か・かた・かたち | ejiratsu-blog

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人は何を考え(思想)、何を為し(歴史)、何を作ってきたのか(建築)を、主に書いたブログです。

 菊竹清訓は、建築等を設計する際、「か」「かた」「かたち」の三段階を設定し、その順序で検討を三角形に循環させ、設計過程を強化することで、効率よく充分な成果に到達しようとし、その方法は、建築等を理解する際に、その逆方向に進行すれば認識しやすいことから導き出されています。
 つまり、三段階のどこからはじまっても、設計の場合には、「か」→「かた」→「かたち」→「か」→…、理解の場合には、「かたち」→「かた」→「か」→「かたち」→…、の作業を繰り返すことで、思考を発展させるべきだといっています。

 「か」とは、構想/本質(前者は設計の場合/後者は理解の場合、以下同様)のことで、設計の場合では、仮説としてひとつの秩序・目標を想定し、理解の場合では、「かた」の根源となる原理を認識する段階です。
 魅力のある建築等は、計画者がすばらしい設計思想を確立し、建主がそれを受け入れ、利用者や社会が評価することで成り立つので、いずれにおいても、鋭敏な感覚による洞察と理知が要求されます。
 「かた」とは、典型/法則のことで、設計の場合では、「か」を達成するため、知識や技術を駆使して体系を構築しようと操作し、理解の場合では、「かたち」の実体を把握する段階です。
 そこでは、各部の相互関係が矛盾することなく、総体として統一した構造でなければならず、その体系が洗練化されていれば、それだけ適用範囲が広くなり、普遍性が高くなります。
 「かたち」とは、形態/現象のことで、設計の場合では、「かた」を実際に適用して具体化し、理解の場合では、人間がその環境と接触し・体験・実感する段階です。
 そこでは、計画地・利用者・工事費等の特殊性が反映されたり、計画者・観察者の意図や意識に左右されるので、個性が表出しがちです。

 このような設計方法を採用した理由は、現時点での与件や問題をただ解決しただけの設計では、それ以降の時間の経過を無視し、空間・形態を完結的で永遠に固定化する傾向にあるからで、利用の変化にも対処し、代謝・更新するには、それらを流動的に取り扱うことが大切です。
 また、建築等の空間・形態自体に魅力がなければ、利用の変化とともに、取り壊されてしまうこともあり、生き残るためには、魅力で人々が感動・刺激・啓発することが不可決で、魅力の根拠である「か」や「かた」の充実にあるといえます。
 例えば、様式美を追求した古典建築や、機能美を追求した近代建築では、流行の様式が変化したり、機能が消滅しても、歴史の遺産として保護して観光資源としたり、新規の機能に転換することで保存されていますが、その建築自体に決定的な魅力がないと最終的には実現しません。
 それを、ここでは「形態は機能にしたがう」(ルイス・サリバン)や「美しきもののみ機能的である」(丹下健三)、「空間は機能を啓示する」(ルイス・カーン)と対比させ、「空間は機能をすてる」と表現しています。
 前者は、いずれも空間・形態と機能や美の対応関係を容認している一方、後者は、空間・形態と機能が無関係になってはじめて、本当の魅力が評価しやすくなり、それには様式や機能等に影響されない「かたち」が重要だと指摘しています。

 しかし、建築等を代謝・更新する際、どんなに美や魅力が突出していても、空間・形態で過度に選択の自由が拘束されると、機能が限定されて断念せざるをえないこともあるので、設計では、全体を主要か否かや耐久の度合等で、不変不動の部分と可変可動の部分に区別すべきだと主張しました。
 そして、前者では、かけがえのない魅力的な空間・形態を創造する一方、後者では、取り替え可能の道具的な装置として処理することが適切だといっています。
 例えば、住宅では、空間を組織化するうえで中心となる家族室は、独自性を追求する一方、厨房や水廻り等は、設備の交換を前提に配置し、工業化により共通性を推進することを提案しています。

 このような代謝・更新の思想は、メタボリズムといわれ、この建築家は特に、現代社会の急激な状況変化に適応できるよう、代謝・更新する有機的な都市を数々提唱しています。
 この思想は、建築・都市等を、機械のように、全体のために部分が奉仕するように構成するのではなく、生命のように、部分をアル程度自律させ、むしろ全体がそれを補完するように統合・組織化していけば、多少の変化にも、自分自身で柔軟に制御・調整できるはずだという仮説から出発したといえます。
 それと同様、設計においても、目的とその手段という安直な方法ではなく、三段階を三角形に循環させ、各段階を「手段としてのみならず、同時に目的として」(イマヌエル・カント)取り扱うことにより、思考自体の成長・進化を期待したのではないでしょうか。