荻生徂徠「弁名」上・読解3~道(3)-(12) | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

(3)

・又有曰天之道曰地之道者。蓋日月星辰繋焉、風雷雲雨行焉、寒暑昼夜往来不已。深玄也不可測、杳冥也不可度。万物資始。吉凶禍福有不知其然而然者。静而観之、亦似有其所由焉者。故謂之天道。載華獄而不重、振河海而不洩。旁礴不可窮、深厚不可尽。万物資生、不為乏焉、死皆帰蔵、不為増焉。親而可知。而有不可知焉者。徐而察之、亦似有其所由焉者。故謂之地道。皆因有聖人之道、借以言之耳。

 

[また「天の道」と曰(い)い、「地の道」と曰う者あり。けだし日月星辰ここに繋(かか)り、風雷雲雨ここに行われ、寒暑昼夜、往来して已(や)まず。深玄や測るべからず、杳冥(ようめい)や、度(はか)るべからず。万物、資(と)りて始(はじま)る。吉凶禍福は、そのしかるを知らずして、しかる者あり。静かにして、これを観れば、またその由(よ)る所の者あるに似たり。ゆえにこれを天道という。華獄を載せて重しとせず、河海を振(おさ)めて洩(も)らさず。旁礴(ぼうはく)にして窮(きわ)むべからず、深厚にして尽くすべからず。万物、資りて生ずれども、乏(とぼ)しと為(な)さず、死して皆、帰蔵すれども、増せりと為さず。親しくして知るべし。しかも知るべからざる者あり。徐(おもむ)ろにしてこれを察せば、またその由る所の者あるに似たり。ゆえにこれを地道という。皆、聖人の道あるに因(よ)りて、借りてもって、これをいうのみ。]

 

《また、「天の道」といい、「地の道」というものがある。思うに、日・月・星々は、ここ(天)につながり、風・雷・雲・雨は、ここ(地)で行われ、寒と暑・昼と夜は、往来して止まない。遠くて暗いのは、推し測ることができない。万物は、もとをとって始まる。吉・凶・禍・福は、そのようなのを知らないで、そのようなものがある。静止して、これ(万物)を観察すれば、また、それ(道)によるものがあるのに似ている。よって、これを天道という。華山(中国の5名山のひとつ)を載せても重くない、川・海を納めても漏れない。広く満ちて、行き詰まることができない、深く厚くて、尽き果てることができない。万物は、もとをとって生じても、欠乏とならず、死滅して、すべて回帰・内蔵しても、増加とならない。親密にして知るべきだ。しかも、知ることができないものがある。ゆっくりと、これ(万物)を推察すれば、また、それ(道)によるものがあるのに似ている。よって、これを地道という。すべて、聖人の道があることによって、借用して、それでこれ(道)をいうのだ。》

 

 

(4)

・有曰小人道長曰戎狄之道者。皆以其所由成俗、自似有一道、故言之。

 

[「小人(しょうじん)の道、長ず」と曰(い)い、「戎狄(じゅうてき)の道」と曰う者あり。皆その由(よ)りて俗を成す所、自ずから一道あるに似たるをもって、ゆえにこれをいう。]

 

《「庶民の道は、成長する」といい、「辺境民族の道」というものがある。すべて、それ(道)によって、低俗としたことが、自然にひとつの道があるのに似ているのを、このようにいう。》

 

 

(5)

・有曰善人之道、曰無改於父之道者。亦言其所由耳。不必先王之道。凡其意以此為道而由之者也。

 

[「善人の道」と曰(い)い、「父の道を改むることなし」と曰う者あり。またその由(よ)る所をいうのみ。必ずしも先王の道ならず。凡(およ)そその意は、これをもって道と為(な)して、これに由る者なり。]

 

《「善人の道」(『論語』11-272)といい、「父の道を(3年)改めることをしない」(『論語』1-11)というものがある。また、それ(道)によることをいうのだ。必ずしも先王の道でない。だいたいその意味は、これによって道として、これ(道)によるものなのだ。》

 

 

(6)

・有曰是道也何足以臧者。詩書礼楽、皆先王之道也。故雖一言半句、亦称為道耳。

 

[「この道や何ぞもって臧(よ)しとするに足らん」と曰(い)う者あり。詩書礼楽は皆、先王の道なり。ゆえに一言半句といえども、また称して道と為(な)すのみ。]

 

《「この道は、何によって、よいとするのに充分なのか」(『論語』9-231)というものがある。『詩』・『書』・『礼』・『楽』は、すべて先王の道だ。よって、ちょっとした一言といっても、また、名称して、道とするのだ。》

 

 

(7)

・曰一変至於道。謂先王道行之世也。曰可与適道。謂身合於先王之道也。

 

[「一変して道に至る」と曰(い)う。先王の道これを世に行うをいうなり。「与(とも)に道に適(ゆ)くべし」と曰う。身の先王の道に合するをいうなり。]

 

《「一変して道に至る」(『論語』6-141)という。先王の道が、これを世の中に行うことをいうのだ。「一緒に道を行くべきだ」(『論語』9-234)という。身が先王の道に合致することをいうのだ。》

 

 

(8)

・曰至道、曰大道。尊先王之道之辞。

 

[「至道」と曰(い)い、「大道」と曰う。先王の道を尊ぶの辞なり。]

 

《「至極の道」といい、「偉大な道」という。先王の道を尊重する言葉だ。》

 

 

(9)

・曰志於道、曰朝聞道、曰天下有道、曰国有道、曰国無道、曰無道之君、曰就有道而正焉。凡単言道者、皆以先王之道言之。無道者先王之道全亡也。有道者不必全有也。如有道之士、以身有道芸言之。先王之道在外。六芸亦先王之道也。故古以道芸並称。大小之分耳。雖其人有徳。然不知先王之道、則不得称有道之士。後世道徳之名混矣。学者其審諸。

 

[「道に志す」と曰(い)い、「朝(あした)に道を聞く」と曰い、「天下に道あり」と曰い、「国に道あり」と曰い、「国に道なし」と曰い、「無道の君」と曰い、「有道に就きて正す」と曰う。凡(およ)そ道と単言する者は皆、先王の道をもって、これをいう。「無道」なる者は、先王の道、全く亡(な)きなり。「有道」なる者は、必ずしも全くは有せざるなり。「有道の士」のごときは、身に道芸あるをもって、これをいう。先王の道は外(そと)に在(あ)り。六芸もまた先王の道なり。ゆえに古(いにしえ)は、道芸をもって並べ称す。大小の分のみ。その人、徳ありといえども、しかれども先王の道を知らずんば、すなわち有道の士と称することを得ず。後世、道・徳の名、混ぜり。学者それこれを審(つまびら)かにせよ。]

 

《「道に志す」(『論語』4-75,7-153)といい、「朝方に道を聞く」(『論語』4-74)といい、「天下に道がある」(『論語』8-197,16-422,18-466)といい、「国(邦)に道がある」(『論語』5-93,5-112,8-197,14-333,14-336,15-385)といい、「国(邦)に道がない」(『論語』5-93,5-112,8-197,14-333,14-336,15-385)といい、「無道の君」といい、「有道に就いて正す」(『論語』1-14)という。だいたい道と一言でいうものは、すべて先王の道で、このようにいう。「無道」なるものは、先王の道がまったくないのだ。「有道」なるものは、必ずしもまったくあるのではないのだ。「有道の士」のようなものは、身に道徳・学芸があることで、このようにいう。先王の道は、外在する。6芸(礼・楽・射/弓術・御/馬車の操縦術・書・数/算術)もまた、先王の道なのだ。よって、昔は、道徳・学芸を並称した。大小の分化なのだ。その人は、徳があるといっても、しかし、先王の道を知らなければ、つまり有道の士と名称することができない。後世に、道と徳の名を混合した。学者は、そうなのでこれ(道と徳の混合)を明白にせよ。》

 

 

(10)

・曰大学之道、曰父之道、曰母之道、曰臣之道、曰子之道、曰神道。皆先王之道、以其別言之。

 

[「大学の道」と曰(い)い、「父の道」と曰い、「母の道」と曰い、「臣の道」と曰い、「子の道」と曰い、「神道」と曰う。皆、先王の道にして、その別をもって、これをいう。]

 

《「『大学』の道」といい、「父の道」といい、「母の道」といい、「臣下の道」といい、「子の道」といい、「神道」という。すべて先王の道で、その分別によって、このようにいう。》

 

 

(11)

・曰獲於上有道、曰交朋友有道、曰生財有大道。皆謂術也。術者、謂由此以行、自然不覚其至也。如民可使由之、有此意。蓋先王之道、皆術也。是亦特以其別言之。又如詩書礼楽為四術、亦謂由此以学、自然不覚其成徳也。及於後世詐術盛興而後、道学先生皆諱術字。如荀子有大道術、漢書譏霍光不学無術、其時近古、猶未諱術字者可見也。如曰要道、亦要術耳。

 

[「上に獲(え)らるるに道あり」と曰(い)い、「朋友に交(まじ)る道あり」と曰い、「財を生ずるに大道あり」と曰う。皆、術をいうなり。術なる者は、これに由(よ)りて、もって行わば、自然にしてその至るを覚えざるをいうなり。「民はこれに由らしむべし」のごときは、この意あり。けだし先王の道は皆、術なり。これもまた、ただその別をもって、これをいう。また詩書礼楽を四術と為(な)すがごときも、またこれに由りて、もって学ばば、自然にして、その徳を成すを覚えざるをいうなり。後世に詐術盛んに興(おこ)るに及んで後、道学先生は皆、術の学を諱(い)む。荀子(じゅんし)に「道術」を大(たっと)ぶことあり、漢書に霍光(かくこう)の「不学無術」を譏(そし)るがごとき、その時、古(いにしえ)に近く、なお未だ術の字を諱まざりし者(こと)見るべきなり。「要道」と曰うがごときも、また要術のみ。]

 

《「上位(の信任)を獲得する道がある」(『孟子』7-73,『中庸』10-20)といい、「友人と交流する道がある」といい、「財を生み出すのに偉大な道がある」(『大学』6-15)という。すべて術をいうのだ。術なるものは、これ(道)によって、それで行えば、自然にして、それが至ることに不覚なのをいうのだ。「民は、これによらせることができる」(『論語』8-193)のようなものは、この意味がある。思うに、先王の道は、すべて術なのだ。これもまた、ただその分別によって、このようにいう。また、詩・書・礼・楽を4術とするようなものも、また、これ(道)によって、それで学べば、自然にして、その徳をなすことに不覚なのをいうのだ。後世に、だます術が盛んに起こるのに及んだ後、宋代の学者は皆、術の学問を忌み嫌う。荀子(儒学者、性悪説)に「道術」を尊重することがあり、漢書の霍光伝の「不学無術」を非難するように、その時代は、昔に近く、なおもまだ術の字を忌み嫌わないのを見るべきなのだ。「主要な道」というようなものも、また、主要な術なのだ。》

 

 

(12)

・曰達道者、謂先王之道、通貴賤智愚賢不肖、可皆由者也。它如天子之道、諸侯之道、皆非人人得行者、如君子之道、亦非民之所得行者、則与此殊矣。鄭玄以為百王通行之道。後儒又因之而以五者概聖人之道。誤矣。如達孝、亦謂武王周公能推其孝達諸天下、使天下之人伸其孝心。故上文有父為士、子為大夫、葬以士祭以大夫。達字之義、可以見已。後儒不知之、亦以天下皆称其孝解之。嗚呼天下皆称其孝、何必武王周公已哉。

 

[「達道」と曰(い)う者は、先王の道の、貴賤・智愚・賢不肖を通じて皆、由(よ)るべき者をいうなり。它(た)の「天子の道」、「諸侯の道」のごときは皆、人人の行うことを得る者にあらず、「君子の道」ごときも、また民の行うことを得る所の者にあらざれば、すなわちこれと殊(こと)なり。鄭玄(じょうげん)はもって百王通行の道と為(な)す。後儒はまた、これに因(よ)りて五者をもって聖人の道を概す。誤れり。「達孝」のごときも、また武王・周公よくその孝を推(お)して、これを天下に達し、天下の人をして、その孝心を伸べしめしをいう。ゆえに上文に「父、士為(た)り、子、大夫(たいふ)為らば、葬(ほうむ)るには士をもってし、祭るには大夫をもってす」とあり。達字の義、もって見るべきのみ。後儒はこれを知らず、また天下、皆その孝を称すというをもって、これを解す。ああ天下、皆その孝を称するは、何ぞ必ずしも武王・周公のみならんや。]

 

《「一般に行われるべき達道」(『中庸』1-2,8-16)というものは、先王の道が、高貴か卑賤か・智巧か愚鈍か・賢明か未熟かに共通して、すべて、よることができるものをいうのだ。他の「天子の道」・「諸侯の道」のようなものは、すべて、人々の行うことができるものではなく、「君子の道」(『中庸』3-7,3-9,5-11,16-29,19-33)のようなものも、また、民が行うことができるものでなければ、つまりこれ(達道)と異なる。鄭玄(古文・今文を兼修)は、それで代々の王の通行の道とした。後世の儒学者は、また、これら(「天子の道」・「諸侯の道」・「君子の道」)によって、5者(君臣・父子・夫婦・昆弟・朋友)を聖人の道と概要した。誤っている。「(天下に)達成した孝」(『中庸』6-14)のようなものも、また、武王(周王朝の創始者)・周公旦(武王の弟、兄を補佐)が、充分にその孝を推し測って、これを天下に達成し、天下の人に、その孝心を伸張させたことをいう。よって、(『中庸』での達孝の項目の)上の文に、「父が士(卿-大夫-士の序列)で、子が大夫ならば、葬送の際には、(葬られる)士(の礼式)によってし、祭祀の際には、(祭る)大夫(の礼式)によってする」(『中庸』6-13)とあり、達の字の意味は、それ(『中庸』)で見ることができるのだ。後世の儒学者は、これ(達の字の意味)を知らず、また、天下は皆、その孝を名称するということによって、これ(天下に達成した孝)を解釈する。ああ、天下は皆、その孝を名称するのは、何で必ず武王・周公旦だけなのか。》

 

 

(つづく)