遣隋使の国書にある「日出処の天子」とは、聖徳太子ではありません。え? | えいいちのはなしANNEX

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遣隋使、遣唐使を派遣したのは、歴代の(つまり、そんときそんときの)「天皇」です。

聖徳太子だって、まさか個人の趣味で最初の遣隋使を始めたわけじゃない、「摂政」として、国の政治をする立場として、国家事業として、「日本国の代表」である使節を中国にやったんですよ。

だから、隋の皇帝にあてた手紙の「日出ずるところの天子が、日没するところの天子に手紙を送ります」っていったときの「天子」は、日本の元首(代表)である天皇という意味で、聖徳太子が日出処の天子ではありません、誤解のなきよう。
聖徳太子が死んでも推古天皇が死んでも、次の天皇が立って、また中国に使節を出します。隋はすぐ滅んで唐になったので遣隋使でなく遣唐使になります。一度だけではなく何度も出てます(十数回、途中で難破したり中止になったりがあるので数え方には諸説あり)。すべて、出した人はそんときそんときの天皇です。

そういうことです。

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