建築と時間・空間 | ejiratsu-blog

ejiratsu-blog

人は何を考え(思想)、何を為し(歴史)、何を作ってきたのか(建築)を、主に書いたブログです。

 建築とは結局、混沌とした状況をいかに秩序づけるかという作業で、その時代(各国で差異があります)の社会情勢や科学技術の変化とともに、美の基準が変遷しますが、それとともに建築と時間・空間についてどう認識し、実践したのかも変容しています。
 ここでは便宜上、大雑把に古典(ゴシック)建築・近代建築・現代建築の3つに単純化するとわかりやすいので、そのように説明していきます。


■古典(ゴシック)建築
 この時代は、下位が上位に従属する階級社会で、現存しているほとんどの古典(ゴシック)建築は、主に特権階層か神を対象とし、比較的潤沢な資金があるので、権力や神聖さを誇示しようとしました。
 特権階級や教会組織は、この社会が長年にわたって安定して維持するよう、時間も空間も絶対化する傾向にあります。
●時間
 前近代では、建築が多種多様に展開したようですが、おおむねクラシック(古典)とゴシックの2系統に大別することができ、いずれも過去を重視し、歴史を模写して引用することから出発しています。
 新しさも古さを熟知したうえで成立するため、建築の知識や技術を学校で修得することが不可欠で、そのためには本場に留学することが重要でした。
 例えば、ギリシャ建築では柱(オーダー)や比例(プロポーション)、ローマ建築ではアーチが代表する表現で、それ以降の様式は、それらが多少変形するものの、基本はギリシャやローマの表現を踏襲する傾向にあります。
●空間
 混沌とした自然を克服し、永遠性を獲得するためには、秩序ある人工物を創造するべきだという発想から、室や棟は中心性・軸性・対称性・正面性等、純粋で完結した空間・形態を、石や煉瓦等の経年劣化しにくい材料を志向し、その時代の様式(表現形式)を重視しました。
 一方、自然物を破壊した罪悪感から、動植物を装飾として取り入れることにも専念しています。
 例えば、ゴシック教会は、ヨーロッパの森林破壊の懺悔(ざんげ)から、内部に森の中を再現し、母なる大地に散在した土着の神々を聖母(マリア)に置換し、その子を神(キリスト)として継承させることで、各地でキリスト教を布教することができたともいえるのではないでしょうか。

■近代建築
 この時代は、農業社会から工業社会へと主力産業が転換し、土地は有限なので、作物の収穫には限度がありましたが、商品は工場で無限に製造できるので、それらを労働して生産するとともに、消費して生活水準が向上する中流階級が激増し、かれらが一般大衆化することで、国民国家が形成されました。
 商品を選択するのは主に、はじめて所有・利用する一般大衆の家族で(一家に一台)、商品を製造すれば販売できる段階なので、できるだけ大勢に低価格・高品質の商品を提供しようと、規格化・標準化して少品種大量生産方式になり、労働も比較的単純な作業で、部門別に縦割りした企業組織が適切でした。
 近代建築も、集合住宅や都市施設等、主に一般大衆を対象とし、多量に必要だったので、商品を製造するのと同様の方法で、設計・施工するようになります。
●時間
 近代では、まず一般大衆の現時点での生活を満足させなくてはいけないので、現在を重視し、歴史を振り返ったり、様式・装飾を取り入れる発想や費用の余裕もなく、商品販売のために世界市場へと拡大するのと同様、建築も世界共通の国際性を強調した表現形式を採用しました。
 社会が激変した時代の表現は、学校で修得することはできず、当時の建築家達は、独学で建築を研究し、むしろ古典建築とは決別する戦略をとっていました。
●空間
 古典建築では、組積造の限界から閉鎖的な空間でしたが、科学技術の進歩と鉄・コンクリート・ガラスの登場で、開放的な空間が実現でき、機械も建築も生産効率と作業効率の要求が同一視され、明確な役割(用途)の部品(部屋)を構成すれば商品(建築)が完成し、そこでは機能性を重視していました。
 ちなみに、国家と国民の関係も、機械の総体と部品の関係と同様、夫は仕事で生産、妻は家事と子供の育児で再生産のように、家族で明確に役割を分担することを奨励することで、世界中の先進国(日本だけでなく、欧米でも)が経済力を増強しました(軍隊による軍事力も同様の構図でした)。

■現代建築
 この時代は、一般大衆への商品の量が充足したので、質を向上するか激安でないと販売が促進できないうえ、有限な資源・エネルギーを有効に利用したり、地球環境への負荷も低減すべき等、各分野の知恵や技術の総力を結集しなければ、様々な問題が解決できない情報社会が到来しました。
 商品を選択するのは主に個人で(一家に複数台)、かれらは良質(価格の高低にかかわらず)で異質な嗜好のため、差異化・多様化して多品種小量生産方式になり、労働も複雑な作業で、個人の能力や個性を発揮しつつ、集団がそれを活用して協力・連携し、各部門も横断できる企業組織が適切です。
 このように、産業が高度化された社会で生き残るには、時間も空間も相対化され、適材適所に取捨選択することが要求されます。
●時間
 後近代では、もはやいずれかを重視するのではなく、過去・現在・未来の等価性を確保しておくべきで、不変なものは永遠性を、可変なものは仮設性を各々区分して追求しておかないと、経年変化に対応できなくなります。
 また、その地域の地形や気候風土・伝統文化等の文脈も再考し、断片化・抽象化等の知的操作で違和感なく引用すれば、近代建築にはない歴史の重みが取り入れられます。
●空間
 近代建築・都市では、部屋や建築を機械の部品として取り扱いがちでしたが、それで活動・生活の自由が制限されることもあるので、部屋や建築は用途・境界を安直に明確化・固定化しすぎず、曖昧で流動的に対処してもよく、構成要素の分節化と関係性を再検討し、再編成すべきだという発想が出現しました。


 このようにみていくと、時代とともに社会が複雑化し、自由が拡大してますます混沌とした状況になるということは、エントロピーが増大して無秩序になり、最期は破滅してしまうので、建築や都市で秩序づける行為は、エントロピーが増大するのを多少制御し、破滅の速度を遅延する作業といえます。
 その秩序が過度だと、活動・生活の自由を制限することになり、その秩序が不足だと、拡散を加速してしまうので、適度な秩序づけが重要になります。
 一方、建築美の基準は、前述のように変遷しましたが、古典(ゴシック)建築の様式や近代建築の機能等、まったく知識を理解していなくても、強烈な迫力があれば、時代を超越して感動できるので、そのような建築や都市が身近に実現できればいいのですが…