(つづき)
●仮説について
この項では、思想(思考)を生活(経験的事実)や常識(すでにアル信仰)と対比させ、思想とは、信念をもった仮説の追求で、人生とは、自分が誕生した固有の仮説の追求だとされ、その仮説は、力をもつために、純粋さが必要だとしています(折衷主義の仮説は、思想として無力です)。
これは、「虚栄について」の項で、人間の根底を虚無(実体なし・可能性あり)、人生をフィクションとし、自己は、創造的な生活・芸術で、先に、虚栄を張り(設定・貯水し)、後に、その虚栄を形作り(形成・排水し→なくし)、この繰り返しで、自己の実在性を証明するとしたのにつながります。
ここでの仮説は、論理よりも根源的で、不定・可能的とされ、仮説から論理を出現・形成(認識)させ、思惟(思想・思考とは区別)に属さず、構想力に属したフィクション(小説)だとしているので、ただの理論と対比させると、次のようになります。
・仮説=存在論的:構想力(思想、思考)に属す、不定、不確実、可能的な創造・フィクション
・理論=論理的:思惟に属す、確定、確実
そうなると、前述のように、自己形成とは、先に「ある」虚栄(外面)に、後から実体(内面)を追い付かせようと「する」ことですが、これは、先に「ある」仮説(外面)に、後から実証(内面)を追い付かせようと「する」、実証主義と同様の図式になり、次のように、虚栄の有無と対応します。
※本物の実証主義:仮説と実証の繰り返し
・仮説:構想力 → 不確定・不確実:外面の「ある」 ~ 虚栄の設定・貯水(有)
・実証:実験 → 確定・確実:内面の「する」 ~ 虚栄の形成・排水(無)
この虚栄とは、内面(実体)のない外面で、虚栄の不確定・不確実から、自己形成で確定化・確実化・個性化することになり、これが本物の実証主義(仮説と実証の繰り返しで経験的事実のみを正当化)といえます。
一方、偽物の実証主義(理論と実践の繰り返しでの経験的事実のみを正当化)は、次のように、理論は、仮説的性質がなく、すでに確定・確実とみているので、実践は、理論を追認するしかなく、それ以上の進展が、相当困難です。
※偽物の実証主義:理論と実践の繰り返し
・理論:仮説的性質なし、すでに確定・確実
・実践:理論の追認、それ以上の進展が相当困難
つまり、仮説の本質(精神)を無視したり無知で、正確に把握せず、本物の実証主義を偽物の実証主義と誤解すると、実証主義は、虚無主義(ニヒリズム、本質的な価値を否定)に陥落し、仮説の本質的な価値を喪失したことになります。
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◎仮説についての「ノート」
○思想/生活
・生活=事実、経験的
・思想=仮説の大きさに従って偉大、本質的に仮説的な思考 → 生活の一部分
※仮説の力=純粋に思想のもつ力
○思考=仮説的→過程的、方法的
・懐疑(デカルト)=仮説→方法的
○仮説的な思考≠論理的な思考
・仮説=論理よりも根源的、自分自身から論理を作り出す力をもつ、確実への形成的な力
・論理=仮説から出現、論理よりも不確実から出現、論理そのものが一つの仮説
※確実=不確実から出現・形成(与えられず)
・認識=形成(模写でない)
・精神(本質)=芸術する主体(鏡=模写でない)
○人生=仮説的 → 虚無に繋がる
・各人=一つの仮説を証明するために誕生(生存の証明でない→不要)
→ 人生=実験;自分が誕生した固有の仮説を追求
・人生=仮説の証明 → 小説(フィクション)の創作活動=作者の仮説を証明
・仮説=構想力に属す(思惟に属さず)、フィクション、不定で可能的:存在論的(論理的でない)
→ 人間の存在=虚無が条件+虚無と混合 → 仮説の証明=創造的形成
・人生の実験=形成
○思想/常識
・常識=仮説的でない、すでにアル信仰→信仰不要、大きな徳(中庸)をもつ
・思想=仮説の追求→極端化、信念が必要
→ 真の思想=行動すれば、生か死かの危険な性質をもつ:行動人=理解、思想従事者=忘却
→ 偉大な思想家(ソクラテス)=行動人よりも危険な性質を熟知
○思想が一つの仮説であることへの不理解 → 思想=誤解される運命
→ 思想家の罪の一半・怠惰が原因
・仮説的性質=探求を続けている限り常時顕在
○折衷主義=思想として無力 → 仮説の純粋さが喪失 → 常識に接近:常識=仮説的でない
○仮説=近代科学のもたらした最大の思想
・仮説の精神(本質)を無視・無知・正確に把握せず → 近代科学の実証性への誤解が発生
→ 実証主義=虚無主義に陥落
(つづく)