が導師を作る」と。いっているのは、天が、君主・導師を確立し、それでその(君主・導師の)民に模範となって正し、民が、その(君主・導師の)教えにしたがえば、つまり恒常の心を失わないのだ。「降」なるものは、(『礼記(らいき)』の)礼運篇の、「祖先の廟(霊の祭祀施設)からくだす」・「山川からくだす」・「5祀からくだす」・(『礼記』の)内則篇の「キサキが徳を様々・大勢の人民にくだす」の降のようだ。君主・導師が、その(君主・導師の)民に模範となって正すことを称して、これを天に帰着するものは、天叙・天秩の天のようで、天道を信奉して、それでこれ(衷)を行う。昔の道は、そのようだとする。他の「天が、その衷を誘引する」(『春秋左氏伝』)のようなものは、「天、これが魄(陰の霊気、陽の霊気が魂/こん)を奪う」(『春秋左氏伝』)と相反する。その人は、すぐに悟って善をし、驚いて、思うに、ほとんど天意なのかな。よって、「天、これが正を誘引する」というのだ。「孔子に折衷する」(『史記』)というのも、また、孔子で正すのだ。孔子の言葉によって、正とすることをいうのだ。》

 

 

(つづく)