「運命の力」はハムレットみたいな舞台である、という話、続き。「親の仇」にも、彼なりの理由がある。 | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

「ハムレットQ1」観に行きます。5月14日と24日の2回。

ところで、先日映画館で観た「運命の力」の物語が、ハムレットを髣髴とさせる、という、これはシェイクスピアマニアの俺が勝手に言ってるんじゃなくて、幕間のインタビューでも演者たちが自分で言ってました。

但し、「運命の力」でハムレットなのは主人公側ではなく、主人公を親の仇と追うほう。

主人公レオノーラは、恋人ドン・アルヴァーロ(反体制分子、らしい)と駆け落ちしようとする。

その現場を、父親(18世紀あたりのスペインとイタリアが舞台の原作では「侯爵」だが、この演出では)「将軍」(現代あるいは近未来?の、軍事独裁国家のリーダー)に見つかってしまう。

で、ドン・アルヴァーロは将軍を殺してしまう。運悪く銃の暴発で、てことなんで、主人公ペアは「悪くない」ってことになってる(物語上そうでないと)けど、

恋人の二人は逃走するが離れ離れになってしまう。

お互いを死んだと思い込み、レオノーラは聖なる洞窟に隠れ住み、ドン・アルヴァーロは偽名で軍隊に入る。

将軍の息子・ドン・カルロは、二人を「親の仇」と行方を追う。

彼もまた身分を隠して軍隊に入る。共に死線をくぐった二人は親友になるが、ドン・カルロはドン・アルヴァーロの正体を知ってしまい・・・。

この舞台の演出なのか、原作にあるのか、この「死んだ将軍」が、ことあるごとにドン・カルロの背後に現れるんだよ、彼の心の中に現れて復讐を督促する、って演出なんだろうけど、これは明らかに「先王ハムレット王の亡霊」と同じ、なわけですよ。

もちろん、絶対に意識して書いてると思うんだ、ヴェルディも(いや、彼は作曲家だから、原作や脚本家が、かな。オペラの作り方ってどうやってたんだろう、その話、いずれ)。

つまり「将軍」というのが先王ハムレット、彼を殺したドン・アルヴァーロがクローディアス、主人公レオノーラはガートルード、ハムレット王子はドン・カルロ、って構造になる。

で、親の仇として狙われるほうにも、彼らなりの「しょうがなかったんだよー」という同情すべき事情がある、ってことなんだ。

親の敵討ち、って事件を物語にすると、殺された親のほうが「まっさらな善玉」で、殺したほうは「真っ黒な悪玉」として描かれることが多いけどさ。

そういうもんでもないんだよ、っていうのを、この「運命の力」は強く描いているんだ。殺したほうも、殺されたほうも、悲しい運命を背負ってるんだ。

これは、洋の東西を問わず、そうでしょ。いわゆる忠臣蔵、「元禄赤穂事件」でもそうだし。

てことは、「ハムレット」もやっぱり、そうなんじゃないのか。

クローディアスやガートルードにも、殺した側なりの事情というか理由というか必然性というか、運命というか、があるんだよ。

そんなこと、「殺された側」は知ったことではないけど。せめて観客は、そこんとこ分かってあげてもいいいんじゃないの、っていう気がする。

吉田栄作のクローディアス、ってのに、なんか期待してしまうわけです。どうやるんだろうね。極悪人ができそうには思えない。広岡由里子のガートルードにも注目です。
 
ちなみにMETライブビューイングは来月「ロメオとジュリエット」です。