空気・世間と人生の属性配分2~後半 | ejiratsu-blog

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人は何を考え(思想)、何を為し(歴史)、何を作ってきたのか(建築)を、主に書いたブログです。

(つづき)

 

 

●感情

 

 前半で、日本の特色は、形式重視・思想軽視と、結論づけましたが、形式には、思想のような内容がないので、内容があるはずだと錯覚し、形式に感情が入り込み(内在し)やすく、それが臨在感です。

 そこで、まず、前半に導き出した、主要な対比を取り上げると、次の2つになります。

 

※判断基準:二重(前半に前述)

・論理的判断:対立概念で把握(理知)、固定倫理 ~ 自主的

・空気的判断:臨在感的に把握(感情)、情況倫理 ~ 強制的

 

※両面(前半に前述)

・内面:思想、能力・利用価値、人間特有・意志での作為、物理的・科学的、相対的

  ~ 教化・啓蒙=内発的動機:自主的な受動・抵抗なし → 意識的で軟弱な能動・多極で合理的

・外面:形式、品格・存在価値、生命通有・自然な生成、心理的・宗教的、絶対的

  ~ 教化・啓蒙=外発的動機:強制的な受動・抵抗あり → 無意識で強固な能動・一極で非合理的

 

 このうち、欧米は、内面の思想等の系統を重視するので、論理的判断になり(上段どうし)、日本は、外面の形式等の系統を重視するので、空気的判断になる素地があります(下段どうし)。

 そして、山本七平は、『「水=通常性」の研究』で、空気が醸成された状態を、情報を隠蔽・統制した、閉鎖的集団の世界での、舞台演劇・祭儀のようだとしており、これは、外面の形式と同様で、後述(世間を5つのルールのひとつ)の神秘性(儀式性)と共通します。

 日本のように、情況倫理が支配的だと、空気が醸成されれば、通常性の水を差し、空気を消失させ、それを繰り返し続けるしかなく、これは、形式‐感情の系統といえますが、その繰り返しを断ち切るには、欧米のように、固定倫理を支配的にし、思想‐理知の系統に転換するしかありません。

 それは、すべての対象を対立概念で相対的・大局的に把握することで、そうすれば、問題解決の際に、自己が対象から自由になれるので、空気的に判断することはなくなり、論理的に判断できるのです。

 

 

●天皇制

 

 山本は、『「空気」の研究』で、天皇制を、偶像的対象への臨在感的把握と、感情移入の絶対化による、典型的な空気の支配と、言及していますが、天皇制の永続が歴史上確実な約1500年間、ずっと空気を醸成してきたとみるのは、とても無理があり、これも、形式に感情が入り込んだ代表例といえます。

 天皇が何をしてきたのかをみれば、たいして何もしていない期間があったり、することが時代とともに移り変わっているので、「何をするか」の利用価値は、現象にすぎず、「何(誰)であるか」の存在価値が、本質といえ、それは、次のようになります。

 

※天皇の両面

・現象=内面:思想、利用価値(祈祷・祭祀「をする」価値)

・本質=外面:形式、存在価値(日本をヨリ広く・ヨリ長く安定統治させた実績のある君主「である」価値)

 

 現代(戦後)に、アメリカ占領軍でさえ、天皇制を維持したのは、もし天皇制を廃棄すると、占領軍に対抗する勢力が、天皇家を庇護し、天皇の名のもとに発言・行動することで、円滑にしたい占領政策を邪魔されるからです。

 日本歴代の為政者達も、天皇は、日本をヨリ広く・ヨリ長く統治を安定させてきた、永年の実績があるので、自分の対抗勢力に、日本の正当性(歴代天皇の委任した政権が統治した国を、日本と定義できます)を奪取されないよう、庇護したのです。

 ちなみに、天皇の役割を、神仏等への祈祷・祭祀等と想定するのは、おそらく、人の合理的な政事・軍事(顕事/あらわごと)で吉(善)から凶(悪)になっても、非合理的な祈事・祭事(幽事/かくりごと)で、凶から吉へと回復させ、それを交互に反復させれば、永遠だという思想からでしょう。

 こうして、天皇には、何かがあるように、魅せ付けたいようですが、内容は何もなく、形式なのが実態で、それより天皇は、まず日本の絶対的な存在価値で、利用価値はそのつぎなので、歴代天皇は、自分の役割を模索するのです(存在価値は、いなくなることを想像してはじめて、価値がわかるものです)。

 

 余談ですが、皇室・宮内庁関連の年間予算(皇宮警察本部の人件費は除外)は、以下に示す通りで、国民1人あたり200円程度になります(全戸配布のアベノマスクが、約260億円だったので、同程度です)。

 

※皇室・宮内庁関連の予算(2021年度)

・皇室費:124.2148億円 → 99.2円/人

・宮内庁費:125.8949億円 → 100.5円/人

・合計:250.1097億円 → 199.8円/人

 *日本の人口: 1.2521億人(2021年9月1日現在)

 

 

■世間

 

 歴史学者の阿部謹也は、『「世間」への旅』で、「世間」という言葉は、自分の利害関係のある人々と、将来利害関係をもつであろう人々の全体の総称で、同質の人間からなるといい、『「世間」とは何か』で、世間の原理を3つ提示しています。

 それを、劇作家・演出家の鴻上尚史は、『「空気」と「世間」』で、次のように、世間を5つのルールにまとめました。

 

・贈与・互酬の関係 ~ エサの分け合い

・長幼の序 ~ 群れでの順位制・序列化

・共通の時間意識 ~ 群れでの行動

・差別的で排他的 ~ 他の群れとの住み分け

・神秘性(儀式性) → 臨在感的把握

 

 5つのうち、神秘性以外の4つは、動物の集団(個体群=群れ)にも共通するため、本能的な生命通有の形式といえ、神秘性のみが、人間特有の感情で、前述の臨在感的把握につながりますが、神秘性=儀式性としているので、形式に感情が入り込んでいることになり、結局5つすべてが形式です。

 そのうえ、自分の利害関係のような、明確で狭い範囲は、阿部のいう世間ではなく、特定少数なので、集団(共同体)というべきで、将来の利害関係のような、曖昧で広い範囲は、不特定多数なので、世間(世間体)というのが適切ではないでしょうか。

 この双方をひとまとめにした、集団‐世間の系統を、日本の近代化で導入された、個人‐社会(不特定多数)の系統と対比させると、次のようになります。

 

・[先]本音=日本土着:集団‐世間 ~ 形式‐感情(ウエット型):他律的(強制的)、所与・抑圧

・[後]建前=欧米外来:個人‐社会 ~ 思想‐理知(ドライ型):自律的(自主的)、自由・快適

 

 集団‐世間の系統は、所与・抑圧がある他律的(強制的)な、形式‐感情の系統と結び付き、これらが本音になり、個人‐社会の系統は、自由・快適がある自律的(自主的)な、思想‐理知の系統と結び付き、これらが建前になりました。

 それで、建前は、理知的なので、ドライ型(西洋的乾燥型)、本音は、感情的なので、ウエット型(東洋的湿潤型)といえます。

 なお、個人の概念は、ヨーロッパで、告解の普及(神と司祭の前で、犯した罪を明かす行為、カトリック教会代表による第4ラテラノ公会議/1215年で、成人男女に最低年1回を義務化)と、都市の成立により、登場したそうです。

 告解は、自己の内面を告白・贖罪することで、個人と絶対的な神が直結すると同時に、集団での旧来の慣習・迷信(アニミズム)等が一切拒否・駆逐され、それ以前のヨーロッパには、前近代の日本のような、集団‐世間の系統があったようですが、宗教的には、個人‐社会の系統に置換されました。

 当時は、階級社会による格差・貧困で、希望のない不安な生活を、宗教への強烈な信仰に支えられることで救われたいので、個人と神が直結しました。

 そののち、絶対王政(貴族の排除)では、個人と国王が直結し、民主政(国王の排除)では、個人と国家が直結したので、個人‐社会の系統が、常習化・形式化・日常生活化しました。

 しかし、現代の欧米での実際の生活は、個人と国家の間の中間団体が充実しているので、個人‐集団(共同体)‐社会の関係といえます。

 

 

■人生の属性配分

 

 さて、ここまで、空気・世間の正体を検討してきましたが、世間からどうみられ・どう評価されるかをあまり気にせず、場の空気での発言・行動がひどくならないようにするには、自分が特定の集団(縁者)に集中して頼り切らず、分散して支えられることで救われるのが大切です。

 そのために、まず、人生の属性が影響しますが、その対象は、血縁・地縁・社縁・学縁の4つが中心なので、それらを列挙すると、次のようになります。

 

※血縁

・[先]大家族=生産集団:農家・商家(家父長制)

  *親族+使用人の擬似家族、祖先崇拝→親孝行→子孫繁栄の3つで「家」を存続

・[後]核家族=消費集団:夫婦+子供で生活、親の仕事・家事+子の育児・教育

  *城下町に武家屋敷を支給された下級武士(家父長制)が背景、家電普及による家事軽減で実現

 

※地縁

・[先]村落共同体=生産者集団:村請制で利害関係が濃密、掟やぶりは村八分(火事・葬式以外は断絶)

  *持家の集合住宅は、区分所有により、資産・修繕・建替等で利害関係がある運命共同体

・[後]地域共同体=消費者集団:利害関係が希薄、都市化で多様化・個性化し、地域社会に

  *賃貸住宅は、地域に密着せず

 

※社縁

・[先]日本型の会社:年功主義・メンバーシップ型・等級給、上下関係が依存的・感情的(責任が曖昧)

  *存在価値優先で社員は家族、武士の主従制・商人の徒弟制・仏僧の師弟制・芸道の家元制が背景

・[後]欧米型の会社:実力主義・ジョブ型・職務給、上下関係が対比的・理知的(責任が明確)

  *利用価値優先で苦労と孤独

 

※学縁

・[先]小・中・高校:教育目的は、まず人格(存在価値)形成、つぎに能力(利用価値)向上

  *学力の大半は社会で不用、人格=道徳(害を少なくする守り)と能力=智恵(利を多くする攻め)を習得

・[後]塾・専門学校・大学:学習目的は、能力(利用価値)向上に特化

  *道徳を前提に、智恵を向上

 

 ここでは、強固な共同体を「先」としましたが、血縁と地縁は、近代化以降、大半が先から後へ移り変わっており、社縁は、経済低迷・生存競争激化の近年、先から後へ移り変わりつつあり、学縁は、進学で先から後か社縁へと移り変わり、この4つの他に、趣味縁・宗教縁等が想定できます。

 こうしてみると、場の空気は、「先」のような性質の共同体に、依存しすぎる個人間で共感して醸成されるため、注意すべきで、「後」のような性質の共同体は、個人の意見・主張や自由・快適を尊重される場だと、認識すべきです。

 

 また、近年の先進国では、政治・経済・文化・宗教等の各分野を、思想と形式で、おおむね次のように、使い分けられています。

 

※両面(前半に前述)

・内面=思想、利用価値、「~をする」論理、合理性:政治・経済・教育

・外面=形式、存在価値、「~である」論理、非合理性:文化(芸術・スポーツ)・学問・趣味・宗教

 

 空気の生滅は、すべての場において、ダメというわけでなく、場の空気で盛り上がっても、支障ないのは、形式‐感情(ウエット型)の系統(集団‐世間の系統)の、文化(芸術・スポーツ)・趣味等で、支障があるのは、思想‐理知(ドライ型)の系統(個人‐社会の系統)の、政治・経済等です。

 天皇が、合理的な政事・軍事と、非合理的な祈事・祭事を、交互に反復したように、大勢の人々の人生も、合理的な思想‐理知の系統である仕事・勉強等(ドライ型)と、非合理的な形式‐感情の系統である余暇・レジャー等(ウエット型)を、交互に反復・配分することになります。

 そして、合理的な思想‐理知の系統は、主に物的・量的な満足を請け負い、非合理的な形式‐感情の系統は、主に心的・質的な満足を請け負うことになるでしょう。

 それらの前提として、人生の属性配分を色々選択できるよう、欧米のように、個人と国家の間の中間団体が充実することが必要です。

 

(おわり)