丸山真男の「洪水型」/「雨漏り型」と「ササラ型」/「タコツボ型」 | ejiratsu-blog

ejiratsu-blog

人は何を考え(思想)、何を為し(歴史)、何を作ってきたのか(建築)を、主に書いたブログです。

丸山真男「日本の思想」要約

丸山真男「日本の思想」考察

丸山真男の「超国家主義の論理と心理」

丸山真男の「~である」こと/「~をする」こと

丸山真男の「なる」「うむ」「つくる」

丸山真男の本意

日本の特徴1~6

~・~・~

 

■日本思想史が無機軸・無構造になった理由

 

 日本政治思想史学者の丸山真男は、『日本の思想』の《日本の思想》(論文発表は1957/昭和32年)で、“日本には、思想の座標軸がないが(無構造で雑居)、世界の重要な思想のほとんどを摂取してきた歴史がある(無限抱擁)”と主張し、その状況を説明しましたが、その理由まで言及されていません。

 よって、ここでは、日本思想史が無機軸・無構造になった理由を、考察していくことにします。

 

●思想の摂取

 

 日本の思想は、古代には中国、近代には欧米と、外来の思想を摂取する中で、独自の思想も登場したので、まず、国家レベルの思想・文化の摂取から検討すべきですが、その前に、個人レベルの思想・宗教の摂取(教化・啓蒙)を検討することにします。

 宗教は一般に、信者の親とともに、子の多数が、儀礼(形式)を体験し、そのうち、子の少数が、教義(思想)を信仰するとみられますが、子は、強制的な受動(外発的動機)に抵抗する中で、親から自立した自己(責任主体)が形成され、信仰が無意識で強固な能動になると推測できます。

 もし、その抵抗があまりなく、自主的な受動(内発的動機)であれば、自己(責任主体)が形成されず、信仰も意識的で軟弱な能動になり、棄教しやすいと推測できますが、これは、宗教の教化だけでなく、思想の啓蒙にも当て嵌まります。

 ちなみに、思春期(反抗期)も、宗教の教化・思想の啓蒙と同様、外発的動機で、それまでの子は、親に庇護され、まだ自立していませんが、親の思考による強制的な受動に抵抗する中で、自己(責任主体)が形成され、個人として確立された大人になっていきます。

 オーストリアの精神科医のジークムント・フロイトは、自己や意識がない能動には、性的本能の生の欲動と、死の欲動があるとし、このうち、死の欲望は、強制的な受動・外発的動機による抑圧で生起するといっています。

 死の欲動は、まず抑圧への抵抗・反発で、外へ向かって攻撃し、つぎに欲動・攻撃の断念・屈服で、倫理感を生み出し、内に向かって自己抑制で良心(超自我)が表現されると、主張しています。

 寛大な親で、子に強制的な受動がなくても、親子一緒に生活する中、親が強制的な受動に抵抗する場面で、最終的に自己抑制で良心が表現されていれば、その振る舞いの積み重ねが、子に伝達されるので、思春期(反抗期)がなくても、個人として確立された大人になっていくとみられます。

 

 

●思想の伝播:「洪水型」/「雨漏り型」

 

 丸山真男は、『日本文化のかくれた形(かた)』の《原型・古層・執拗低音-日本思想史方法論についての私の歩み-》(論文発表は1984/昭和59年)で、高度に文明が発達した中国から、近い朝鮮を「洪水型」、やや遠い日本を「雨漏り型」としました。

 「洪水型」は、《高度な文明の圧力に壁を流されて同じ文化圏に入ってしまう》一方、「雨漏り型」は、《ポツポツ天井から雨漏りがして来るので、併呑(へいどん、併合)もされず、無縁にもならないで、これに「自主的」に対応し、改造措置を講じる余裕をもつことになる》と説明されています。

 そして、《これがまさに「よそ」から入って来る文化に対して非常に敏感で好奇心が強いという側面と、それから逆に「うち」の自己同一性というものを頑強に維持するという、日本文化の二重の側面の「原因」ではないにしても、すくなくもそれと非常に関係のある地政治学的要因なのです》(p.134)とあります。

 つまり、日本は、「よそ」(他)と「うち」(自)が、それぞれ外面と内面になり、内外両面が分化した状態である一方、朝鮮は、同文化圏になったので、自他・内外両面が合一した状態といえます。

 これらを、より詳細にまとめると、次のようになります。

 

○前近代の東アジアの地政学による先進文化の摂取

‐先進文明の中心国=中国大陸

・周辺国「洪水型」=朝鮮半島:中国から近く、陸続き

  → 先進文物を全面的に摂取:外発的動機・強制的な受動 ~ 「よそ」「うち」合一

・亜周辺国「雨漏り型」=日本列島:中国からやや遠く、離れ孤島

  → 先進文物を選択的に摂取:内発的動機・自主的な受動 ~ 「よそ」「うち」分化

 

 前近代の東アジアでの中国大陸の先進文物の摂取は、地政学が影響し、朝鮮半島は、中国大陸から近く、陸続きなので、全面的に摂取しなければならなかったため、外発的動機・強制的な受動(前述)により、中国由来の儒教思想を本格導入し、徹底的に内面化され、自己の原理になり、一極化しました。

 余談ですが、韓国にキリスト教徒が大勢なのは、戦後からのアメリカの布教ですが、朝鮮戦争(1950-53年)での北朝鮮の侵攻・国連軍の応戦による、外発的動機・強制的な受動も信仰に影響したでしょう。

 ヨーロッパ大陸でも、オリエント由来のキリスト教を本格導入すれば、徹底的に内面化され、そのような中世キリスト教の真理に対抗した、近世・近代思想が席巻すると、これを批判する現代思想は、相当な圧迫がある中で抵抗して主張され、こうして一極の構築と解体で、歴史的発展となるのです。

 一方、日本列島は、中国大陸からやや遠く、離れ孤島なので、中国大陸の先進文物を選択的に摂取できたため、内発的動機・自主的な受動(前述)により、なるべくそのままで受け入れる場合と、都合よく作り変える場合があり、中国外来と対比する日本独自の文物も発明・強化し、多極化しました。

 近代には、欧米から先進文物を摂取し、現在も、最新流行の文化を追い求めるのも、この影響とみられます。

 外発的動機で強制的な受動は、外来思想に抵抗しますが、いったん内面まで入ってしまえば、出にくいので、理(原理)・実(実体)になり、選択の余地がないので、信仰が無意識で強固な能動になりがちです。

 他方、内発的動機で自主的な受動は、外来思想に抵抗しないかわりに、外面で留まって離れやすいので、名(名目)ばかり・形(形式)だけになり、選択の余地があるので、信仰が意識的で軟弱な能動になりがちです。

 ここまでをまとめると、次のように、対比できます。

 

・外発的動機・強制的な受動:抵抗あり→自己(責任主体)が形成:自己の内面(思想)にまで到達

  →無意識で強固な能動:自律的・絶対的 ~ 朝鮮:儒の一極、欧米:超越神を信仰する世界宗教

・内発的動機・自主的な受動:抵抗なし→自己(責任主体)が形成されず:自己の外面(形式)で滞留

  →意識的で軟弱な能動:他律的・相対的 ~ 日本:神仏儒等の多極(無宗教的)

 

 なお、日本の先進文物の摂取の歴史をまとめると、次のようになります。

 

・古代(遣隋使・遣唐使):中国・隋→唐から、貴族層、和魂漢才、神仏習合

・中世(日宋民間貿易・寺社造営料唐船):中国・宋→元から、武士層、禅

・近世(南蛮貿易、丸山のいう第1の開国):ポルトガル・スペインから、武士・庶民層、鉄砲・キリスト教

・近代(幕末維新以降、第2の開国):英仏独米から、和魂洋才、思想は鎖国的・技術は開国的

・現代(戦後以降、第3の開国):米から、全面開国

 

 また、丸山は、《原型・古層・執拗低音》で、認識対象(視野)が拡大すると、認識主体を変革する作用をすることになり、これは思想史・精神史の問題として非常に大事なことだと指摘し、次のようにいっています。

 

……世界像というのは自分を支えてくれる精神的支柱みたいなものなのです。つまり、人間というものは、自分の周囲に、あるいは大きく言えば世界に、たえず意味を与えながら生きていく動物でありまして、これが動物と人間との基本的な違いです。意味賦与ということは、価値判断だけでなく、これは歯ブラシである、これを以て私は歯をみがくのだ、という認識自体がみな、周囲の事象にたいする意味賦与です。意識すると否とにかかわらず、われわれは絶えず周囲からのメッセージに意味を与えながら生きている。もっとも日常的にはいちいち意味を賦与するのは面倒ですから、ルーティンをつくってその過程を省略します。歯をみがくべきか みがかざるべきかなどと一々考えない。けれども新らしいメッセージが来ると、つまり新らしい経験に遭遇するとルーティンではすまなくなって新らしい意味賦与をしなければならない。こうした個別的意味賦与を相互に関連づけたのが、宇宙像とか世界像です。世界像のなかで自我は自分の位置づけが出来、したがって安定感をもちます。世界像が変わるということは自分の位置づけが変わるということです。自我のアイデンティティというものが見当がつかなくなるのですから、自我の非常に危機になる。これは必死になってくい止めなければいけない。……(p.104-105)

 

 だから、摂取した先進文物の外面の形式(表徴=しるし)にも、内面の思想(意味)を賦与していくので、地域の違いで意味づけが異なり、日本には、摂取選択の地理的な余裕があるので、なるべくそのままで受け入れる場合と、都合よく作り変える場合に、対応できるのです。

 さらに、丸山は、《原型・古層・執拗低音》で、《日本思想史を外来思想の歪曲の歴史》(p.136)ともせず、《これとは反対に、「外来」思想というものから独立して「内発」的な日本人の考え方を求めよう》(p.137)ともせず、次のように、外来思想の変容・変化のパターンに共通性があるとしています。

 

……問題の性質上、「思想」にかぎりますが、日本の多少とも体系的な思想や教義は内容的に言うと古来から外来思想である、けれども、それが日本に入って来ると一定の変容を受ける。それもかなりの大幅な「修正」が行われる。さきほどの言葉をつかえば併呑型ではないわけです。そこで、完結的イデオロギーとして「日本的なもの」をとり出そうとすると必ず失敗するけれども、外来思想の「修正」のパターンを見たらどうか。そうすると、その変容のパターンにはおどろくほど ある共通した特徴が見られる。そんなに「高級」な思想のレヴェルでなくて、一般的な精神態度としても、私達はたえず外を向いてきょろきょろして新らしいものを外なる世界に求めながら、そういうきょろきょろしている自分自身は一向に変わらない。そういう「修正主義」がまさに一つのパターンとして執拗に繰り返されるということになるわけです。……(p.138-139)

 

……私がいいたいのは、変化する要素もあるが、他方恒常的要素もある、とか、断絶面もあるが、にもかかわらず連続面もある、というのではなく、まさに変化するその変化の仕方というか、変化のパターン自身に何度も繰り返される音型がある、といいたいのです。つまり日本思想史はいろいろと変るけれども、にもかかわらず一貫した云々--というのではなくて、逆にある種の思考・発想のパターンがあるゆえにめまぐるしく変る、という事です。あるいは、正統的な思想の支配にもかかわらず異端が出てくるのではなく、思想が本格的な「正確」の条件を充たさないからこそ、「異端好み」の傾向が不断に再生産されるというふうにもいえるでしょう。前に出した例でいえばよその世界の変化に対応する変り身の早さ自体が「伝統」化しているのです。(p.149-150)

 

 上記で日本の摂取は、なるべくそのままで受け入れる場合と、都合よく作り変える場合の、両方あるとしましたが、前者の場合は、朝廷の公文書での漢字表記や、鎌倉期に中国・宋の仏僧を招聘した純粋禅等、事例があるので、外来思想の修正・変容・変化のパターンの共通性は、後者の場合です。

 《原型・古層・執拗低音》で、丸山は、外来思想を変容して日本化するパターンを、下記のように、「原型」と名づけており、そののち「古層」・「執拗な持続低音」と変更していますが、それらは、次のような方法で、導き出せるといっています。

 

 前述のように、日本神話が形を整えた六、七世紀ごろには大陸のさまざまな文化の浸透を受けているわけですから、日本神話は原型そのものの表現ではありません。そこが大事な点です。消去法による以外にはない、といったのはそれです。日本神話のなかから明らかに中国的な観念--儒教だけではなくて道教とか諸子百家とかも入れてそういう古代中国の観念に基く考え方やカテゴリーを消去していくわけです。そして今度は、世界宗教としての仏教--むろん中国経由の大乗仏教ですが、そこに由来する観念も消去していく。同じような操作を「万葉集」とか、「霊異記」とか、重要な思想文献に即してつぎつぎとおこなう。そうすると、何もなくなるかというとなくならない。サムシングが残るのです。そのサムシングというものがつまり、原型--その断片をあらわしております。原型はそれ自身としては決して教義(ドクトリン)にはなりません。教義として体系化しようとすると外来世界観の助けをかりねばならない。しかしその断片的な発想はおどろくべく執拗な持続力を持っていて、外から入って来る体系的な外来思想を変容させ、いわゆる「日本化」させる契機になる。この消去操作は一種の循環論法になるのですが、それは仕方がないことなのです。(p.142-143)

 

 以上より、丸山は、「原型」・「古層」・「執拗な持続低音」を、体系的な教義になる前の、断片的な発想としており、上記で宗教を信仰する際に、教義(思想)の前には、儀礼(形式)があったように、思想(まとまった思考)的なものの前には、形式的なものがあると、想定できるのではないでしょうか。

 

 

■無構造での構造

 

 さて、丸山は、《原型・古層・執拗低音》で、外国人の日本観には、次のような、相反する2つの見方があると、繰り返し指摘しています。

 

・日本ぐらいいつも最新流行の文化を追い求めて変化を好む国はない(p.122)

  = 「よそ」から入って来る文化に対して非常に敏感で好奇心が強いという側面(p.134)

・日本ほど頑強に自分の生活様式や宗教意識(あるいは非宗教意識)を変えない国民はない(p.122)

  = 「うち」の自己同一性というものを頑強に維持するという側面(p.134)

 

 このうち、上段は、《日本の思想》での、“日本には、思想の座標軸がないが(無構造で雑居)、世界の重要な思想のほとんどを摂取してきた歴史がある(無限抱擁)”に相当し、この変化する思想的な側面は、文明的要素といえます。

 そうなると、下段は、「原型」・「古層」・「執拗な持続低音」に相当し、この変化しない形式的な側面は、未開的要素といえ、地政学も勘案すれば、2つの両側面・要素を併せ持つ日本は、半文明・半未開の国と位置づけることができるのではないでしょうか。

 そこでは、形式が生き残りやすく(有名無実化しやすい)、思想が忘れ去りやすい(集団転向現象あり)とされています。

 たとえば、形式面だと、前近代の日本の政治体制は、諸豪族の連合政→太政官政→摂関政→院政→武家政と変わりましたが、院政になっても摂関家が残り、武家政になっても院政・貴族(公家)が残り、幕末まで律令制・朝廷(太政官政)が残り、有名無実化が顕著でした。

 天皇・朝廷が、しだいに有名無実化すると、王朝交代なし、幕府が、名実一体であろうとし、政権交代あり、その中で鎌倉期に執権・室町期に管領・江戸期に老中等が政権を主導し、責任追及され、将軍は、有名無実化していれば、責任追及されず、最後の将軍3人は、倒幕時も殺害されず追放のみでした。

 思想面だと、キリスト教とマルクス主義は、雑居を拒否する思想ですが、日本でいきなり排斥されたわけでなく、キリスト教は、宣教師が来日すると、すぐに信者拡大しましたが、禁教ですぐにほぼ壊滅、マルクス主義は、一時流行しましたが、思想統制で大勢が転向と、結果的に無限抱擁しなかったのです。

 これらを前提とし、ここでは、まず世界通有の、体系的な思想の構造を、つぎに日本特有の、断片的な発想の「原型」・「古層」・「執拗な持続低音」を、みていきます。

 

 

●思想の構造:「ササラ型」/「タコツボ型」

 

 丸山真男は、『日本の思想』の《思想のあり方について》(論文発表は1957/昭和32年)で、社会・文化の型を、竹の先を細かくいくつにも割った「ササラ型」と、それぞれ孤立・並列した「タコツボ型」に、区分しました。

 「ササラ型」は、ヨーロッパで《ギリシャ‐中世‐ルネッサンスと長い共通の文化的伝統が根にあって末端(の個別科学)がたくさん分化している》(p.132)形態で、《共通の根を通って他の組織化を促し、それを前進させる》(p.148)ことができ、日本でこれに該当するのは、マルクス主義のみです。

 ヨーロッパでの共通の根は、古典が古代ギリシャ・ローマ、宗教が中世キリスト教、法がローマ法で、ルネサンスはイタリアから、宗教改革はドイツから、市民革命はフランスから、広域に影響させました。

 「タコツボ型」は、日本で《共通の根をきりすてて、ササラの上の端の方の個別化(・専門化・独立化)された形態》(p.132)で、共通の言葉・基準・基盤・広場がなく、内輪は少数なので、強迫観念・被害者意識から、敵対的になり、むしろ国内には閉ざされ、国外には開かれがちになるとされています。

 戦前の日本で、《タコツボ化した組織体の間をつないで国民(臣民)的意識の統一を確保していたものが天皇制》(p.145)でしたが、そのむすび目がほぐれた戦後には、《タコツボ間をつなぐように見える唯一のコミュニケーションがいわゆるマス・コミュニケーション》だとみられています。

 しかし、日本のマス・コミ(放送・新聞)は、思考・感情・趣味の画一化・平均化が進行し、個性が乏しく、その力は、《タコツボの間に作用するだけで、タコツボの中に滲透し、その相互間の言語の閉鎖性を打破する役割はあまり演じません》(p.146)。

 したがって、日本の広場で通用する言葉が必要とされ、それは、日本共通の「ササラ型」の根である、丸山のいう「原型」「古層」「執拗な持続低音」で、それは、日本史の中で表現されたものから、外来の概念を消去して残留した何か(サムシング)といえます。

 

 

●日本共通の「ササラ型」の根

 

 日本が近代化で、欧米の先進文明を摂取する際には、全面的に採用せず、外面の技術は開国的で、内面の思想は鎖国的だったため、日本共通の根がない近世・近代の西洋思想は、国内で「タコツボ型」化し、国外のみと接触するしかありませんでした。

 《日本の思想》で、丸山は、固有信仰・理論信仰・実感信仰の3者を設定し、日本思想史を通観する際には、既存・先行する固有信仰が、前提となり、大半が欧米由来の理論信仰と、現実の感情である実感信仰が、対比する構図が提示されましたが、固有信仰の中に、理論信仰的なものが必要になります。

 それが、断片的な発想の「原型」・「古層」・「執拗な持続低音」で、もし、固有信仰の中に、それがなければ、実感信仰的なものだけが支配していて、日本思想史は、完全に無構造だったことになりますが、私は、日本共通の「ササラ型」の根として、形式的なものと、思想的なものの、2つを想定しています。

 

 

◎形式的「ササラ型」の根:神仏儒等

 丸山は、『忠誠と反逆』の《歴史意識の「古層」》(論文発表は1972/昭和47年)で、記紀神話での神代の冒頭の記述から、「次々に・成り行く・勢い」という発想・思惟様式を抽出し、皇室の血統の連続的な増殖による無窮(永遠)性が、表現されていると指摘しました。

 これは、永遠性のひとつですが、万物・万事は、無常・流転し、必死必滅で、おおむね誕生期→増進期→最盛期→減退期→死滅期と移行するので、永遠性を希求するには、人間の発想で、死滅期と誕生期をつなぎ、そこを仮死・再生期とみなし、それを繰り返せば、永久不死不滅になりえます。

 すなわち、自然の摂理のように、…→増進期(朝・春)→最盛期(昼・夏)→減退期(夕・秋)→仮死・再生期(夜・冬)→…と、循環させればよく、ここでは、以下のように、その方法を4つ取り上げ、それぞれの事例を列挙してみました。

 私は、これらの4つの形式が、断片的な発想の「原型」・「古層」・「執拗な持続低音」とみており、いずれも自然の摂理と同化・寄生しようとしています。

 

○仮死・再生の反復の形式

 永遠性の第1の方法は、時間的にみて、衰え・滅から生・勢いへと、行為で転換させることです(逆境の好転の反復)。

 大乗仏教では、生(生起)→住(安住)→異(異変)→滅(死滅)の4相があり、これを発心→修行→菩提(証悟)→涅槃(解脱)と重ね合わせ、この行為を利他(他人の救済)で反復することにより、永遠性を希求します。

[例]

・神道・仏教の祈祷・祭祀:不浄な状態(穢れ・罪・祟り)を清浄な状態(祓い・清め・禊)に転換

・天皇即位の大嘗祭:悠紀殿の儀と主基殿の儀、悠紀田と主基田

・朝廷:祈年祭(田植え前)と新嘗祭(稲刈り後)

・天皇の新嘗祭:宵の儀と暁の儀

・伊勢神宮の神嘗祭・月次祭:夕の儀と朝の儀

・古事記:神代・初期の人代に、非合理な占い・籠もり・禊祓・祭・神託等で、逆境を好転・反復

・記紀神話の天の岩屋戸:アマテラスを引き籠もりから外界に解放

・西行・松尾芭蕉の生活:長旅での漂泊と草庵での引き籠もりの反復

・消極的から積極的への転換:もののあわれ、わび・さび、憂き世→浮き世

・古代朝廷の公務(元気力が強まる午前型):日の出前に入庁待機、正午に退庁

・平城京の東西市(元気力が弱まる午後型):正午に開き、日の入前に閉じる

・仏教の修行(座禅)・念仏:煩悩(思想)を除去し、悟りを得るのは形式化

・葉隠的武士道:「孝」(家)のために「忠」しての死は打算(思想)で、理屈なしの死が美で形式化

 

○2項並立・往来の形式

 永遠性の第2の方法は、空間的にみて、一方に他方を並立させて2項とし、そこを往来させることです。

 古代中国では、天地・陰陽・乾坤(けんこん)の両面を世界観とし、一元化による「静」は、それ以上の発展性がないので、死滅=本当の死になり、二元化以上の「動」は、死滅=仮死・再生と位置づけられ、日本では、この世界観が肥大化しました。

[例]

・日本の統治:権威ある天皇の神仏事・祭事と権力ある為政者の政事・軍事

・日本の宗教:外来的な仏教と土着的な神道、仏寺と神社

・天皇の祭儀:外来的な唐風の即位式と土着的な和風の大嘗祭

・伝統建築:外来的な様式(瓦葺屋根・土間床・極彩色)と土着的な様式(桧皮葺屋根・高床・白木造)

・字体:真名(漢字)と仮名(カタカナ・ひらがな)

・詩歌:漢詩と和歌

・詩歌集:「懐風藻」と「万葉集」

・和歌集:真名序と仮名序

・神話+国史:国外的な「日本書紀」と国内的な「古事記」

・天神地祇:天上の天つ神と地上の国つ神

・八百万の神:降臨神(垂直的に天上から)と漂着神(水平的に彼方から)

・観音菩薩のいる補陀落浄土:補陀落山と補陀落渡海

・浄土:薬師如来のいる東方の瑠璃光浄土と阿弥陀如来のいる西方の極楽浄土

・神の両面:和魂と荒魂

・伊勢神宮:内宮の太陽神・アマテラスと外宮の穀物神・トヨウケヒメ

・舒明天皇(34代):西の民が造った大宮(百済宮)と東の民が造った大寺(百済大寺)

・天武天皇(40代):大官大寺(元・百済大寺→高市大寺)と伊勢神宮

・聖武天皇(45代):国分(僧)寺と国分尼寺、東大寺と法華寺

・称徳天皇(48代=46代・孝謙):西大寺と西隆寺

・仏の様態:静的な如来と動的な菩薩・明王

・密教の両界曼荼羅:慈悲(守り)の胎蔵界曼荼羅と智恵(攻め)の金剛界曼荼羅

・大乗仏教:自利(自分の証悟)と利他(他人の救済)

・平安仏教:顕教と密教

・鎌倉仏教:自力の禅と他力の浄土教

・浄土教の教相判釈:難行(修行必要)の聖道門と易行(修行不要・専修念仏)の浄土門

・浄土教の往還二回向:往相回向(自他が浄土に往生)と還相回向(往生した自が他を往生)

・親鸞の念仏:正定聚(往生確定の境地)からの現世と来世の行き来

・道元の座禅:迷いと悟りの行き来

・鴨長明の方丈:仏道修行と音楽演奏の行き来

・禅寺:穢土の池泉庭園と浄土の枯山水の回遊

・日本絵画:大和絵と水墨画

・千利休の茶の湯:豪華美(名物道具)と簡素美、黄金の茶室と草庵風茶室

・古典文化:芸術的な風雅(和歌・連歌・俳句、能)と遊戯的な滑稽(俳諧・狂歌・川柳、狂言)

・後鳥羽上皇(82代)の歌道:有心体の柿本衆と無心体の栗本衆

・松尾芭蕉の句道:個人での俳句(発句)と集団での連歌(連句)

 

○3項並立・移行の形式

 永遠性の第3の方法は、並立を3項とし、それらの間を移行したり、使い分けることで、2項より複雑化・多様化につながります。

[例]

・記紀神話の垂直性:高天原(天上)‐葦原中国(地上)‐黄泉国・根国(地下)、水平性:‐常世国

・中心から周縁へ:都‐東(あずま)‐鄙(ひな)

・空間配列:表‐中‐奥

・畿内の古墳群:前方の百舌鳥・古市‐中間の磯長谷・馬見‐後方の纏向・柳本・大和

・飛鳥期の仏寺:前方の四天王寺‐中間の法隆寺‐後方の飛鳥寺

・古民家:畳の間(座敷)‐板の間‐土間(タタキ)

・仏教建築様式:和様‐天竺(大仏)様‐唐(禅宗)様

・書道の真行草:楷書体‐行書体‐草書体

・芸道の師弟伝承:守‐破‐離

・舞台演奏・演技の構成:序‐破‐急

・正統から異端へ:書院‐数寄(すき)‐傾奇(かぶき、歌舞伎)

 

○擬似的親子関係での継承の形式

 永遠性の第4の方法は、親・師から子・弟子へと、物(土地・型)・事(技術)・心(教義)等を伝承することです。

 中国の儒教では、先祖崇拝→親孝行→子孫繁栄の3つを「孝」とすることにより、永遠性を希求しますが、これは家族内のみで、家族外は「忠」ですが、日本では、家族外にも、擬似的親子関係が広範に適用されました。

[例]

・擬制的氏族:首長の氏上(うじのがみ、氏長・氏宗)が氏人(うじびと、氏子)を統率

・天皇の世襲制(万世一系):血統の継承が絶対(養子不可)で国体を護持

・貴族・武士の養子制:血統より家制度の存続が優先

・町人(商人・職人)の徒弟制:技術を伝承

・仏僧の師弟制:教義を伝承

・芸道の家元制:型を伝承

・戦前の家族国家観:天皇は父、皇后は母、臣民は子

・戦後の家族主義的経営:社長は家父長、社員は家族

 

 

◎思想的「ササラ型」の根:儒教道徳(忠孝)

 儒教道徳の「忠」「孝」は、中世・近世の武士の主君‐臣下の関係(実際は、道徳が弱く、形式が強い)から、近代の天皇‐臣民の関係(実際は、道徳と乖離し、完全な形式に変容)へと、つながっており、次のように、まとめることができます。

 

・中世(権門制)=武士の君臣間:家礼型の忠孝分離と家人型の忠孝一致が並存

・近世(幕藩制)=武士の君臣間:家人型の忠孝一致に統一(譜代は元・家人型、外様は元・家礼型)

・近代(戦前、君主制)=一君万民:家族国家観の忠孝一緒が全臣民に拡大

・現代(戦後、民主制)=象徴天皇制

 

 この詳細は、以下で説明しました。

丸山真男「日本の思想」考察(●3つの実践、○個人での実践)