「明智光秀は、よろこんで比叡山焼き討ちを実行した」とテレビで言ってたけどホントウ? | えいいちのはなしANNEX

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「よろこんで」かどうかは分かりません、そんな大昔の人間の心理を云々するのは無意味です、戦国時代には戦国時代の、武将には武将の価値観があるので、それを現代人があーだこうだ言っても仕方ないです。
ただ「積極的に実行した」というのは、文献的にはどうやら確かです。
光秀というひとは、たぶん、仕事はキッチリやる人です、その仕事が好きだろうと嫌いだろうと。


「明智光秀は本能寺で信長を殺した」→「光秀は、信長のやり方に不満を抱いていたに違いない」→「比叡山を焼き討ちするような暴挙が、光秀には許せなかったに違いない」→「光秀は比叡山焼き討ちには反対していたに違いない」というのは、小説家やドラマ脚本家の推測にすぎません。
こういうのを「逆算の論理」といいます。
本能寺の光秀に「立派な理由」があるとするなら、逆算して、比叡山焼き討ちみたいなことには反対していてくれないと困る、つまり物語が作れないんですよ。それは小説家の理屈で、歴史学では通らない、ってことですね。

「麒麟がくる」では明智光秀は「女子供は逃がせ!」と言ってましたが。秀吉が主人公のドラマだと、秀吉が女子供を逃がしてます。「信長のシェフ」では、実は誰もいないところをちょっと焼いただけ、っていう話になってます。そんなもんです。ドラマの筋を真に受けると間違えます。

 

 

 

 

 

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