三木清「人生論ノート」考察9~習慣 | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

●習慣について

 

 この項では、まず、人生は、習慣がすべてとし、習慣は、生命的な形で、弁証法的な形だといい、それは、生命とは、形であり、習慣とは、生命の行為で弁証法的(空間的+時間的)な形ができてくるとしているからで、生命には、形を作るという、本質的な作用が内在しているとされています。

 この弁証法的とは、習慣が、空間的に止まっていても(死)、時間的に動いているので(生)、空間的と時間的(死と生)の結合・統一という意味のようです。

 

 つぎに、習慣は、統計的な形だといい、それは、人間の個々の行為が偶然的・自由・不確定で、そこから多数の行為の統計的な規則性で、習慣が形成・確定されるとしているからで、自然の法則にも、統計的な性質があるので、習慣は、具体的な形をした自然だとみられています。

 

 さらに、習慣は、模倣のひとつですが、模倣のもうひとつである、流行と対比させると、次のようになります。

 

※模倣

・習慣=伝統的、内部・旧いものを模倣(それ自身ひとつの模倣)、縦の模倣(自己を模倣)

 → 生命の法則を表現

・流行=習慣を打破、外部・新しいものを模倣、横の模倣

 → 生命のひとつの形式

 

 ただし、習慣は、内部の模倣だけでなく、ひとつの行為が他の行為から独立した、外部の模倣もあるので、連続的で非連続的とみるべきで、そうなると、この連続的と非連続的の結合・統一は、生命的・弁証法的なので、習慣は、生命の法則を表現していることになります。

 一方、流行は、生命のひとつの形式だとし、それは、生命が形成作用で、模倣が形成作用にとって、ひとつの根本的な方法だからとされています。

 そこから、模倣は(習慣も流行も)、生命の形成作用なので、教育的価値にもつながるとしています(ドイツ語のビルドゥングは、英語のビルディングで、形成・教養・教育の意味があります)。

 

 また、習慣も流行も、環境から規定されますが、習慣を流行と対比させると、次のようになります。

 

※模倣

・習慣=能動的(主体と環境から弁証法的に発生)、自然的(主体の環境への作業的適応で発生)

 → 習慣の形の力

・流行=受動的(主体よりも環境を優先)、知性的(最大の適応力のある人間に特徴的)

 → 習慣を打破する力

 

 このうち、能動的な習慣を、受動的な流行と対比させると、次のようになります。

 

・習慣=能動的:自己が自己を模倣、自己が自己と環境に適応(弁証法的)

 → 安定した形(形あり) → 習慣=技術あり

・流行=受動的:環境を模倣、自己が環境に適応(自己が自己を模倣もあり)

 → 不安定な形(形なし) → 流行=技術なし

 

 上記までをまとめると、生命に内在する本質的な作用で、習慣の形や力が、自然に生成されたので、習慣は、自然的な形だといえ、下記からは、習慣が、自然・情念(パトス)や、思惟・知性(ロゴス)に、作用することをみていきます。

 

 情念については、「人間の条件について」の項で、世界の物は、相互関係性の中で、虚無から形成されたとしているので、情念・習慣・形も、それぞれ情念・習慣・形を支配・克服できるのは、他の情念・習慣・形しかないのが前提で(理性でない)、そこに知性が加味されることで、秩序化できます。

 そのうえで、形なしの情念は、不安定・無力ですが、形ありの習慣に秩序化されて、はじめて安定・有力になり、習慣は、情念を支配できるのです。

 

 ところで、物質と精神の関係は、大雑把にいえば、次のように相違しており、近代・西洋では、論理的な見方で、外面の物質と、内面の精神に、二分される一方、古代・東洋では、存在論(内外面一体で個物そのもの)的な見方で、素材(質料)の物質と、構成(形相)の精神に、二分されます。

 

・近代・西洋=外面と内面:外面=名・外形・物質、内面=実・内心・精神

・古代・東洋=素材の構成:素材=無限定・可能態の質料・物質、構成=限定・現実態の形相・精神

 

 これらを詳細にみると、古代では、無限定で可能性のある素材(質料)を、構成(形相)で限定して現実化したのが、個物とされ、アリストテレス(プラトンの弟子)は、個物を本質とした一方、プラトンは、個物から独立・超越したイデア(原理・概念)を本質・普遍としました。

 中世では、原理(イデア)のもとで個物ができたとみるか(実念論/概念が実在)、個物をもとに名称(概念)ができたとみるか(唯名論)、普遍の有無が論争になり、普遍(神)は、個物(人)を超越すると同時に、個物(人)に内在すると両立させたりもしました。

 この超越(外部)と内在(内部)は、近代・西洋では、個物を外面と内面に二分し、内面を本質とし、意味・根拠が内在するとみるか、外面を本質とし、個々の相互関係性・差異性の中で、価値は、個物に付着した力(魅力・魔力)が働いて定められたとし、外在するとみるかに、大別できます。

 なお、東洋を古代と同列にしたのは、大乗仏教とアリストテレスの主張が、類似しているからのようです。

 大乗仏教では、すべての存在は、実体がなく、相互関係性で成り立つとする、空(くう)論から、実体のない、すべての存在は、人が心に想像した識にすぎないとする、唯識論へと、進展しており、空で、内面がなく、外面のみ(内外面一体)とし、唯識で、心(精神)が本質だとしています。

 アリストテレスも、内外面で二分せず、人(生命)の体(物質)は、質料(素材)に相当し、魂(精神)は、形相(構成)に相当するといっています。

 

 これらをもとに、西洋と東洋の文化を比較すると、次のようになり、西洋では、自然を克服するのが文化なので、文化主義的で、物質的な形・空間的な形が追究される一方、東洋では、文化の根底が自然なので、自然主義的で、精神的な形が追究されます。

 

・西洋:文化主義的、物質的な形(実体概念)・空間的な形(関係概念)を追究 ~ 論理的

・東洋:自然主義的、精神的な形(精神=形相)を追究 ~ 存在論的

 

 前述で、形なしの情念は、形ありの習慣に、秩序化されるとしましたが、東洋・古代では、精神=形相なので、習慣は、精神的な形ともいえます(情念は、自然的としています)。

 

 思惟については、思惟の範疇(はんちゅう、カテゴリー)の存在論的な意味を(論理的な意味でない)、習慣から説明する際に、いくら経験を反復しても、習慣化されるわけでないので、習慣は、経験から発生するとは、けっしていえません。

 だから、経験は、習慣に影響されないので、ただの感覚と同様ですが、習慣は、形を作るという、生命に本質的な作用を内在しているとされているので、感覚を呼び起こす作用によって発生した習慣から、ずっと知識が影響されるため、思惟・知性に習慣が作用することになります。

 

 ところで、形には、内在性と超越性の両面があり、このうち、内在性については、前述のように、生命には、形を作るという、本質的な作用が内在しているので、自然的な形になります。

 他方、超越性については、生命には、形を作るという、本質的な作用の中に、超越的傾向をも内在し、それで生命は、自己否定・超越するため、形・習慣によって生き死にし、習慣がズレて権威化したり形骸化したりするので、習慣は、表現的な形といえ、次のように、まとめられます。

 

※形

・内在性=自然的な形:生命に本質的な形成作用が内在

・超越性=表現的な形:形成作用の超越的傾向で生命の自己否定・超越 → 習慣が権威化・形骸化

 

 ここまでは、習慣の自然の仕業でしたが、人間の仕業もあり、大半の習慣は、無意識的な技術である一方、道徳による社会的習慣(慣習)は、自由のある、意識的な技術で、道徳のひとつに修養があり、これらから、習慣は、技術的な形といえ、技術が自然に習慣化すれば、真の技術となります。

 修養は、道具技術の時代の社会では、道徳的形成の方法でしたが、機械技術時代の社会では、修養だけでは不十分なので、道徳にも知識が重要で、思惟・知性に習慣が作用することになります。

 

 以上より、習慣は、生命的な形、弁証法的な形、統計的な形、具体的な形、自然的な形、精神的な形、表現的な形、技術的な形だと、列挙できます。

 

 最後に、習慣は、人間を自由にしたり、束縛したりしますが、最大の恐怖は、習慣の退廃(デカダンス)で、退廃は、人間の技術的な行為を根源とし、習慣の退廃は、特殊な情念の奇怪な習慣で発生し、流行の退廃は、流行が不安定で形もないので、虚無に直接つながり、底なしとされています。

 そして、習慣が退廃した際には、「秩序について」の項で、秩序が存在しなければ、新秩序の価値体系を設定すべきとしたのと同様、退廃した習慣を支配できるのは、他の習慣なので(理性でない)、他の習慣を形成することで、退廃した習慣を打破しかありません。

 

~・~・~

 

◎習慣についての「ノート」

 

○人生=習慣がすべて

・生命=形をもつ → 習慣=行為に生命的な形が出来てくる

・空間的な形=死 → 習慣=生の形、弁証法的(空間的+時間的)な形

・空間的に止+時間的に動 → 生命的な形が出来てくる(機械的でない)

・習慣=形を作るという生命の内的・本質的な作用に属する

 

○習慣=統計的

・習慣=同一行為の反復の物理的な結果でない

・人間の個々の行為=偶然的、自由 → 習慣が形成:確定=不確定から出現

・習慣=多数の偶然的な行為の統計的な規則性

・自然の法則=統計的な性質 → 習慣=自然=具体的な形

 

○模倣(流行)/習慣:相反と一つの両義あり

・流行=習慣を打破、外部・新しいものを模倣、横の模倣

・習慣=伝統的、内部・旧いものを模倣(それ自身が一つの模倣)、縦の模倣(自己を模倣)

 → 習慣=模倣 → 習慣=人間の一つの行為が他の行為から独立すべき:連続的で非連続的

 → 習慣=生命の法則を表現、流行=生命の一つの形式

※生命=形成作用(ビルドゥング) → 教育(ビルドゥング):習慣・流行=模倣の教育的価値

・模倣=形成作用での一つの根本的な方法

 

○習慣/流行:環境から規定

・習慣=能動的(主体と環境から弁証法的に発生)、自然的(主体の環境への作業的適応で発生)

 → 習慣の力=形の力

・流行=受動的(主体よりも環境を優先)、知性的(最大の適応力のある人間に特徴的)

 → 習慣を打破する力(習慣と相反する方向)

※習慣/流行と模倣

・習慣=自己が自己を模倣、自己が自己に適応+自己が環境に適応

 → 安定した形(有形) → 習慣=技術

・流行=環境を模倣、自己が環境に適応(自己が自己を模倣もあり→流行に従う=自己に媚びる)

 → 不安定な形(無形) → 技術的な能動性が欠如

 

○習慣=情念を支配

・情念の力=一つの情念を支配できるのは他の情念(理性でない) → 情念の習慣化

・習慣が形作られる → 情念の力=知性の加味で作られる秩序の力に基づく

・一つの習慣=他の習慣を作ることで打破 → 習慣を支配できるのは他の習慣(理性でない)

 → 一つの形を克服できるのは他の形

※情念に対する形の支配=自然に対する精神の支配(情念=自然、形=精神)

・情念=形なし → 情念=習慣には無力、自然的

・習慣=形あり → 精神(自然でない)

 

○西洋:精神=形(形成、構成)

※近代:外見の物質(外面、固体)と内心の精神(内面、流動)の二分

・近代の機械的な悟性:形を空間的・物質的にしか表象できず

・現代の生の哲学:精神的生命=無限定な流動 → 近代の機械的な悟性からの影響

※古代:質料の物質(材料、要素)と形相の精神(形成、構成)の二分

・ギリシアの古典的哲学:物質=無限定な質料(要素)、精神=形相(構成)

 → 精神=形相=空間的に表象

 

○東洋:習慣=自然=文化

・東洋の伝統的文化=習慣の文化 → 習慣=自然 → 東洋文化の根柢=自然

 → 習慣=文化(自然でない) → 東洋的自然=文化

 

○西洋/東洋

・西洋(習慣≠自然):文化主義的、形が空間的に表象

・東洋(習慣=自然):自然主義的、精神の真に精神的な形を追究

 → 習慣=自然 → 精神の形+自然の意味

 → 習慣=具体的な生命の内的な法則(精神でも身体でもない)、純粋に精神的な活動の中の自然性

 

○習慣=知識・思惟に影響

・思惟の範疇の存在論的な意味(論理的な意味でない)

 → 習慣から説明するのが適切な仕方(ヒューム)

・習慣を経験から発生するとした機械的な見方を排除すべき:経験論=機械論でみるのは間違い

 → 経験の反覆(反復)=習慣の本質の説明には不十分

 → 先験論(経験論に反対):経験=習慣に影響されず→経験を感覚と同一視

 → 習慣=生命の内的な傾向に属する

 → 感覚を喚び起こす作用で発生した習慣から、知識の内容が影響 → 思惟に習慣が作用

 

○形・習慣の生死

・慣習(社会的習慣)=道徳、表現的な形(社会的な形でない) → 権威をもつ

・形=超越的な意味をもつ

 → 形を作る(生命に本質的な作用)=生命に超越的傾向を内在+生命が自己を否定

 → 生命=形によって生き死に:生命=習慣によって生き死に、死=習慣の極限

 

○習慣が自由→人生に有利

・習慣=技術的→自由にできる → 習慣=技術的と理解するのが大切

・たいていの習慣=無意識的な技術 → 道徳=習慣を意識的・技術的に自由にする

・修養=習慣の技術

・習慣=自然でない → 習慣=道徳、最も手近な力のある手段

・習慣=技術、すべての技術=習慣的 → 真の技術

 

○道具時代/機械時代

・道具時代の社会=道具の技術:修養=道徳的形成の方法、有機的、限定

・機械時代の社会=機械の技術:修養だけでは不十分、道徳にも知識が重要、習慣の依存少、知識の依存多

※道徳=有機的な身体を離れず、知性にも習慣が働くことに注意すべき

 

○デカダンス(退廃)=情念の特殊な習慣(情念の不定な過剰でない)

・デカダンスの根源:人間の行為=技術的

・デカダンスの発生:情念=習慣的・技術的

・自然的な情念の爆発=習慣を打破(デカダンスとは反対)

・習慣による人間の死=習慣がデカダンス(習慣の静止でない)

・人間=習慣で自由と束縛 → 恐怖:習慣のデカダンス

・習慣(芸術も)=構想力に属する → 奇怪な習慣の存在 → デカダンスに

・流行=習慣より知性的、同様のデカダンスなし、生命的価値あり、不安定、支える形なし

 → 恐怖:流行そのもののデカダンス=底なし(虚無に直接つらなる)

 

(つづく)