自然の循環と現代の生活・思考・行為 | ejiratsu-blog

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人は何を考え(思想)、何を為し(歴史)、何を作ってきたのか(建築)を、主に書いたブログです。

 日本では古来より、生活を、一日だと太陽の運行の朝→昼→夕→夜→朝→…、一年だと四季の変化の春→夏→秋→冬→春→…と繰り返される移り変わりに重ね合わせるとともに、思考や行為も、増進→最盛→減退→死滅(仮死)・再生→増進→…と繰り返される移り変わりに重ね合わせてきました。
 これは、自然の摂理である循環と、人々の生活・思考・行為等を同化させれば、自然のように永久不死不滅になるとされてきたからです。
 神道では、普通に日常生活していても、年月が経過すれば、しだいに生気・精気が減衰、心身に不潔さ・不浄さが蓄積し(ケガレ=気枯れ)、やがてそれが災厄の要因にされてきたので、生気・精気回復、心身清潔化・清浄化のために、定期的にケガレをキヨメる行為(ミソギ・ハライ)が繰り返されています。
 また、仏教では、万物は流転し(無常)、人も生老病死が必然で(必死必滅)、何度も生まれ変わるとされ(輪廻転生)、そこから身体(物)はやがて死滅しますが、仮死→再生の儀式を執り行えば、霊魂(心)は継承でき、物的には永遠でなくても、心的には永遠になるとされました。
 それらの思想は、現代の生活・思考・行為等にも取り入れられているので、ここではそれらを紹介・考察していきます。
 
 
●掃除
 
 掃除は、日常で溜まったゴミ・汚れ等を取り除く作業ですが、「清掃」という言葉もあるように、不潔・不浄な状態を清潔・清浄な状態へと転換する行為ともいえ、これは神道でのケガレをキヨメる儀式と酷似しています。
 学校・会社等で、自分達が普段使用する場所を、欧米では、机上以外は業者が掃除する一方、日本では、自分達で清掃しますが、これは欧米だと、たんに物の除去という結果のみが大切なので、専門業者に依頼する一方、日本だと、物を除去する過程での、心の浄化も重要視しているのではないでしょうか。
 特に年末の大掃除は、一年を変化の周期とみれば、年末は仮死、年始は再生の時期なので、ケガレをキヨメる行為と、仮死→再生の時期が重ね合わせられています。
 年末の大掃除は、平安期から宮中で開始され、鎌倉期から禅寺でも普及し、江戸期から庶民にも浸透した、「煤(すす)払い」が起源で、社寺では現在も、新年を迎える準備をする「事始め」の12月13日に大掃除が行われ、年中行事(神事・仏事)のひとつなっています。
 宮中や神社では、ツミ(罪)・ケガレ(穢れ)や災厄等のハライ(祓い)の儀式は、日常執り行われていますが、毎年6月・12月の末日や臨時(大嘗祭・疫病流行・災害発生等)には、天下万民のための浄化の儀式・大祓(おおはらい)もあり、年末には煤払いと大祓で、キヨメる儀式を重ね合わせています。
 中国では、旧暦の正月・春節(しゅんせつ)前に、大掃除をする習慣があるので、日本と同様、新年の準備でしょう。
 一方、欧米では、季節のよい春に、大掃除しますが(スプリング・クリーニング)、これは冬に使用した燃料を燃焼させる方式の、暖房器具に溜まった汚れを取り除くのが起源で、日本の煤払いときっかけは同じですが、時期は旧暦でも多少ズレており、欧米は温暖=春、日本は新年=春という意識のようです。
 
 
●旅行・行楽
 
 かつての旅行は、皇室・貴族の社寺参詣、仏僧・隠者の修行、役人の赴任・転任、人民の税(庸・調等)の運搬や兵役での移動等、神仏祈願か、仕事が目的でした。
 神仏祈願での遠出は、飛鳥~奈良期に天武系の天皇達(天武・持統・文武・元正・聖武)が、藤原京や平城京の南方・吉野へ行幸し、そこは神聖な奥地とみなされたので、都会での日常生活のケガレをキヨメ、生気・精気回復しています。
 また、平安期に天智系の天皇達(宇多・花山・白河・鳥羽・後白河・御鳥羽・後嵯峨・亀山)が、吉野の南方・熊野へ参詣し、そこは死後の世界・浄土とみなされていたので、そこからの帰還は生まれ変わりを意味し、密教僧・修験者や、能因法師・西行・松雄芭蕉の霊場・霊山巡礼も、仮死→再生の行為でした。
 庶民も旅行できるようになったのは、戦乱が終息した江戸期からですが、それでも、名目では神仏祈願のための社寺参詣ですが、実際には観光・遊興も目的で、有名な大寺社には享楽施設も隣接していたため、そこに立ち寄るのも恒例でしたが、そこから大都市の見物に遠出することもありました。
 幕府は、江戸前期に仏寺をいくつかの宗派に整理・統制し(巨大な宗派は分裂させて弱体化)、庶民を全国各地の仏寺に登録させ(檀家・寺請制度)、そこでは戸籍を作成し、住所の移転や旅行の際には証文が必要で、幕府転覆運動阻止のため、庶民の行動を制限しましたが、神仏祈願は容認されていました。
 しかし、当時の庶民にとって旅費は相当な負担になり、大金を用意するのは困難なため、そこで編み出されたのが講(こう)で、そこに社寺所属の宿泊や案内の世話係・御師(おし、伊勢は、おんし)が関与することになります。
 講では、所属員全員が定期的に金銭を出し合い、その積立金がクジ引きで決めた数人の代表者の旅費や社寺への奉納金となって送り出し、一度代表者になれば次回からクジを引く権利を失いますが、金銭は払い続けるので、いつかは所属員全員が参詣できるよう配慮されており、農村では農閑期を利用しました。
 よって、旅行・行楽は、庶民に定着し、特に伊勢神宮は、内宮が皇祖神(庶民の多くは天皇を知らないので、太陽神として信仰)・アマテラス、外宮が穀物神・トヨウケヒメが祭神なので、天下泰平・五穀豊穣(商売繁盛)の祈願が目的の伊勢参詣は、簡単に許可されました。
 そのうち、奉公人は主人の、妻は夫の、子は親の許可なく無断で、金銭も持参せず、大勢の人々が仕事を投げ出し、家を抜け出して、伊勢神宮へ集団となって参詣する「お蔭参り(抜け参り)」が3度(1650年・江戸、1705年・京都、1830年・阿波)大流行しました。
 伊勢への道中や伊勢周辺では、金銭がなくても、施しが受けられ、関所では、所属の仏寺が発行した通行手形が必要ですが、伊勢参詣は特別で、柄杓(ひしゃく)があれば通過でき(大勢が押し寄せたため、対応不能だったと推測)、帰宅後も参詣の証拠があれば、主人・夫・親からのおとがめなしでした。
 この庶民の行動力は、江戸中・後期に飢饉が多発すると(享保の大飢饉・1732年、天明の大飢饉・1782~87年、天保の大飢饉・1833~39年)、百姓一揆・打ち壊し(長崎・1703年、江戸・1733年)へと波及し、江戸末期に西日本で、庶民が踊り狂う騒動(ええじゃないか・1867年)も発生しています。
 明治初期に御師制度は廃止されましたが、戦後の昭和中期からの旅行業者での団体旅行は、講や御師の手法の影響といえ、どちらも戦争後の平和な時期だからこそ、旅行・行楽が流行しました。
 現代の行楽・旅行は、勉強・仕事・家事等の日常生活からの解放、気分転換の効用があるので、生気・精気回復、ケガレをキヨメる、仮死→再生の行為ともいえ、パワースポット・ブームもその延長線上にあります。
 最近の国内旅行では、外国人観光客が次々に新名所を発見・紹介していますが、これは大勢の人々とは異なる新体験をすることに価値があり、そのために個性を発揮して開拓しようとしており、世間の自然な流れに迎合しすぎない意思は、人間が自然に対峙・克服しようとする欧米的な姿勢・態度です。
 一方、日本人は、能因法師→西行→松尾芭蕉と、先人の前例の足跡と重ね合わせるように、歌枕の名所・旧跡を追体験し、そこへ若干の主張を加味することに価値があり、この反復行為は、自然の摂理である循環に、自分が寄生・同化しようとしているようで、アニメの聖地巡礼もこの延長線上にあります。
 
 
●読書・観劇
 
 かつての読書は、写本しかなかったので、皇室・貴族や仏僧等の間でのみ流通し、まず儒教・仏教や中国文学等の漢籍(漢文・漢詩の書籍)が教養でした。
 つぎに和歌も教養になりましたが、和歌は、公的・外面的な表現なので(見せ掛けの内面)、伝統性が評価され、貴族の衰退とともに、定型化していったのとは対照的に、小説・随筆・日記は、私的・内面的な表現なので、微細な感情の変化で独創性が強調されるようになり、娯楽でした。
 また、かつての観劇は、奈良期に中国から宮廷へ持ち込まれた諸芸能・散楽(さんがく)が起源ですが、平安期に低俗さ・猥雑さから朝廷の庇護がなくなると、座を結成し、社寺の境内や街頭で庶民に披露され、物真似の猿楽や、水田稲作儀礼の伴奏付舞踊の田楽等へと発展しました。
 猿楽は、室町期に観阿弥・世阿弥父子が大成して風雅な能となり、滑稽な狂言と区別され、仮設的・祭祀的な能から、江戸期に常設的・世俗的な歌舞伎が出現、人形浄瑠璃も登場しています。
 庶民も読書・観劇できるようになったのは、戦乱が終息し、木版印刷が普及した江戸期からですが、武士はもちろん、町人や農民も、身分・地位等が固定化され、歴然とした上下関係・擬似的な親子関係の社会で、臣下の主君への忠義や、子の親への孝行が規範道徳でした。
 そのような社会での小説や人形浄瑠璃・歌舞伎等は、一方では、遊郭や史実を題材にした荒唐無稽な空想の世界で、人々が日常から現実逃避するか、他方では、実際にあった逸話を脚色し、外在的な規範の「義理」と、内在的な感覚の「人情」の対立・葛藤を描き出し、人々が共感するかの、いずれかでした。
 江戸期の知識人達は、新儒教(朱子学)や神道・古典を研究しましたが、庶民は、「虚」と「実」や、風雅と滑稽を揺れ動いており、これも一日の昼と夜、一年の夏と冬の対極を行き来しているようなので、自然の摂理である循環と重ね合わせ、同化しようとしたといえるのではないでしょうか。
 現代の読書も、教養か娯楽に大別でき、教養は知識の吸収、娯楽は感情の移入が目的で、娯楽の読書や現代の観劇も、旅行や行楽と同様、日常生活からの解放、気分転換の効用があります。
 
 
●年度
 
 日本の行政・企業の会計年度や学校の新学年が、いずれも4月スタートにしたのは(どちらも明治中期から)、春に始まり冬に終わり、それが繰り返される四季の循環と呼応させようとしたのではないでしょうか(外国のほとんどは、会計年度と新学年の開始月は一致していません)。
 特に、水田稲作の年間の作業工程では、稲穂のいったん乾いた種子も(仮死)、湿らせれば発芽・生長・結実し(再生)、それを永久に繰り返すので、四季のサイクルに合致しています。
 年間での、春(発芽)→夏(生長)→秋(結実)→冬(仮死)→春(再生)→…の四季のサイクルは、生涯での、誕生→成長→最盛→成熟→死没の人間のサイクルとも合致しているうえ、日間でも、朝(起床=再生)→昼(仕事・勉強等)→夕(帰宅)→夜(就寝=仮死)の太陽のサイクルが浸透しています。
 つまり、大勢の日本の人々の一生・一年・一日の3段階で、サイクルが一致しているうえ、そのサイクルは自然の摂理である循環とも一致していることがわかります。
 おもしろいことに、欧米等の学校での新学年9月スタートは、秋に種蒔、冬から春にかけて生長し、夏に収穫する、本来の小麦栽培の年間の作業工程と合致しており、子供の教育は、主食用の農作物の生産と無関係ではないようです。
 
 
●先例(好例)の踏襲
 
 近年、中国のパクリ(盗作)が話題になっていますが、日本もかつて、古代には中国から、近代には欧米から、農業・工業等の産業、文字・文学・歌舞音曲・器・茶等の文化、仏教・儒教・道教等の宗教、統治制度や住居・建築・都市等、様々な先進文物・技術を移入しており、そこから独自性も出現しました。
 日本発祥といえるものには、前方後円墳、八角墳、仮名文字、和歌、寝殿造、書院造、枯山水、連歌、天守+城郭、能、狂言、歌舞伎、茶道、華道、俳句等がありますが、これらは方墳・円墳、漢字、漢詩、高床住居、中国・朝鮮庭園、城壁都市、散楽、中国茶、仏教の供花等、中国・朝鮮の影響が前提です。
 学習とは本来、真似・模倣からはじまり、要は最終的な成果物が、わからないくらい上手に真似したか、わかるくらい下手に真似したか、本物以上か、本物以下か、質の差で評価され、上手に真似し、本物以上だと、進歩・発展といわれますが、あまりにも新奇すぎると、逆に人々に共感されず受け入れられません。
 日本では、良くも悪くも、本物を完全に真似しなかったというより、できなかったというべきで、大国と張り合えるだけの量がないので、物的な模倣は早々に断念し、心的な模倣・創意工夫を追求しましたが、それで都合よく変容させてきたのが、今日では独自性と評価されているのではないでしょうか。
 そして、そもそも最初から先人の前例を超えようと、新しい発見・発明を意図してはおらず、それよりも伝統を把握・真似し(守/しゅ)、その基本を研究して改良・改善(破/は)、独自性が発揮できるのは最後で(離/り)、千利休や松尾芭蕉も晩年に、先例とは多少異なる新しい境地へ到達しています。
 真似・模倣は、最初に取り組むべき、ごく自然な方法で、これは大自然にいきなり立ち向かおうとせず、寄り添うように生活する姿勢・態度と類似しており、自然の摂理である循環と同化しようとする行為の一種ともいえますが、そこから先例を巧妙に利用し、徐々に変容させていくのが日本特有です。
 日本の統治制度も、形式上は、中国由来の律令制を導入し、諸王の王としての皇帝制を取り入れ、天皇制を成立させましたが、事実上は、豪族や貴族・武士等の有力者が次々に台頭したため、官僚制はほとんど定着せず、政権主体・運営方法がどんどん変容していきました。
 現在の役所の前例主義も、律令制下から存在しており、律令制が本格導入された奈良前期に編纂が完成した記紀神話には、天皇中心の中央集権の国家体制が確立されたことを正当化する重大な役割があったので、しばしば古来より先例があると主張するため、捏造・潤色が散見されます。
 律令制が形骸化するようになった平安中期から、朝廷は、実質的な政権運営よりも、形式的な有職故実(ゆうそくこじつ、決まり・慣わし)を重視するようになり、江戸末期に律令制は事実上廃棄されましたが、王政復古なので、明治初期にはまず神祇官+太政官制へと回帰し、つぎに内閣制へと移行しました。
 平安後期の摂関政治や、鎌倉中・後期の執権政治は、それぞれ天皇の補佐・将軍の補佐を名目に政権を主導し、平安末期~鎌倉前期の院政は、天皇家の家長を名目に実権を掌握、征夷大将軍は、天皇に任命され、平安期までは征討・平定が役目でしたが、鎌倉期からは治安維持・政権運営が役目になりました。
 貴族から武士へと政権が移行したのも、平安中期から荘園(私領)が発達し、公地(公領)へと侵食、武士が所領を警護する中で、皇室・有力貴族と結び付き、鎌倉初期に院庁は、武士の最有力者に守護・地頭の設置を許可し、荘園・公領の警察権・裁判権・徴税権を委託、そこから武家政権が勢力拡大しました。
 院庁側(後白河法皇)は、武士が守護・地頭になれば、治安維持ができ、荘園領主・国司の税収が安定するので許可しましたが、幕府側(源頼朝)は、そのうち年貢を滞納・横領したり、所領を実行支配するようになり、実質は主君が所領を分与し、臣下が忠誠する、御恩と奉公の関係になりました(封建制)。
 封建制は、鎌倉・室町・戦国・安土桃山・江戸期と継続され、戦乱が終息すると、武士は戦士的な役目から官僚的な役目になりましたが、豪族が役人だった大和政権の時代から永年、世襲は保持され、ようやく明治期から試験による官僚制が導入されました。
 一方、日本の古典文学最大の傑作といえば、平安中期の小説「源氏物語」ですが、平安末期から江戸末期にかけては、数々の注釈書が、明治期から現在までも、様々な現代語訳が執筆されており、その著者達は、先例の読解体験を、永年にわたって反復しており、まさに永久不死不滅です。
 
 
●死ぬ気で…
 
 一般に、「死ぬ気でやる」といえば、自分の極限までがんばることを意味し、ビジネスには量質転化の法則といわれるものがあり、量をこなせば、質もともなうといわれますが、効率にも限度があるうえ、比較的単純な作業の反復にしかあてはまらず、限界を精神だけで乗り越えようとするのは、日本の悪習です。
 意識せずに自然にできるのは、最初だけで、その量や質は、やがて限界に到達し、そこからは意識して人工的・作為的に改良・改善していき、それを反復すれば、しだいに無意識・自然に、それ以上の量・質でできるようになることがありますが、ならないこともあり、成長には限界がつきものです。
 企業活動の管理業務を円滑に進行する手法に、PDCAサイクルがあり、これは、Plan(計画する)→Do(実行する)→Check(評価する)→Act(改善する)→Plan→…を繰り返せば、業務がしだいに好転していくとされています。
 ところで、釈迦は、悟りを得た直後、修行仲間(最初の弟子)5人に、悟りを得る道筋を説明し(四諦/したい)、人生の一切が苦で(苦諦/くたい)、苦の要因は煩悩にあり(集諦/しゅうたい)、煩悩を滅却すれば苦はなくなり(滅諦/めったい)、煩悩を滅却するのが仏道修行だとしました(道諦/どうたい)。
 そして、四諦の真理をもとに、正しい観察(正見/しょうけん)・判断(正思惟)・言葉(正語)・行動(正業/しょうごう)・仕事(正命/しょうみょう)・努力(正精進)・状況(正念)・集中(正定/しょうじょう)で、修行に励めば(八正道/はっしょうどう)、悟りが得られるという教えを説いています。
 PDCAサイクルと四諦を結び付け、Check=苦諦、Act=集諦、Plan=減諦、Do=道諦と対応させることがありますが、そうなると釈迦は、悟りを得る以前には、何気なく出家(Plan)・修行(Do)していたのを、あるとき人生の一切は苦で(Check)、苦の要因は煩悩にある(Act)と分析したと仮定できます。
 そして、釈迦は、煩悩を滅却すれば苦はなくなるので(Plan)、煩悩を滅却するために仏道修行すれば(Do)、悟りを得ることができるとし、それを無心で実行しました。
 ここでのCheckとActは、煩悩が存在するので、意識・人工的・作為的の段階、PlanとDoは、煩悩を滅却するので、無意識・自然の段階とみることができます。
 PDCAサイクルと比較されるものに、アメリカ空軍で提唱され、ビジネスにも導入された意思決定の手法に、OODAループがあり、これは、Observe(監視)→Orient(情勢判断)→Decide(意思決定)→Act(行動)→Observe→…を繰り返すことで、健全な意思決定が実現できるとされています。
 釈迦の四諦も照らし合わせると、OODAループのObserve→Orient→Decideが、PDCAサイクルのCheck、OODAループのActが、PDCAサイクルのActに対応しており、OODAループは本来、意思決定なので、意識・人工的・作為的な工程のみとなります。
 ここで注意したいのは、PDCAサイクルも本来、意識・人工的・作為的な工程のみですが、それを釈迦の四諦に結び付ければ、そこに無意識・自然な段階が組み込まれ、意識・人工的・作為的な段階と行き来するようになることで、これは量を向上させたり、質を変化させるきっかけになっていることです。
 たとえば、スポーツをする際、まず最初は上手な人達を見て、体を自然に動がし、真似・模倣からはじめ、やがて上達に限界がやってくると、人工的・作為的にフォームを強制することになり、不自然でぎこちない動きだったのが、反復練習で自然な動きにし、そのトライ&エラーでしか、さらに上達しません。
 つまり、物事に取り組む過程は、自然な状態(Plan→Do)→人工的・作為的な状態(Check→Act)→自然な状態(Plan→Do)→…の繰り返しだといえます。
 釈迦由来の無心のPlan(教義・信仰)→Do(難行)も(聖道門)、浄土宗の開祖・法然によってCheck(批判)され、念仏のAct(易行)のみで、死後の世界(来世)には極楽浄土へ往生・成仏できるとしました(浄土門)。
 法然以前の浄土教は、貴族が来世利益のために、生前の世界(現世)で阿弥陀堂を建立、阿弥陀仏を安置する等の善行で、極楽浄土へ往生・成仏しようとし、それだと庶民ができないので、法然は、念仏を善行としましたが、それだけでは現世の問題は解決されず、保留のままになってしまいます。
 そこで、浄土真宗の開祖・親鸞は、いったん死後の世界(来世)へ往ったつもりで、客観的に洞察し、そこから生前の世界(現世)へ還ったつもりで、主体的に行動すべきだと主張、現世と来世を行き来するサイクルを提示することで、現世の問題を解決しようとしました。
 一方、曹洞宗の開祖・道元は、念仏のみの修行を批判しましたが、仏道修行すれば、いつか悟りを得られるという因果応報も否定し、迷いと悟りは表裏一体で、修行生活していても、常時移り変わるものだと、迷いと悟りの双方を行き来するサイクルを提示しています。
 このように、PDCAサイクルは、仏教界でも四諦として繰り返されていますが、迷い=「生」、悟り=「死」とみれば、親鸞と道元の行き来は共通しており、「死ぬ気でやる」よりも、死者の眼で洞察し、生者の頭で行動するほうが得策でしょう。
 ただし、親鸞や道元は、源流の釈迦までさかのぼって批判しているのではなく、仏教総体の一部を拡大解釈しているにすぎず、それぞれ念仏や座禅を一神教的に特化しましたが、2人は、2つの世界を行き来することで、現時点を最重要視しており、まさに「死ぬ気で生きよう」としているのではないでしょうか。
 
 
●生まれ変わったつもりで…
 
 「死ぬ気でやる」と同じように、「生まれ変わったつもりでやる」もよく使い、心を入れ替えてがんばることを意味しますが、人生の最中での生まれ変わりを代表するものとして、還暦があります。
 還暦とは、十干(じっかん、甲・乙・丙/へい・丁/てい・戊/ぼ・己/き・庚/こう辛/しん・壬/じん・癸/き)と十二支(じゅうにし)を組み合わせた60年の周期が一巡することで、長寿の祝賀は中国発祥です。
 日本の還暦祝いで、赤色の衣服を着るのは、魔除けと、赤ちゃんへ戻る(還る)ことを意味するので、まさに生まれ変わりです。
 南都仏教では一般に、前世→現世→来世と生まれ変わり、現世は前世に、来世は現世に影響するとされ、現世での不幸は、前世での悪行が要因なので、仕方なく、現世で善行すれば、来世で浄土へ往生・成仏できるとすることで(因果応報)、人々を啓蒙しましたが、それだと現世利益がありません。
 そこで、修験道は、死後の世界とみなされた霊山での苦行を体験することで、自然から超人的な能力を体得し、そこから下山して呪術で生前の世界の人々を救済、密教は、現世利益があるとされる加持祈祷で人々を救済しました。
 最澄は、すべての人々には仏性(ぶっしょう、仏になれる種)があり、誰でも成仏できるとする「法華経」を信仰・修行し、空海は、修行すれば現世で、このまますぐに(即身)成仏できるといっています。
 法然は、念仏するだけで、来世には阿弥陀如来の加護により、極楽浄土へ往生・成仏できると、来世利益でしたが、親鸞は、現世と来世を行き来したつもりで、洞察・行動すべきだと発展させ、一遍は、念仏を唱えての踊りで、現世を来世化し、苦悩・不安を軽減させようとしました。
 日蓮・栄西・道元は、他力による来世利益である念仏のみの修行を批判し、日蓮は、「法華経」だけを信仰すれば成仏、栄西は、禅問答(公案)・座禅・戒律遵守を実践すれば成仏、道元は、座禅で迷いと悟りを行き来すれば成仏できるとし、いずれも自力による現世利益へと引き戻しています。
 つまり、仏教の大半は、呪術・祈祷や信仰・修行等により、現世で成仏できるとし、現世利益が中心となっており、これは現時点から生まれ変わったつもりで改心すれば、何度でもやりなおせると主張しているようです。
 これは、仮死→再生の姿勢・態度といえ、「生まれ変わったつもりでやる」や「死ぬ気でやる」につながっているのではないでしょうか。
 
 
 このように、日本の人々は、一日・一年・一生の自然の摂理である循環や、その間に個々で挟み込む掃除や旅行・行楽、読書・観劇等による行為のサイクルとともに、思考のサイクルも重層的に取り入れていることがわかります。