道綱が東宮居貞に「花山院が、お隠れにあそばしました」と言ってました。「なんということか、これで冷泉天皇の子は私だけになってしまった」。
あれっ、そういえば、みんな生きてるときから「花山院」って言ってるけど、これはいいの? 花山天皇っていうのは諡号だから、崩御したあとにつくんじゃあないの?
そうでは、ないんです。
この時代、上皇は同時に複数いて、単に「さきのみかど」と呼んでも区別できないので、引退後に住んでいる屋敷や寺の名称で呼ぶわけです。
光る君へ、に登場した、円融院、花山院、いずれも寺の名称ですが、この二人は同時に存命しています(円融院は退位のあと光る君へのドラマには一度もでてきませんでしたが、けっこう長生きで、最近まで生きていたんです)。
つまり、生前から「円融院」「花山院」と通称されています。
死後は、この呼び名がそのまま歴史上呼ばれる名前になりました。これは「追号」といって、生前の治世の業績から学者が選定する「諡号」とは違うものです。
生前に「円融天皇」「花山天皇」と呼ばれることは有り得ません(これらはいわば、教科書に書く用の歴史用語です)。
しかし、引退後に「円融院」「花山院」と呼ばれているのは、間違っていません。
古代の天皇には必ず、業績に応じた「諡号」が選定されていました。天智天皇とか、天武天皇とか。
しかし、平安時代の中期ごろから、次第に天皇に諡号をおくることが少なくなってきて(次々にすぐ代わるから、追い付かなくなった、のかな?)、生前の通称がそのまんま歴史上の呼び名として使われるようになります。これを追号といいます。
「光る君へ」に出てくる天皇の名前、冷泉、円融、花山、一条、三条、これらはすべて引退後の住みかの名称で、当時から通称されていたものです(もちろん、まだ正式な追号ではありませんが)。
だから、光る君へのなかで皆が「花山院が~」と言ってるのは、嘘ではありません。但し在位中に「花山天皇が~」と言ったら、それは間違い(あるいは、ドラマ上の方便)です。
院とは、大きくて立派な建物の意味です(寺院とか、大学院とか)。引退した天皇は、そういうところに住んだから、やがて、「院」といえば上皇のこと、となってくるわけです。
日本史では偉い人は本名(諡号)では呼ばず、住んでいる場所、屋敷の名前で呼ぶ、というのが大原則です。
藤原道長ならば「土御門殿」とか「土御門の左大臣」とか呼ばれてたはずです。
花山院も、これと同じこと、と考えてよい。花山は諱(いみな)ではありませんから、生前呼んでもいいんです。