「坂の上の雲」に描かれているように、乃木希典は無能で、児玉源太郎は有能だった、てのは史実なのか? | えいいちのはなしANNEX

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司馬遼太郎先生(葉以下敬称略)は、東京外語大のモンゴル語学科の学生時代に、学徒出陣で戦車隊に配属され、装甲ペラペラの戦車に乗っけられて「これで実戦に出たら確実に死ぬな」と覚悟したという話を繰り返し書いています。

幸いにして実際に満州あたりに送られる前に終戦したので死なずに済んで、新聞記者から小説家になれたわけですが。

つまり司馬遼太郎にとっては「戦争の駒として殺される」というのは、歴史や物語ではなく、我が身の現実だったんです。人間の命を消耗品として、武器よりも粗末に扱う戦争という愚行に、憎しみに近い思いを持っていた。これは、現実に召集されて武器を持たされ死を覚悟した経験のない現代の若者が、どーのこうの上から目線で評論できる話ではないでしょう。

そんな司馬遼太郎にとって、大量の兵士を突撃させて殺し、それで敵陣を攻略して英雄になる、というのは、許しがたい愚行だったのだろうというのは想像に難くありません。
乃木が人格的にどうだったか、作戦が妥当だったか、そういうこととは違う話なんです。「人間を突撃させるより先に大砲の弾を飛ばそうって、どうして考えないんだ」と言いたくなるのは無理ないところです。
だから坂の上の雲でも、東郷や秋山は肯定的に描いているし、大砲を運んできてカタをつけた(と司馬は思い込んでいた、ここには史実とのあいだに誤解があるのは事実です)児玉にも好意的です。
とにかく、合理主義者の司馬は「人海戦術」みたいなことが大嫌いなんです。その象徴(だと司馬が考えていた)である乃木に批判的だったのも当然だろうと思いますし、それと対称させる形で児玉源太郎を現実以上に持ち上げているのも、これは小説家の「演出」として仕方ないというか当然の効果的技法というべきです。
つまり、日本陸軍の「非合理さ」をすべて乃木という英雄に象徴させるために、対比として「合理的」な児玉、というキャラクターを創作してキャスティングした、といえます。
例えれば「関ヶ原」で石田三成を正義、徳川家康を極悪に描いたのと同じ手法といえます。
現実には、大砲の攻撃は児玉が来る前から乃木が計画していなが、本国の無理解のため遅れていただけで、乃木は貧乏くじを引かされたのだ、とも言われます。
乃木が無能で児玉が有能、というのは、あくまで小説家の演出です。

しかし、そういうバイアスで演出を凝らして描かねばならなかったのも、司馬遼太郎という人にとって「戦争の愚劣」というのは切実なテーマだった、ということです。
司馬遼太郎にとって、戦国時代や幕末の戦争は「歴史のできごと」であり、娯楽として描くことはできる。しかし、日露戦争の「満州」というのは、自分がもしかしたら死ぬはずだった土地であり、他人事ではないんです。
司馬遼太郎先生は、ついに太平洋戦争を小説には書きませんでした。というか書けなかった。「まったく他人事ではない」からかです。
だからこそ代わりに、日露戦争の乃木に「のちの日本陸軍の人間を粗末にする戦い方」の源泉を見たのでしょう。
なんとかフィクションの小説としてギリギリ書けた日露戦争のなかに、本当は描きたかった太平洋戦争の愚劣さを描いた、ということだと言えます。

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