荻生徂徠「弁道」読解7~(22)-(23) | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

(22)

・先王四術、詩書礼楽、是三代所以造士也。孔氏所伝是已。然其所以為教者、経各殊焉。後儒輒以一概之説解之。則奚以四為也。蓋書者、先王大訓大法、孔子所畏、聖人之言、是也。古之時、舎此則無書。書唯此耳。後王君子所尊信、学者所誦読、先王安天下之道具是矣。後儒逎以為樸学、而它求高妙精微者。其病坐弗思耳。古聖人一言之微、皆繋乎天下之大、盛衰治乱所由起焉。非疏通知遠者不能読之。孟子不信書。其称述尭舜、将何所賭記。宜其昧於先王安天下之道也。

 

[先王の四術は、詩・書・礼・楽にして、これ三代の士を造りし所以(ゆえん)なり。孔氏の伝うる所はこれのみ。しかれども、そのもって教えと為(な)す所の者は、経ごとに各おの殊(こと)なり。後儒は、すなわち一概の説をもって、これを解す。すなわち奚(なん)ぞ四をもってなさんや。けだし書なる者は、先王の大訓・大法にして、孔子の畏るる所、聖人の言(げん)、これなり。古(いにしえ)の時、これを舎(お)きては、すなわち書なし。書はただこれのみ。後王・君子の尊信する所、学者の誦読(しょうどく)する所にして、先王の天下を安んずるの道はこれに具(そな)われり。後儒は、すなわち、もって樸学(ぼくがく)と為して、它(た)に高妙・精微なる者を求む。その病(へい)は思わざるに坐するのみ。古の聖人の一言の微(び)は皆、天下の大に繋がり、盛衰・治乱の由(よ)りて起こる所なり。疏(そ)通し遠きを知る者にあらずんば、これを読むこと能(あた)わず。孟子は、書を信ぜず。その尭(ぎょう)・舜(しゅん)を称述するは、将(はた)何の賭記(とき)する所ぞ。宜(うべ)なり、その先王の天下を安んずるの道に昧(くら)きことや。]

 

《先王の4術は、詩・書・礼・楽で、これ(4術)が3代(夏王朝・殷王朝・周王朝)の士を造作した理由なのだ。孔子が伝えたことは、これ(4術)なのだ。しかし、それ(4術)がそれで教えとするものは、経書ごとに各々異なる。後世の儒学者は、つまり統一概念の説によって、これを解釈する。つまり、どうして4つによってするのか(いや、4つでない)。思うに、『書経』なるものは、先王の偉大な教訓・偉大な教えで、孔子が畏れることは、聖人の言葉で、これだ(『論語』16-428)。昔の時代に、これ(聖人の言葉)を捨て去れば、つまり『書経』はない。『書経』は、ただこれ(聖人の言葉)なのだ。後世の王・君主が尊び信じることは、学ぶ者が読み上げることで、先王の天下を安寧にする道が、これ(『書経』)に具備している。後世の儒学者は、つまり、それで素朴な学問として、他に立派・精緻なるものを探し求めた。その病状は、思惟しないことに視座するのだ。昔の聖人の一言の微小は、すべて、天下の偉大につながり、盛衰・統治混乱によって、おこることなのだ。注釈書を通じて遠い昔を知るものでなければ、これ(『書経』)を読むことはできない。孟子は、『書経』を信じない(『孟子』14-225)。(しかし、)その(『書経』の)尭・舜(古代中国の伝説上の帝王)を称賛・述べるのは、もしかすると、何の賭けで記すことにしたのか。その(孟子の)先王の天下を安寧にする道に暗いことは、なるほどなのだ。》

 

※先王の4術(道の方法)=詩・書・礼・楽:大訓(偉大な教訓)・大法(偉大な教説)

 ・孔子;聖人の言葉を畏れる

 ・後世の儒者:一概(統一概念)の説で理解

※『書経』:聖人の言葉、先王が天下を安らかにする道

 ・後世の儒者:樸学(素朴な学問)、他に高妙(立派)・精微(精緻)なるものを求める

 ・孟子:信じず → 先王の天下を安らかにする道に昧(暗)い

 

・詩則異於是矣。諷詠之辞、猶後世之詩。孔子刪之、取於辞已。学者学之、亦以修辞已。故孔子曰、不学詩、無以言。後世逎以読書之法而読詩、謂是勧善懲悪之設焉。故其説至於鄭衛淫奔之詩而窮矣。且其所傳義理之訓、僅僅乎不盈掬焉。果若其説、聖人盍亦別作訓戒之書、而以是迂遠之計為也。故皆不知詩者之説也。如詩序、則古人一時以其意解詩之言、叙其事由而意自見焉。何仮訓詁。然詩本無定義。何必守序之所言以為不易之説乎。如大序乃関雎之解、古人偶於関雎敷衍以長之耳。後儒不解事、析為大小序。可笑之甚也。

 

[詩は、すなわちこれに異なり。諷詠(ふうえい)の辞は、なお後世の詩のごとし。孔子これを刪(けず)るは、辞に取るのみ。学者これを学ぶも、またもって辞を修むるのみ。ゆえに孔子いわく、「詩を学ばずんば、もっていうことなし」と。後世、すなわち書を読むの法をもってして詩を読み、これ勧善懲悪の設けなりという。ゆえにその説は、鄭(てい)・衛の淫奔(いんほん)の詩に至りて窮(きゅう)せり。かつ、その伝(つ)くる所の義・理の訓は、僅僅(きんきん)乎(こ)として掬(きく)に盈(み)たず。果たして、その説のごとくんば、聖人盍(なん)ぞまた別に訓戒の書を作らずして、この迂遠(うえん)の計をもってするを為(な)すや。ゆえに皆、詩を知らざる者の説なり。詩序のごときは、すなわち古人一時その意をもって詩を解するの言(げん)にして、その事由を叙(の)べて、意、自(おの)ずから見(あらわ)る。何ぞ訓詁(くんこ)を仮(か)らん。しかれども詩はもと定義なし。何ぞ必ずしも序のいう所を守りて、もって不易の説と為さんや。大序のごときは、すなわち関雎(かんしょ)の解にして、古人、偶(たま)たま関雎において敷衍(ふえん)して、もってこれを長くするのみ。後儒は事を解せず、析(さ)きて大小序と為す。笑うべきの甚(はなは)だしきなり。]

 

《『詩経』は、つまり、これ(『書経』)と異なる。ほのめかす詩歌の字句(言葉づかい)は、ちょうど後世の詩のようなものだ。孔子が、これ(『詩経』)を削ったのは、言葉を取った(取捨選択した)のだ。学ぶ者は、これ(『詩経』)を学ぶのも、また、それで言葉を修めるのだ(修辞)。よって、孔子がいう、「『詩経』を学ばなければ、それでいうことがない」(『論語』16-433)。後世は、つまり『書経』を読む方法によって、『詩経』を読み、これが勧善懲悪(善をすすめ、悪をこらしめる)の設定なのだという。よって、その説は、鄭・衛の国の、みだらな男女関係の詩に至って究極だ。そのうえ、その伝える意義・理の教訓は、わずかで、すくい上げても満たせない。本当に、その説のようになれば、聖人は、なぜ、また、別に訓戒の書物を作らないで、このまわりくどい計略によってするのか。よって、すべて、『詩経』を知らないものの説なのだ。『詩経』の(各篇冒頭の)序のようなものは、つまり昔の人が、一時、その意味によって詩を解釈する言葉で、その理由を述べて、意味は、自然に現われた。何の字句の解釈を借りるのか。しかし、詩は元々、定義がない。なぜ必ずしも序のいうことを守って、それで不変の説とするのか。(『詩経』の全体冒頭の》大序のようなものは、つまり関雎(1篇)の解説で、昔の人が、たまたま関雎を引き伸ばして、それでこれ(大序)を長くしたのだ。後世の儒学者は、(その)事を解釈せず、分析して大・小の序とした。笑うことができるもので、ひどいのだ。》

 

※『詩経』:諷詠(ほのめかす詩歌)の辞(字句)を修める、詩=定義なし、意義・理の教訓がわずか

 ・孔子:『詩経』を学ばなければいうことなし

 ・後世:『書経』を読むの法(方法)で『詩経』を読む

 

・大氐詩之為言、上自廟堂、下至委巷、以及諸侯之邦、貴賤男女、賢愚美悪、何所不有。世変邦俗、人情物態、可得而観。其辞婉柔近情、諷詠易感。而其事皆零砕猥雑、自然不生矜持之心。是以君子可以知宵人、丈夫可以知婦人、朝廷可以知民間、盛世可以知衰俗者、於此在焉、且其為義、不為典要、美刺皆得、唯意所取。引而伸之、触類而長之、莫有窮已。故古人所以開意智、達政事、善言語、使於隣国、専対酬酢者、皆於此得焉。書為正言。詩為微辞。書立其大者。詩不遺細物。如日月之代明、如陰陽之並行。故合二経而謂之義之府也。

 

[大氐(たいてい)、詩の言(げん)たる、上(かみ)は廟堂(びょうどう)より、下(しも)は委巷(いこう)に至り、もって諸侯の邦(くに)に及ぶまで、貴賤男女、賢愚美悪、何のあらざる所ぞ。世変・邦俗、人情・物態、得て観るべし。その辞は婉柔(えんじゅう)にして情に近く、諷詠(ふうえい)は感ぜしめやすし。しかれども、その事は皆、零砕(れいさい)・猥雑(わいざつ)にして、自然に矜持(きょうじ)の心を生ぜず。ここをもって君子は、もって宵人(しょうじん)を知るべく、丈夫は、もって婦人を知るべく、朝廷は、もって民間を知るべく、盛世は、もって衰俗を知るべき者は、ここにおいて在(あ)り、かつその義為(た)る典要とならざるも、美・刺、皆、得、ただ意の取る所のままなり。引きて、これを伸ばし、類に触れて、これを長ぜば、窮(きわ)まり已(や)むことあることなし。ゆえに古人の意智を開き、政事に達し、言語を善(よ)くし、隣国に使して専対・酬酢(しゅうさく)する所以(ゆえん)の者は、皆ここにおいて得(う)。書は正言たり。詩は微辞たり。書はその大なる者を立つ。詩は細物を遺(のこ)さず。日月の代わるがわる明らかなるがごとく、陰陽の並び行(めぐ)るがごとし。ゆえに二経を合して、これを義の府というなり。]

 

《たいてい、『詩経』の言葉は、上位では、朝廷から、下位では、細々した街中の小道に至るまで、それで諸侯の国に及ぶまで、貴賤・男女も、賢愚・美徳か悪徳かも、何がないことなのか。世の中の変化・国の習俗、人の情・物の状態は、得て観察することができる。その言葉は、美しく穏やかで、情に近く、ほのめかす詩歌は、感じやすい。しかし、その事は、すべて、粉々で入り乱れて、自然に自負の心を生じない。こういうわけで、君子(立派な人)は、それで庶民を知ることができ、一人前の男性は、それで女性を知ることができ、朝廷は、それで民間を知ることができ、隆盛の世の中は、それで衰退の俗世を知ることができるのは、ここ(『詩経』)にあり、そのうえ、その意義となる規則の要点でなくても、美称・風刺は、すべて、得て、ただ意味の取ることのままなのだ。引いて、これ(意味)を伸張し、同類に触れて、これ(意味)を深長にすれば、探究を止めることがない。よって、昔の人が、深い知恵を広くし(『論語』17-443)、政事を達成し(『論語』13-307)、言葉をよくし(『論語』16-433)、隣国に使者を派遣して、独自で返答・応対する理由は、すべて、ここ(『詩経』)で得られる。『書経』は、ありのままの言葉だ。『詩経』は、微妙な言葉だ。『書経』は、その偉大なものを確立した。『詩経』は、細々したものを残していない。日・月の代わる代わるが明らかなようなもので、陰陽の並び巡るようなものだ。よって2経を合わせて、これを意義の倉庫というのだ。》

 

※『詩経』:美(美称)・刺(風刺)を得て意(意味)を取る、伸ばし長じ窮める(伸張・深長して探究)

 ・世変(世の中の変化)・邦俗(習俗)、人情(人の感情)・物態(物の状態)をすべて観察できる

 ・昔の人:意智を開く(深い知恵を広く)、政事に達す(達成)、言語(言葉)を善く、

       隣国に使(使者を派遣)して専対(独自で返答)・酬酢(応対)

 

 ・辞(字句):婉柔(美しく穏やか)、情に近い、諷詠(ほのめかす詩歌)は感やすい、

         零砕(粉々)・猥雑(入り乱れ)、自然に矜持(誇り)の心を生じず

※書・詩=義の府(意義の収蔵庫) ~ 陰陽の並び行(巡)る

 ・『書経』=正言(ありのままの言葉)、大なる(偉大)ものを立つ(確立)

 ・『詩経』=微辞(微妙な言葉づかい)、細物(細々したもの)を遺(残)さず

 

・若夫礼楽者徳之則也。中和者徳之至也。精微之極、莫以尚焉。然中和無形、非意義所能尽矣。故礼以教中、楽以教和。先王之形中和也。礼楽不言、能養人之徳性、能易人之心思。心思一易、所見自別。故致知之道、莫善於礼楽焉。且先王所以紀綱天下立生民之極者、専存於礼矣。知者思而得焉、愚者不知而由焉。賢者俯而就焉、不肖者企而及焉。其或為一事出一言也、必稽諸礼、而知其合於先王之道与否焉。故礼之為言体也。先王之道之体也。雖然、礼之守太厳。苟不楽以配之、亦安能楽以生乎。故楽者生之道也。鼓舞天下、養其徳以長之、莫善於楽。故礼楽之教、如天地之生成焉。君子以成其徳、小人以成其俗、天下由是平治、国祚由是霊長。先王之教之術、神矣哉。四術之尽於教也。

 

[もし、夫(そ)れ礼楽なる者は、徳の則(のり)なり。中和なる者は、徳の至りなり。精微の極にして、もってこれに尚(くわ)うるなし。しかれども中和は形なく、意義のよく尽くす所にあらず。ゆえに礼は、もって中を教え、楽は、もって和を教う。先王の中和に形づくれるなり。礼楽は言(ものい)わざれども、よく人の徳性を養い、よく人の心思を易(か)う。心思、一たび易えれば、見る所自(おの)ずから別(わか)る。ゆえに知を致す(致知)の道は、礼楽より善(よ)きはなし。かつ先王の天下を紀綱(きこう)し生民の極を立つる所以(ゆえん)の者は、専(もっぱ)ら礼に存す。知者は思いて得、愚者は知らずして由(よ)る。賢者は俯(ふ)して就(つ)き、不肖者は企(つまだ)ちて及ぶ。そのあるいは一事を為(な)し一言を出(いだ)すや、必ずこれを礼に稽(かんが)えて、その先王の道に合すると否(いな)とを知る。ゆえに礼の言たる、体なり。先王の道の体なり。しかりといえども、礼の守りは太(はなは)だ厳なり。いやしくも楽(がく)、もってこれに配せずんば、またいずくんぞ、よく楽しみて、もって生ぜんや。ゆえに楽なる者は生ずるの道なり。天下を鼓舞(こぶ)し、その徳を養いて、もってこれを長ずるは、楽より善きはなし。ゆえに礼楽の教えは、天地の生成のごとし。君子は、もってその徳を成し、小人は、もってその俗を成し、天下これに由(よ)りて平治し、国祚(こくそ)これに由りて霊長なり。先王の教えの術は、神なるかな。四術の教えを尽くせばなり。]

 

《さて、そもそも礼楽なるものは、徳の法則だ。中和なるものは、徳の至極なのだ。(中和は、)精緻の至極で、それでこれに加えることがない。しかし、中和は、形がなく、意義が充分に尽くすことはない。よって、礼は、それで中を教え、楽は、それで和を教える。先王の中和に形づくられるのだ。礼楽は、物いわなくても、充分に人の徳性を養い、充分に人の思考を変える。思考は、一度変えれば、見ることが自然に分別する。よって、智恵に至る道は、礼楽よりも、よいものはない。そのうえ、先王が天下を統治し、人民の至極を確立する理由は、ひたすら礼に存在する。知者は、思って得て(『孟子』11-155)、愚者は知らずによる。賢者は、ヒレ伏して、つきしたがい、不賢者は、ツマ先立ちして及ぶ。それが一事をしたり、一言を出したりして、必ずこれを礼で考えて、それが先王の道に合っているか否かを知る。よって、礼の言葉は、本体なのだ。先王の道の本体なのだ。そうはいっても、礼の守りは、とても厳しいのだ。もしも、楽が、それでこれ(礼)に配するのがなければ、また、どうして充分に楽しんで、それで生じるのか。よって、楽なるものは、生じる道なのだ。天下を奮い立たせ、その徳を養って、それでこれを生長するのは、楽よりも、よいものはない。よって礼楽の教えは、天地の生成のようなものだ。君子(立派な人)は、それでその徳を成し(成徳)、庶民は、それでその習俗をなし、天下が、これによって平定・統治し、国の幸福が、これによって天運で長く続くのだ。先王の教えの術は、神秘だな。4つの術の教えを尽くせばなのだ。》

 

※礼・楽=徳の則(規則)、知を致す(智恵に至る)道の最善策

 ・物いわず、人の徳性を養う、人の心思(思考)を易(変)える→見るところが別れる

 ・礼楽の教え:天地の生成

  ‐君子:成徳(徳を成す)

  ‐小人:成俗(俗を成す)

  ‐天下:平治(平定・統治)

  ‐国祚(国の幸福):霊長(天運で長く続く)

 ・礼:中を教える

 ・楽:和を教える

   → 先王の中和に形づくられる

※中・和=徳の至、精微(精緻)の極、形なし、意義を尽くさず

※礼:先王が天下を紀綱(統治)・生民(人民)の極を立つ(確立)、先王の道に合する、守りが厳しい

 ・礼の言葉=先王の道の体(本体)

 ・知者:思って得る

 ・愚者:知らずに由る

 ・賢者:俯(屈伏)して就く(成就)

 ・不肖(不賢)者:企ち(ツマ先立ちし)て及ぶ

※楽:生じるの道、配すれば楽しい、天下を鼓舞(奮い立たせる)・徳を養い長ずる(生長)の最善策

※先王の4術の教えを尽くす → 神(神秘的)

 

 

(23)

・「吾道一以貫之、豈特参賜乎。孔門諸子、皆聞而知之矣。宋儒推尊思孟、而又推本諸曽子。是其道統之説也。豈可拠乎。或以一理言之、或以一心言之、或以誠言之。以一理言之者、天地人物皆爾。浮屠法身徧一切之見耳。以一心言之以誠言之者、知帰重於聖人之徳、而不知帰重於先王之道焉。孔子明言吾道。吾道者先王之道也。故孔子曰、文王既没、文不在茲乎。夫先王之道、安天下之道也。安天下之道在仁。故曰、一以貫之。何以謂貫之。仁一徳也。然亦大徳也。故可能貫衆徳焉。先王之道多端矣。唯仁可以之矣。辟如繦貫銭然。故曰貫。若一理也一心也誠也、則一而已矣。何必曰貫。故曽子曰、忠恕而已矣。忠恕為仁之方故也。曰而已矣者、猶之尭舜之道孝弟而已矣。孝弟豈尽於尭舜之道乎。則忠恕豈尽於道乎。然由是以求之、庶足以尽之矣。古人言語皆如此。後世理学者流、無有運用営為之意、急欲尽其理於目前也。故忠恕為理之虚象、而有天忠恕、聖人忠恕、学者忠恕、種種之説。豈曽子時語意邪。

 

[「吾(わ)が道は一(いつ)、もってこれを貫く」は、あに特(ただ)参(しん)・賜のみならんや。孔門の諸子は皆、聞きてこれを知れり。宋儒は、思・孟を推尊して、またこれを曽子(そうし)に推本す。これその道統の説なり。あに拠(よ)るべけんや。あるいは一理をもって、これをいい、あるいは一心をもって、これをいい、あるいは誠をもって、これをいう。一理をもって、これをいう者は、天地・人物、皆しかり。浮屠(ふと)の法身(ほっしん)徧(へん)一切の見(けん)のみ。一心をもって、これをいい、誠をもって、これをいう者は、重きを聖人の徳に帰するを知れども、重きを先王の道に帰するを知らず。孔子は「吾が道」と明言す。吾が道なる者は、先王の道なり。ゆえに孔子いわく、「文王すでに没し、文ここに在(あ)らずや」と。夫(そ)れ先王の道は、天下を安んずるの道なり。天下を安んずる道は仁に在り。ゆえにいわく、「一もってこれを貫く」と。何をもって「これを貫く」というや。仁は一徳なり。しかれども、また大徳なり。ゆえによく衆徳を貫くべし。先王の道は多端なり。ただ仁のみ、もってこれを貫くべし。辟(たと)えば繦(きょう)の銭を貫くがことく、しかり。ゆえに「貫く」という。一理や一心や誠やのごときは、すなわち一なるのみ。何ぞ必ずしも「貫く」といわん。ゆえに曽子いわく、「忠恕のみ」と。忠恕は仁を為(な)すの方なるがゆえなり。「のみ」という者は、なお「尭(ぎょう)・舜(しゅん)の道は、孝弟のみ」のごとし。孝弟は、あに尭・舜の道を尽くさんや。すなわち忠恕は、あに道を尽くさんや。しかれども、これに由(よ)りて、もってこれを求めば、もってこれを尽くすに足るに庶(ちか)し。古人の言語は、皆かくのごとし。後世の理学者流は、運用・営為の意あることなく、急(しきり)にその理を目前に尽くさんことを欲するなり。ゆえに忠恕は理の虚象為(た)りて、天の忠恕、聖人の忠恕、学者の忠恕の種種の説あり。あに曽子の時の語意ならんや。]

 

《「わが道は、ひとつで、それでこれ(道)を貫く」(『論語』4-81)は、どうして、ただ曽子・子貢(しこう、2人は孔子の弟子)だけなのか(いや、そうでない)。孔子の門徒の弟子達は、皆、聞いてこれ(ひとつの道)を知っている。宋代の儒学者は、子思(孔子の孫)・孟子(子思の孫弟子)を尊重して推し測り、また、これを曽子が元々だと推し測った。これは、その道統(道の正統)の説だ。どうして(それに)依拠することができるのか(いや、できない)。一理によって、これ(道)をいったり、一心によって、これ(道)をいったり、誠によって、これ(道)をいったりする。一理によって、これ(道)をいうものは、天・地、人・物、すべてそのようだ。仏陀(ブッダ)の法身(真実そのものの仏の姿)が、隅々まで行き渡る一切の見方なのだ。一心によって、これ(道)をいい、誠によって、これ(道)をいうものは、重視を聖人の徳に帰着することを知っているが、重視を先王の道に帰着すること知らない。孔子は、「わが道」と明言する。わが道なるものは、先王の道なのだ。よって、孔子がいう、「文王(殷末期の周の君主、周王朝の創始者・武王+周公旦の父)は、すでに死没し、文は、ここにないのか」(『論語』9-210)と。そもそも先王の道は、天下を安寧にする道だ。天下を安寧にする道は、仁にある。よって、いう、「ひとつで、これ(道)を貫く」と。何によって「これ(道)を貫く」というのか。仁は、ひとつの徳なのだ。しかし、また、偉大な徳なのだ。よって、充分に様々な徳を貫くことができる。先王の道は、多端緒なのだ。ただ仁だけが、それでこれ(道)を貫くことができる。例えば、銭の穴に通してまとめるヒモが銭を貫くようなものが、そうなのだ。よって、「貫く」という。一理・一心・誠のようなものは、つまり、ひとつなのだ。どうして必ず「貫く」というのか。よって、曽子がいう、「忠恕のみだ」(『論語』4-81)と。忠恕は、仁をする方法になるからだ。「のみ」というものは、ちょうど「尭・舜(古代中国の伝説上の帝王)の道は、孝(先祖崇拝+親孝行+子孫繫栄)・悌(年長者への従順)のみ」のようなものだ。孝悌は、どうして尭・舜の道を(それだけで)いい尽くすのか(いや、いい尽くせない)。つまり、忠恕は、どうして道を(それだけで)いい尽くすのか(いや、いい尽くせない)。しかし、これ(一理・一心・誠)によって、それでこれ(道)を探し求めれば、それでこれ(道)をいい尽くすのに充分近い。昔の人の言語は、すべて、このようなものだ。後世の理学者の流派は、運用・営為の意味があるのではなく、何度も、その理を目先でいい尽くそうとしたいのだ。よって、忠恕は、理の虚像になって、天の忠恕・聖人の忠恕・学者の忠恕の様々な説がある。どうして曽子の時代の語句の意味になるのか(いや、そうならない)。》

 

※孔子:道=一つを貫く(いい尽くせない) → 運用・営為の意(意味)あり

 ・道:わが道=先王の道=天下を安らかにする道

 ・貫く:先王の道の多端(多方面)を仁(一徳・大徳)で貫く → 仁をする方(方法)=忠恕

※宋学:道=一理・一心・誠(いい尽くしたい) → 目前(目先)の理(徂徠が批判)

 ・道統(道の正統)の説:曽子(忠恕のみ)→子思・孟子を尊重

 ・道=一理:天・地や人・物のすべて ~ 仏教徒の法身偏一切の見(見方)

 ・道=一心・誠:聖人の徳への帰着を既知・重視、先王の道への帰着を無知・無視

 ・理の虚象(虚像)→天の忠恕・聖人の忠恕・学者の忠恕の説

 

 

(つづく)