汝自身の神
HONDAがF1から撤退するって事で、とうとう金融危機がモータースポーツにまで波及してきた形となったんだけど、バブル崩壊後の92年にも撤退していて、1968年を含めると今回で3度目の撤退らしい。
年間で約500億円かかるとされるチームの運営・維持費が重荷になっていたらしく、レース参加自体が事業面へ負担となっていたようでチームを売却って事なんだけど、買い手が付かない場合は早期解散って事らしい。 まぁ現場では「ホンダショック」さながらといったところになります。
ドゥーハン・レイニー・シュワンツ
話はかなり逸れるんだけど、F1よりも2輪押しだった自分としては、HONDAといえばマイケル・ドゥーハンやワイン・ガードナー、そしてエディ・ローソンを思い出す。
ドゥーハンはSUZUKIのケビン・シュワンツとYAMAHAのウェイン・レイニーと共に思い出深いライダーで、自分が学生の頃、地元の「南海部品」に来たんだけど、非常に紳士的な人だった。
ドゥーハンのスポンサーであるメーカー(Arai)が、そのメーカー商品のみ、ドゥーハンからサインをしてもらう事ができるっていうサイン会を開いたんだけど、自分の前にいた少年が他のメーカーのヘルメットを持ってきた。
ドゥーハンの周りのスポンサーの人達が、「他のメーカーの商品はダメ」と言って少年の要求を拒否したんだけど、ドゥーハンはスポンサーの人の手を退け、少年のヘルメットを取り、サインに応じていたのを思い出す。 自分も握手をしてもらってサインもまだ持ってるんだけど、ドゥーハンは非常に紳士的で、何よりその姿は新鮮だった。
がしかし、その後の数々のインタビューで感じたことは、ドゥーハンは他のライダーに対して敬意の念が足りなかったのでは、ということである。他のライダーとてレイニー、シュワンツに代表されるように不遇なアクシデントに見舞われていたにも関わらず、ドゥーハンは「91年、92年シーズンも不意なアクシデントが無ければ楽勝だった」と豪語し、そのセリフは記憶に強くとどまった。
92年からのNSRは不等間隔燃焼のエンジン、いわゆるビッグバンエンジン、そして翌93年にはインジェクションを搭載したマシンへと変貌を遂げた。つまりRGV-γ、YZRと比較しマシンが単純に速かった。実際にドゥーハンの勝ちパターンはギャラリーの心に焼き付いているレイニー、シュワンツの白熱したバトルなどと違い、独走で勝つなどギャラリーの記憶にない退屈な勝ちパターンが多かった。(レイニーパターンとはまた違う)
これはNSRマシンの優位性が高かっただけ、という改めての評価を生み出した。
ドゥーハンの南海部品での振る舞いは当時の良い想い出だったが、後年のインタビューの数々を聞けば、往年のGPフリークはレイニーパターンとレイトブレーキングを武器とするシュワンツの2名がGP500の真のレジェンドである事を再確認させられた。ファンは何よりこの2人の接戦に熱狂した。 ドゥーハンは、ただ単に速いワークスマシンに乗っていただけという論調も広がった。ホッケンハイムでの1分58秒(92年)はドゥーハンだけでなく伊藤真一も記録(93年)した事からその論調は根強いものとなった。
レイニーやシュワンツと比較して、華々しさに欠けたのもこれらのことが背景にあったから、と時間が経ち、今改めて思う。時間が経って考えが変わる事はよくあることである。
レイニー対シュワンツ
自分の中で、WGPというと「レイニーとシュワンツの一騎打ち」なんだけど、その2人がいなくなった94年以降は、もうレースは観なくなった。そして自分も2輪に乗ることは無くなった。今振り返れば、若かりし自分の純真な情熱を作り出していたのは2人の熱いヒートだった。
そのライバル2人がいなくなったドゥーハンは、94年から 「一人旅」で史上初の5連覇を達成、強力なライバルが不在の中、レース自体も恐らく面白くなくなったと思われる。(観ていない)
補記: 2020.10.16
・93年以降はレイニースタートが見られなくなった。WGPでもそうだったがレイニーのロケットスタートで最も高名なのは1987年のAMAスーパーバイク時代、レイニー・サーキットであるラグナセカにおいて、7列目からファーストコーナーまでに17台を抜き去ったシーンが最も有名である。
・91年WGPでの鈴鹿、ホッケンハイム、アッセンとlate breakingをいかんなく発揮したシュワンツは最速男の異名をいかんなく轟かせた。マイケルドゥーハンはここのところで「不遇に見舞わなければ楽勝だった」とコメントしていたことが、後年になってわかった。しかし直接貰ったサインは現在でも至想として残っている。
汝自身の神
オートレースファンの人って周りにあまりいなくて、この3人を知っている人も年を追うごとに限られてきた。 レースを観なくなったその後は、ウェイン・レイニーの事をたまに思い出すくらい。
ドゥーハンが5連覇を遂げる前、93年当時世界チャンピオンだったレイニーなんだけど、4連覇の懸かったたシーズンの第12戦イタリアGP(ミザノ)で転倒して、32歳の若さで歩けなくなるという衝撃的な事故が起こった。 LIVEで観ていた者としては鮮烈だった。
その後、現場監督として車椅子でピットの中を動き回るシーンとか観るくらいだったんだけど、今どこでどうしているんだろう? ネットで結構調べてみたんだけど、今現在の状態は全く分からない。 (※2019 Suzuka Sound of Engine にてロバーツ、ローソンとともにレイニーの姿をみる事ができた) ライバルだったケビン・シュワンツもまた、最大のライバルであるレイニーを失った落胆から、その1年半後にレイニーの後を追うように引退した。
レイニーが現場から引退した後は、文藝春秋発行「Number/419号 ・420号」、または「運命」(ともに高山文彦 氏執筆、写真は砂守勝巳氏)の中で、レイニーの様子を窺い知る事ができる。タイトルは「汝自身の神」。 その作品の所々に記載されているレイニーの言葉は、多くの人を感動に包んだらしい。
その言葉は、ライダー・レイニーの言葉ではなく、歩く事のできなくなった1人の人間としての言葉のものであり、切なく胸を突く言葉だった。
「僕はコーヒーカップを取る事さえできない。自分では何もできないけど、人が自分の人生を理解する為の助けとなる事はできる」 「今の僕の人生は、レースよりはるかに大きな挑戦なんだよ」 等々
「運命/高山文彦・文藝春秋」






