織田信長は「おやかたさま」と呼ばれていたか? | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

「室町二十一屋形」といって、将軍から「屋形号」を許された家は足利一門を中心とする有力守護大名に限られていました。

しかしやがて、関東公方が「関東八屋形」というのを創設したり、戦国時代になると手柄と立てたとか献金したとかで将軍から「屋形号」が乱発されたりで、屋形号の権威か 

かなりユルユルになります。

武田信玄は、正式な守護の家であるというプライドで生きている人間ですから、当然「おやかたさま」と呼ばれるべきであり、そう呼ばれることを喜んだでしょう。

しかし織田信長は、もともと守護代のそのまた家来の家の出です。それが実力でのし上がって、そういう「昔ながらの家柄にすがって生きてるヤツラ」を凌いだ男です。義昭を奉じて上洛したあたりから当然「屋形号」を許されていますが、だからっていまさら自分を室町体制内の権威の象徴である「お屋形様」という称号で呼ばせて、喜んだりしたかどうか? 

このへんは想像力の問題ですけど。

義昭追放後はこんどは信長が屋形号を家来に与えてるくらいなもんですから、自分を(旧弊な信玄あたりと同じ)「お屋形様」なんて呼ばせて悦に入る趣味は、信長にはなかったんじゃあないかなあ。

じゃあなんて呼ばせてたか。たぶん「上様」あたりじゃないかなと思います。朝廷では天皇、幕府では将軍だけを呼ぶ言い方ですから。

 

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