昨日いろいろ書いていて、そうか「光る君へ」は、風林火山なんだ、っていう考え方に至りました。
いや、「麒麟がくる」でも「天地人」でも「軍師官兵衛」でもいいんですが。つまり「自分で天下を取るのではなく、相棒に天下を取らせるために頑張る主人公のドラマ」ということです。
自分が天下人になるだけが成功ではない。「これ」と見込んだ者に、天下を取らせることです。
「光る君」は、若き日に恋に破れた乙女が、成長して恋愛小説を書いてベストセラーになる物語、ではありません、断じて、そんなもんではありません。
大河ドラマは必ず「日本をよりよい国にするために頑張った主人公の物語」なんです
大河ドラマの主人公というのは、大抵、序盤戦で「大切な人」が「非業の死」を遂げます。これはテンプレというかお約束というか、です。
「風林火山」では貫地谷しほりサン、「軍師官兵衛」では南沢奈央サン、「武田信玄」では南野陽子サン。え、何の役だった? 大抵の人は覚えていないでしょう。
大抵は「架空の、初恋の人」だから、です(南野陽子サンは、農民の娘「おここ」と、ソックリな諏訪の湖衣姫の二役で、死ぬのは「おここ」のほう)。当然、歴史に残ってる名前の人ではないので、ドラマの終盤には「そんな人、いたっけか」と。結構忘れられてしまいますが。
しかし、史実の歴史上の人物に、そうそう「初恋の人が殺される」というエピソードがあるわけじゃあない。
てことは「架空の、初恋の人」が設定されがち、ってことです。
第一回で、母親が殺されました。こんな、歴史上は「あり得ない」架空の事件でも、これを設定しないと、ドラマが発動しないんです。
しかし、もうひとつ、やはり成長してから、恋人に死んで貰わなければならないんですよ。
初恋の人? 道長には死んで貰うわけにはいきません。
だから、代わりに死ぬために、架空の人、直秀が登場していたんです。
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初恋、ではないとしても、まひろと直秀の間には「心の絆」が確かにありました。直秀は明らかにまひろに惚れていましたし、まひろも直秀を憎からず思っていた? もし三郎がいなければ、直秀こそ初恋の相手になっていたと思います(たぶん、いやきっと)。
私は、いま、そう思ってます。
みんな、秋になっても冬になっても、直秀のことを忘れないように、ね。