目的の方が大事、前編 | 大場 豪のブログ

大場 豪のブログ

「自由」に当たり前のことを当たり前に綴ります。そして、自由になっていく。

 

こんにちは!大場です。

 

 

氣がつくと、「90記事投稿」を達成しました!(笑顔)

 

ありがとうございます。

 

100まであと10記事、ひとまずそこまで行きましょう。

 

 

 

昨日にやんわり続きます。

 

 

「親はこども(兄弟間で)に比較をする時には

 

ネガティブなことを言おうとしている時」というのが

 

 

私の中になんとなくあり、それが必要なのか?

 

そもそも「比較」自体が必要なのか?

 

 

という話をしていました。

 

 

親、保護者は「目的を持って」比較をする。(たぶん、きっと)

 

 

しかしながら、

 

子どもは「親の目的」よりも「比較されたこと」に注目して

 

自分をネガティブに受け取る可能性が出てくる。

 

 

(「比較」の方が文章、言葉としてもインパクトが大きいから

 

 目的よりも先に入ってくる。目的が言われてないならなおさら。)

 

 

(例:

 

「お姉ちゃんはあなたと同じ年齢の時には指を使わずに足し算できていたのに...」

 

⇒目的は「指を使わずに足し算できてほしい」なのに全く言っていない。)

 

 

で、その「比較」を

 

 

ポジティブに受け取るか ⇒ 奮起して「こんにゃろう!」とスイッチが入るか

 

ネガティブに受け取るか ⇒ なんだ「自分って、なんてダメなんだ。がんばってもどっちみちダメじゃん。

 

              親の期待にも応えられないし。」と思ってしまうか

 

は言われた子ども次第。

 

 

同じ子どもでも「ケースバイケース」によって、

 

その都度、どっちに転ぶかわからない。

 

 

言われていない兄弟も比較されているのが聞こえて、伝わって(間接的に)

 

どう受け取るかどうかもわからない。

 

 

「もしかしたら、自分もいつかどこかで、

 

「この比較」にさらされる」と思う、嫌がってしまう可能性もある。

 

 

だから、

 

その諸刃の剣になりやすい「比較」をそこまでして

 

親は使う必要があるのか。

 

 

自分が比較をしてまで言いたいと思う「目的」を

 

もっとたくさん、上手く伝えることに

 

注力する方が先なのではとも思ってしまう。

 

 

それくらい、「比較」すること、

 

「比較」が与える影響は大きいのだ。

 

 

だから、私は比較されるのがいやだ。

 

自分の子どもにもしたくない。

 

 

もし、比較を使うとしたら、

 

その子の過去と比べてできるようになった時。

 

それは「成長」としてとらえてくれるだろう。

 

もちろん、「成長したこと」を話すのが大前提になる。

 

 

学校に、社会に出れば

 

いやでも「比較とその評価」にさらされる。

 

それにどうこう言うつもりはない。(少しはあるけれど、汗)

 

 

それまでに子どもが自己肯定感を得て、

 

比較とうまく距離感をとれるようにしておくのが、

 

僕の子育ての理想、目標です。

 

 

 

(続きはメルマガへ)

 

 

 

今日も読んでくれてありがとうございます。

 

それでは、良い1日を!

 

 

大場 豪

 

 

 

「私、大場 豪の情報は

メルマガを中心に発信しています。」

 

メルマガも「自由」をテーマに発信しており、

 

「メルマガが来るのが楽しみです!」

「いろんな氣づきがあっておもしろい!」と

ご好評をいただいております。

 


私のカウンセリングやセラピー、コンサルティングは

主にメルマガでご案内しておりますので、
ぜひメルマガ登録してください(笑顔)。無料です。

 

もちろん読んでみて「なんか違うな」と思ったら

すぐに解除できます。

 

 

「大場 豪のメルマガ『突き抜けるプラチナ、

自由は循環する』はこちらからどうぞ」↓

 

https://form.os7.biz/f/88e5df46/