「光る君へ」では少し先のはなしになりますが。
伊周と隆家は、女性関係のトラブルで、花山上皇に矢を射かけるという大失態を起こし、逮捕されそうになると、皇后定子の屋敷に逃げ込んで立て籠ります。
一条天皇の寵愛深い定子の屋敷なら安全だ、と思ったかも知れませんが。
だいたい、皇后が自分の姉妹だからって、そこに逃げ込めばなんとかなるだろ、って考えてる時点で、伊周と隆家の兄弟は全く話にならない最低の貴族です。それが定子を追い詰めて破滅させることになる、くらい考えられなきゃいけません。
定子が、余りのショックで出家した、というなら、それは全部、伊周と隆家の責任であって、一条天皇にはどうしようもありません。
妻が可愛いからって、その兄弟が犯罪を犯しても赦していたら、それはもう君主として失格の烙印を押されてしまうでしょう。
儀同三司というのは、のちに伊周が名乗った自称ですが、これは実は「負け犬」の名前なんです。
逮捕された伊周は、当然、内大臣を剥奪され、大宰権帥として九州に流罪になりますが(菅原道真と同じ)、しばらくして赦されて都に戻りました(ここは、菅原道真よりだいぶユルい)。
しかし元の内大臣に戻れるほど朝廷は甘くありません。伊周は形式上「大臣待遇」とされますが、仕事はなく引退状態を余儀なくされます。
相変わらずプライドだけは強かった伊周は、「三司(太政大臣、左大臣、右大臣)と同じ儀礼を受ける者」という意味の、引退した大臣を指す本場中国風の敬称「儀同三司」と名乗ります。いかにも格好よさげですが、権力は全くない肩書です。
その「ダメ息子」の母、という意味の名前で文学史に名を残すというのも、貴子さん、なんか気の毒ですが。
娘の定子を強引に中宮に立てたのも顰蹙でしたが、長男の伊周を「自分が引退したら、直に関白の位を譲れるように」と内大臣に大抜擢しておいたのも、朝廷を私物化する傲慢な行為です。
ついでに妻の実家の高階家にも異例に高い官位を与えたりしています。だから、道隆の一家(中関白家)は、親子兄弟姉妹、揃って全員、朝廷では嫌われていたんです。
だから、道隆が病気で倒れた途端に、中関白家の没落が始まります。
道隆は息子の伊周に関白を譲ろうとしますが、これは一条天皇からキッパリ拒否されます(たぶんバックには母の皇太后詮子の強烈な圧力があったであろうことは想像に固くありませんが)。
一条天皇にしても、いくら妻が好きだったとしても、その父や兄の横車を、そうそう認められるもんじゃあありません。それは君主の器を問われます。
伊周は、父が病気の間だけの代理の地位(内覧)だけが与えられます。
しかし、道隆が死ぬと関白の地位は道兼、道長にいき、伊周、隆家兄弟の地位は怪しくなり、高階貴子と定子の母子の立場も微妙なものになった。
儀同三司母が「飛ぶ鳥を落とす勢い」だったのは、夫の道隆が元気な時だけです(そのときは当然、儀同三司母とは呼ばれてませんが)。
道隆が死んで、もはや関白の妻でも息子でもなくなり、有り体にいえば「今もし一条天皇の寵愛が定子から離れたらゲームオーバー、一巻の終わり」という崖っぷちにいたんです、中関白家は。
定子を「不祥事の当事者」に巻き込んでしまった。おかげで定子は落飾して謝罪するしかなくなった(要は峯岸みなみ状態です)。でないと世論が納得してくれない、という立場に追い込まれたんですから。
ここで定子は形式上にせよ出家したため、こののち一条天皇の子供を懐妊すると、「出家したくせに」と、また世間から非難を浴びることになります。
つくづく、駄目な兄貴をもつと悲劇です。