「古今和歌集」序文読解1~真名序 | ejiratsu-blog

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●真名序(巻末):紀淑望(きのよしもち)

 

・夫和歌者、託其根於心地、発其華於詞林者也。

[それ和歌は、その根を心地に託し、その華を詞林(しりん)に発(ひら)くものなり。]

《そもそも和歌は、その根を心の大地に託し、その(和歌の)花を詩文の林(文壇)に咲かせるものだ。》

 

・人之在世、不能無為、思慮易遷、哀楽相変。

[人の世にある、無為なること能(あた)はず、思慮遷(うつ)り易(やす)く、哀楽相変(へん)ず。]

《人の世にいるのに、何もしないでいることはできず、思いは移ろいやすく、悲しみと楽しみは、相互に入れ変わる。》

 

・感生於志、詠形於言。

[感は志に生(しょう)じ、詠は言に形(あらは)る。]

《感情は志で生まれ、歌は言葉で形作る。》

 

・是以逸者其声楽、怨者其吟悲。

[ここをもつて、逸する者は、その声楽しく、怨(えん)ずる者は、その吟悲し。]

《それだから、逸脱した者は、その(歌の)声が楽しく、怨恨のある者は、その歌が悲しい。》

 

・可以述懐、可以発憤。

[もちて懐(おも)ひを述ぶべく、もちて憤(いきどお)りを発すべし。]

《よって、思いを述べるべきで、よって、憤りを発するべきだ。》

 

・動天地、感鬼神、化人倫、和夫婦、莫宜於和歌。

[天地を動かし、鬼神を感ぜしめ、人倫を化し、夫婦を和すること、和歌より宜(よろ)しきはなし。]

《天地(の神々)を動かし、鬼神を感じさせ、人の倫理で教化し、夫婦を穏和にするのに、和歌よりふさわしいものはない。》

 

・和歌有六義、一曰風、二曰賦、三曰比、四曰興、五曰雅、六曰頌。

[和歌に六義あり、一に曰(いは)く、風、二に曰く、賦(ふ)、三に曰く、比、四に曰く、興(きょう)、五に曰く、雅、六に曰く、頌(しょう)。]

《和歌には、6つの意義があり、1つ目が風(添え歌)、2つ目が賦(数え歌)、3つ目が比(準/なぞらえ歌)、4つ目が興(譬/たとえ歌)、5つ目が雅(正言/ただごと歌)、6つ目が頌(祝い歌)だ。》

 

 

・若夫春鶯之囀花中、秋蝉之吟樹上、雖無曲折、各発歌謡。

[かの春の鶯の花中に囀(さえず)り、秋の蝉の樹上に吟(うたう)ふがごとき、曲折なしといへども、各歌謡を発す。]

《あの春のウグイスが花の中でさえずったり、秋のセミが木の上で歌うように、創意工夫がなくても、各々が歌謡を発している。》

 

・物皆有之、自然之理也。

[物皆これあり、自然の理なり。]

《物にはすべて、これ(歌)があるのは、自然の摂理だ。》

 

・然而神世七代、時質人淳、情欲無分、和歌未作。

[然(しか)れども、神世七代は、時質に人淳(あつ)うして、情欲分(わ)かつことなく、和歌いまだ作(おこ)らず。]

《しかしながら、神世7代(クニノトコタチからイザナキ・イザナミまで)は、時間の本質において人が素直で、情欲が分かれることなく、和歌がまだ作られなかった。》

 

・逮于素戔烏尊、到出雲国、始有三十一字之詠。

[素戔烏尊(すさのおのみこと)の出雲の国に到るに逮(およ)びて、始めて三十一字の詠あり。]

《スサノオが出雲国へ到るようになって、初めて31文字の歌がある。》

 

・今反歌之作也。

[今の反歌の作(おこり)なり。]

《現在の反歌の起源だ。》

 

・其後雖天神之孫、海童之女、莫不以和歌通情者。

[その後、天神の孫、海童(わたつみ)の女といえども、和歌をもちて情を通ぜずといふことなし。]

《そののち、天上の神の孫が、たとえワタツミ(海神)の娘でも、和歌によって、感情を通わせ合っていないことはない。》

 

・爰及人代、此風大興、長歌短歌旋頭混本之類、雑体非一、源流漸繁。

[爰(ここ)に人代に及びて、この風大きに興り、長歌・短歌・旋頭・混本の類(たぐい)、雑体一にあらず、源流漸(ようやく)く繁し。]

《ここに人代になって、この(歌の)風が大いに興り、長歌・短歌・旋頭歌・混本歌の種類や雑体は、ひとつではなく、源流はしだいに繫栄した。》

 

・譬猶払雲之樹、生自寸苗之煙、浮天之波、起於一滴之露。

[譬(たと)へば、なほ、雲を払ふ樹の寸苗の煙より生(おこ)り、天を浮ぶる波の一滴の露より起こるがごとし。]

《たとえば、あたかも雲を払いそうな木の早苗が、煙から生じたり、天に浮かぶ波の一滴が、露から起こるようだ。》

 

・至如難波津之什献天皇、富緒川之篇報太子、或事関神異、或興入幽玄。

[難波津の什(じゅう)を天皇に献(たてまつ)り、富緒川の篇(へん)を太子に報(むく)へしがごときに至りては、あるいは事、神異に関(かかわ)り、あるいは興、幽玄に入る。]

《難波津の詩編を(仁徳/16代)天皇に献上し、富緒川の詩編を(聖徳)太子に報いるように至っては、詩事が神の霊威に関わることもあるし、詩興が幽玄に入ることもある。》

 

・但見上古歌、多存古質之語、未為耳目之翫、徒為教戒之端。

[但(ただ)し、上古の歌を見るに、多くの古質の語を存し、いまだ耳・目の翫(がん)とせず、徒(いたづ)らに教戒の端とせり。]

《ただし、大昔の歌をみると、多くの古い体質の語句が存在し、いまだに耳・目で深く味わわず、無駄に教え戒めの発端としている。》

 

・古天子、毎良辰美景、詔侍臣預宴筵者献和歌。

[古(いにいへ)の天子、良辰(りょうしん)・美景ごとに、侍臣(じしん)の宴筵(うたげのむしろ)に預かる者に、詔(みことのり)して和歌を献(たてまつ)らしむ。]

《昔の天皇は、良い時節・美しい景色ごとに、近臣の宴席を主催する者に、天皇が命令し、和歌を献上させる。》

 

・君臣之情、由斯可見、賢愚之性、於是相分。

[君臣の情、これによりて見るべく、賢愚の性、ここにおきて相分(わか)る。]

《君主と臣下の心情は、これによってみるべきで、賢いか愚かかの性質は、これによって相互に分かり合える。》

 

・所以隋民之欲、択士之才也。

[民の欲(ねが)ひに隋(したが)ひて、士の才を択(えら)ぶ所以(ゆえん)なり。]

《人民の願いに応じて、役人の才能を選び抜く根拠になる。》

 

 

・自大津皇子之初作詩賦、詞人才子慕風継塵、移彼漢家之字、化我日域之俗。

[大津皇子(みこ)の初めて詩賦を作りしより、詞人・才子、風を慕(した)ひ塵に継ぎ、かの漢家の字を移して、我が日域(にちいき)の俗を化す。]

《大津皇子(天武天皇/40代の息子)が初めて漢詩を作ってから、詩人・才能のある者は、(皇子の)詩風を慕い、(皇子の)遺業を継ぎ、あの漢王朝の文字を移入して、わが天下の習俗が変化した。》

 

・民業一改、和歌漸衰。

[民の業、一たび改りて、和歌漸(ようや)く衰へぬ。]

《人民の生業が、すっかり改変され、和歌がしだいに衰退した。》

 

*然猶有先師柿本大夫者、高振神妙之思、独歩古今之間。

[然(しか)れども、なほ先師・柿本の大夫という者あり、高く神妙の思ひを振りて、古今の間に独歩せり。]

《しかしながら、それでもなお、先達の柿本(人麻呂)の大夫という者がいて、高らかに神の霊妙の思いを歌い上げ、昔から今までの間で比類なく、すばらしい。》

 

*有山辺赤人者、並和歌仙也。

[山辺の赤人(あかひと)といふ者あり、ともに和歌の仙(ひじり)なり。]

《山部赤人という者がいて、(柿本人麻呂)とともに、和歌で極めて優れている。》

 

・其余業和歌者、綿々不絶。

[その余の和歌を業とする者、綿々として絶えず。]

《その他に和歌を生業とする者は、途切れず絶えなかった。》

 

・及彼時変澆漓、人貴奢淫、浮詞雲興、艶流泉涌、其実皆落、其華孤栄。

[かの時、澆漓(げうり)に変じ 人は奢淫(しゃいん)を貴(たっと)ぶに及びて、浮詞(ふし)雲のごとく興り、艶流泉のごとく涌き、その実皆落ち、その華孤(ひと)り栄える。]

《その時世には、人情が薄く変わり、人がおごり・みだらを貴ぶようになり、うわついた言葉が雲のように興り、つややかな流派が泉のように湧き、その(歌の)実がすべて落ち、その(歌の)花だけが栄えた。》

 

・至有好色之家、以此為花鳥之使、乞食之客、以此為活計之謀。

[好色の家は、これをもちて花鳥の使とし、乞食の客は、これをもちて活計の謀(ぼう)となすことあるに至る。]

《色好みの家は、これによって、恋の仲立ちをし、乞食の訪問者は、これによって、生活の手段にすることがあるようになる。》

 

・故半為婦人之右、雖進大夫之前。

[ゆえに、半ば婦人の右となり、大夫の前に進めがたし。]

《だから、一方の女性には、頼りになり、(他方の)男性の前には、勧めにくい。》

 

・近代、存古風者、纔二三人而巳。

[近き代に、古風を存する者は、纔(わづか)に二・三人なり。]

《近い時代に古風を持つ者は、わずか2~3人だ。》

 

・然長短不同、論以可弁。

[然(しか)れども、長短同じからず、論じてもちて弁(わきま)ふべし。]

《しかしながら、(古風と今風の)長所・短所は同じでなく、論じることによって、弁別すべきだ。》

 

①華山僧正、尤得歌体。

[華山(かざん)僧正(そうじょう)は、尤(もっと)も歌の体を得たり。]

《花山僧正(遍昭)は、最も歌を体得している。》

 

・然其詞華而少実。

[然(しか)れども、その詞、華にして実少なし。]

《しかしながら、その言葉は、華やかで、実が少ない。》

 

・如図画好女、徒動人情。

[図画の好女、徒(いたづ)らに人の情を動かすがごとし。]

《絵に描いた美女で、無駄に人の感情を動かすようだ。》

 

②在原中将之歌、其情有余、其詞不足。

[在原の中将が歌は、その情(こころ)余りありて、その詞足らず。]

《在原(業平)の中将の歌は、その(彼の)感情があり余って、その(歌の)言葉で尽くせない。》

 

・如萎花雖少彩色、而有薫香。

[萎(しぼ)める花の彩色少なしといへども、薫香あるがごとし。]

《しぼんだ花の彩色が少ないといっても、よい香りがあるようだ。》

 

③文琳、巧詠物。

[文琳は、巧みに物を詠ず。]

《文琳(文屋康秀/ふんやのやすひで)は、巧みに物を詠む。》

 

・然其体近俗。

[然(しか)れども、その体(てい)俗に近し。]

《しかしながら、それ(和歌)自体は、世俗に近い。》

 

・如賈人之着鮮衣。

[賈人(こじん)の鮮かなる衣を着たるがごとし。]

《商人が鮮やかな衣服を着ているようだ。》

 

④宇治山僧喜撰、其詞華麗、而首尾停滞。

[宇治山の僧・喜撰(きせん)は、その詞華麗にして、首尾停滞せり。]

《宇治山の仏僧・喜撰は、その(和歌の)言葉が華麗で、終始停滞している。》

 

・如望秋月遇暁雲。

[秋の月を望むに、暁(あかつき)の雲に遇(あ)へるがごとし。]

《秋の月を眺望するのに、夜明け前の雲に出会うようだ。》

 

⑤小野小町之歌、古衣通姫之流也。

[小野小町が歌は、古(いにしえ)の衣通(そとおり)姫の流なり。]

《小野小町の歌は、昔のソトオリヒメ(允恭天皇/19代の娘で、同母兄と関係をもって心中)の流派だ。》

 

・然艶而無気力。

[然(しか)れども、艶にして、気力なし。]

《しかしながら、つややかで、気力がない。》

 

・如病婦之着花粉。

[病める婦の花粉を着けたるがごとし。]

《病弱の婦人が、花粉で化粧しているようだ。》

 

⑥大友黒主之歌、古猿丸大夫之次也。

[大友黒主(くろぬし)が歌は、古(いにしえ)の猿丸大夫の次なり。]

《大友黒主の歌は、昔の猿丸太夫の次だ。》

 

・頗有逸興、而体甚鄙。

[頗(すこぶ)る逸興(いっきょう)ありて、体甚だ鄙(ひな)し。]

《非常におもしろみがあって、それ(和歌)自体は、とても田舎風だ。》

 

・如田夫之息花前也。

[田夫(でんぷ)の花の前に息(やす)めるがごとし。]

《農夫が花の前で、休息しているようだ。》

 

‐此外氏姓流聞者、不可勝数。

[この外に氏姓流れ聞ゆる者、勝(あげ)て数ふべからず。]

《この他に氏・姓の知れ渡る者を、挙げて数えてはいけない。》

 

・其大底皆以艶為基、不知和歌之趣者也。

[その大底は皆、艶をもちて基をなし、和歌の趣きを知らざる者なり。]

《その大本はすべて、つややかさをもつのを基本とし、和歌の趣きを知らない者だ。》

 

・俗人争事栄利、不用詠和歌、悲哉、悲哉。

[俗人争(いか)でか栄利を事として、和歌を詠ずることを用いざる、悲しきかな、悲しきかな。]

《俗人は、どうして栄誉・利益のために、和歌を詠むのを用いてしまうのか、悲しいよ、悲しいよ。》

 

・雖貴兼相将、富余金銭、而骨未腐於土中、名先滅世上。

[貴(たっと)きは、相・将を兼ね、富は金銭を余(よ)せりといへども、骨いまだ土中に腐(く)ちざるにして、名先(ま)づ世上に滅す。]

《貴いのは、宰相と将軍を兼ねて、富の金銭を余らせても、骨がいまだに土の中で腐らずに、名が先に世の中から消滅する。》

 

・適為後世被知者、唯和歌之人而巳。

[適(かな)うは、後世になすを知らるる者は、唯和歌の人のみ。]

《叶うのは、後世に(名を)なして知られる者が、ただ和歌の人だけなのだ。》

 

・何者、語近人耳、義慣神明也。

[いかにとなれば、語は人の耳に近く、義は神明に慣(なら)へばなり。]

《どうしてかといえば、言葉は人の耳に近く、意義は神々に教わるからだ。》

 

 

・昔平城天子、詔侍臣令撰万葉集。

[昔、平城(へいぜい)の天子、侍臣(じしん)に詔(みことのり)して万葉集を撰ばしむ。]

《昔に平城天皇(51代、在位806~809年)が、近臣に命令して、「万葉集」を選定させた。》

 

・自爾来、時歴十代、数過百年。

[それより来、時は十代を歴(へ)、数は百年を過ぎたり。]

《それ以来、時代は10世代を経て、年数は100年が過ぎた。》

 

・其後、和歌弃不被採。

[その後、和歌棄てて採られず。]

《そののち、和歌は廃棄され、採用されなかった。》

 

・雖風流如野宰相、軽情如在納言、而皆以他才聞、不以漸道顕。

[風流、野宰相のごとく、軽情、在納言のごとしといへども、皆、他の才をもちて聞え、この道をもちて顕(あら)はれず。]

《風流は、野宰相(小野篁/たかむら)のようで、薄情は、在納言(在原行平)のようだが、全員が他の才能をもって聞こえており、この(和歌の)道によって現れていなかった。》

 

・陛下御宇于今九載。

[陛下の御宇(ぎょう)、今に九載なり。]

《(醍醐天皇/60代、在位897~930年)陛下の治世は、現在9年になる。》

 

・仁流秋津洲之外、恵茂筑波山之陰。

[仁は秋津洲の外に流れ、恵は筑波山の陰よりも茂(しげ)し。]

《(醍醐天皇の)仁愛は、日本国外にも流れ、恩恵は、筑波山の影よりも茂っている。》

 

・淵変為瀬之声、寂々閇口、砂長為巌之頌、洋々満耳。

[淵の変じて瀬となす声、寂々(じゃくじゃく)として口を閉ぢ、砂の長じて巌(いはほ)となる頌(しょう)、洋々として耳に満(みち)てり。]

《淵が変わって瀬になる声は、ひっそりとして口を閉じ、砂が長年で大岩になる祝い歌を、あふれるばかりに耳に満ちている。》

 

・思継既絶之風、欲興久廃之道。

[既に絶えし風を継がむと思いて、久しく廃(すた)れし道を興さむと欲(ほ)っす。]

《すでに途絶えた風習を継ごうと思って、長くすたれた道を再興しようとした。》

 

・爰詔大内記紀友則、御書所預紀貫之、前甲斐少目凡河内躬恒、右衛門府生壬生忠峯等、各献家集并古来旧歌、曰続万葉集。

[爰(ここ)に、大内記(だいないき)・紀友則、御書所預(ごしょのところのあずかり)・紀貫之、前(さき)の甲斐の少目(しょうさかん)・凡河内躬恒(おほしかふちのみつね)、右衛門府生(うえもんのふしょう)・壬生忠岑(みぶのただみね)等に詔して、各に家の集、ならびに古来の旧歌を献(たてまつ)らしめ、続万葉集といふ。]

《ここに、大内記の紀友則、御書所預の紀貫之、前・甲斐少目の凡河内躬恒、右衛門府生の壬生忠岑等に、天皇が命令し、各々の家集・古来の旧歌を献上させ、「続万葉集」という。》

 

・於是重有詔、部類所奉之歌、勒為二十巻、名曰古今和歌集。

[ここにおいて、重ねて詔(みことのり)あり、奉(たてまつ)る所の歌を部類し、勒(ろく)して二十巻とし、名づけて古今和歌集といふ。]

《ここにきて、再度天皇の命令があり、奉献した歌を分類し、整理して20巻とし、名づけて「古今和歌集」という。》

 

・臣等、詞少春花之艶、名竊秋夜之長。

[臣等、詞は春の花の艶少なきに、名は秋の夜の長きを竊(ぬす)めり。]

《臣下等が、言葉は春の花のつややかさを少なくし、名は秋の夜の長さを盗み取った。》

 

・況哉、進恐時俗之嘲、退慙才芸之拙。

[況(いは)むや、進みては時俗の嘲(あざけり)を恐れ、退きては才芸の拙(つたな)きを慙(は)づるを。]

《いうまでもなく、進んでは、時代の風俗を嘲笑されるのを恐れ、退いては、才能・技芸の稚拙さを恥じるのだ。》

 

・適遇和歌之中興、以楽吾道、之再昌。

[適(かな)うは、和歌の中興に遇(あ)ひて、もちて吾が道の再び昌(さか)りなることを楽しぶ。]

《叶うのは、和歌の中興に出会って、それによって、わが道が再度栄えることを楽しむのだ。》

 

・嗟乎、人丸既没、和歌不在斯哉。

[ああ、人麻呂既に没して、和歌ここにあらずや。]

《ああ、(柿本)人麻呂は、すでに死没して、(彼の)和歌(の心)は、ここに存在しないのか(いや、存在している)。》

 

・于時延喜五年歳次乙丑四月十五日、臣貫之等謹序。

[時に延喜(えんぎ)五年、歳次(さいじ)は乙丑(きのとうし)、四月十五日、臣貫之等、謹みて序す。]

《(編纂)時期は延喜5(905)年、十干十二支(じっかんじゅうにし)はキノト・ウシ、4月15日、臣下の(紀)貫之等が、謹んで序を記した。》

 

 

*:歌聖(柿本人麻呂・山部赤人の2人)

丸数字:六歌仙(僧正遍昭・在原業平・文屋康秀・喜撰法師・小野小町・大友黒主の6人)

 

(つづく)