足利尊氏は「天皇に反対した人物」ではない。なんでみんなそう思ってるかは「明治維新の陰謀」なんだよ | えいいちのはなしANNEX

えいいちのはなしANNEX

このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

足利尊氏を「反天皇」な人ではありません。
だって「南北朝」だから。南朝も北朝も天皇です。楠木は南朝、足利は北朝の味方だった、ってだけのことで(まあ、この言い方はざっくりしすぎですけど)。


足利尊氏は、ホントは後醍醐天皇が大好きで、なんとか京都に帰ってもらってまた一緒にやりましょうよって、最後まで言ってたんです。尊氏にはあんまりポリシーのない人だから。
だけど、天皇中心の中央集権国家を建設するぞと張り切っていた後醍醐にしてみれば、武士どもに担がれて幕府なんていうケシカランものを復活させた尊氏は不倶戴天の敵ですから。吉野の山奥でずーーと反足利を掲げて頑張ってました。
足利尊氏は、北朝の天皇から征夷大将軍に任命されて、武家政権を復活させたんであって。この国には「天皇」というのがいないと何ともならないようなシクミで出来ているんです。日本史上、天皇を自分の都合のいい人物に差し替えようとした権力者はいますけど、天皇という存在自体を否定しようとした人物は一人もいません。一人も。

もしあなたが足利尊氏を「反天皇」だと思い込んでいるならば、そういうふうにウソの宣伝をした人物が後世に(何人か)いるからです。
その一人が、水戸黄門こと徳川光圀です。
このひとは「南朝が正しい天皇で、北朝はニセモノだ」と決めつけて(まあ理由はいろいろありますけど)、足利尊氏を「天皇に叛逆した極悪人」に仕立ててしまいました。
この考え方は幕末になって「幕府を倒そう」としてる人たちにうまいこと利用され、「そもそも幕府っていうのは、反天皇のケシカランものだ」っていうプロパガンダに利用されたんです。


「討幕派」のひとたちは、幕府に逆らって「天皇のために」戦った楠木正成を英雄に祭り上げ、自分たちを楠木になぞらえて「こっちが正義だ」というイメージ戦略に利用しました。
いま、皇居の前に楠木正成の銅像が建っているのは、そのためです。
かなり不公平で間違った歴史観によって、足利尊氏は「反天皇なんですよね?」なんて濡れ衣を着せられてるんですよ。

(続く)「後醍醐天皇は、足利尊氏と折り合うことが何故、出来なかったのか?

あなたもスタンプをGETしよう