「大政奉還」と「王政復古の大号令」は、どう違うのか?  | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

大政奉還は徳川幕府のほうが出してきた手で、王政復興の大号令は薩長のほうが出してきた手だから。そりゃ最初から全然違うわけですが。
「結果は『幕府解散』という同じことを、解散する側が言ったのか、させる側が言ったのかの差だけで、内容は同じでしょ」ってお思いなら、これは全然違うんです。


最期の将軍は、「もう参りました、許してください、命ばかりはお助けください」って泣きながら大政奉還した、みたいなイメージでいるのなら、それは大間違いです。
徳川慶喜は、徳川政権が生き残るためのウルトラCで「大政奉還」したんです。つまり、政権を天皇にお返ししますったって、朝廷は何もできっこない、結局は江戸の徳川政府に政治を任すしかないでしょ。だから、幕府やめます、って思いきって看板を掛け変えて、日本を徳川主導で新しい中央集権国家に作り替えて、自分が新国家の大統領かなんかになろうと目論んだんです。
そうはさせじ、と薩長側が繰り出したのが「王政復古の大号令」です。つまり徳川にはもう政治はさせないよ、天皇が支配する古きよき日本に戻るんだよ、この際大声で言うけど、何がなんでも徳川は入れてやらないよ! というわけです。
もし、薩長がボーっと生きてたら、徳川大統領のもとに明治維新みたいな改革が行われて、江戸は江戸という名前のままで煉瓦のビルと瓦斯灯の街になり、自動車と鉄道が走り回る世の中になった、かも知れません。
「大政奉還」ってのは、もしかしたら起死回生の大逆転カードになったかも知れないんですよ。

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