もし、本能寺の変がおきなかったら、はあんまり意味のない設問です。て話をもういちど。 | えいいちのはなしANNEX

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ホイチョイ馬場さんのYouTuberに、六平直政さんが出ていて、話がやたら面白かった。
北野監督の「首」の撮影で、「はい黒田官兵衛(浅野忠信)ここ座って、安国寺(六平)ここね」「あ、監督、俺ここで刀抜くと、官兵衛に刺さっちゃいますよ」「ああほんとだ、悪ぃ悪ぃ、じゃあちょっと後ろ下がって、よし、じゃあ本番!」「え、もう?」
天才てのは、そういうもんかも知れない。
にしても。
「首」の、あの信長(加瀬亮)、誰かが殺さなきゃ逆におかしいだろ、てくらいの代物でした。
とんでもないようでいて、実際も、あんなだったかも知れないよ。
「もし本能寺の変が起こらなかったら」をまじめに考えるなら「なぜ本能寺の変が起こったのか」も一応、考えるくらいは考えてみましょう。
信長は、本能寺で隕石に当たったわけでも、忍者に暗殺されたわけでもありません。つまり、偶然に死んだのではないのだから。
信長に叛旗をひるがえした家臣は、明智光秀が始めてではありません。松永弾正しかり、荒木村重しかり。明智が失敗したとしても、またいずれ誰かが信長の首を狙うでしょう。
信長は「部下の梯子を外す」ことにかけては右に出る者はいないブラック経営者です。
いま、NHKオンデマンドで「どうする家康」を観ると、いつも「次は軍師官兵衛を見ろ」ってでてきますが。あれを見れば、よく分かります。
信長は、秀吉が苦労してまとめた和睦を簡単にひっくり返し、降伏すれは命は助けるといった秀吉の立場をなくさせ、官兵衛が荒木村重に捕らわれて行方不明になったときはロクに調べもせずに人質の息子を殺せといいだしたり、ホントに「上司にしたくない武将ナンバーワン」です。
明智が謀反したのも、自分が苦労してまとめてきた長曽我部外交を簡単にひっくり返されて、失望したっていうか絶望したからだ、って説が有力です。
秀吉も官兵衛も、信長が死んでくれてホッとした、てゆうか大喜びしたはずですよ、これで毛利と和睦ができる、無駄な戦争しなくて済む、って。
 安国寺が「いずれ高転びする」と予言したように、実はみんな信長に「そろそろ死んで欲しい」と思っていたんです。明智が失敗してれば、たぶん、いずれ秀吉がやったでしょう。あるいは、家康が。
畳の上では絶対に死ねない人間って、います。
信長がまさに、そういう人です。
本能寺がなければ当然のように信長は長生きして天下統一したに決まってる。織田政権が長続きして日本はガラリと変わってた。織田時代が続いて海外進出していた。日本はもっとはやく先進国になっていた。
とか、なんで暢気に言えるのか、ちょっと立ちどまって考えてみたほうがいいです。
そんな「信長が作る日本」をみんなが望んでいんたなら、本能寺の変は起きません。
余談、大阪城に行ったら、ぜひ御座船に乗ってください。船頭さんがジャングルクルーズなみの活躍。