摂関政治というのは、藤原氏が摂政、関白の地位を世襲のように独占して政治権力を握った時代(期間)を指す歴史用語です。もちろん、厩戸皇子(聖徳大使)が始めて摂政になった、って話は、全く関係ありません。
この期間は、藤原良房が人臣初の摂政になった時点で始まった、と考えるべきでしょう。
こう言うと、まだ関白というものが出現していないのに「摂関政治が始まった」てのはヘンだ、って言われそうですが。
これは「用語」なんです。
鎌倉幕府とか大和朝廷とかと同じく。その当時リアルタイムでは、そんな呼ばれ方はありません。たいていの歴史用語ってのは、そういうもんです。
ついでに言うと、院政が始まった時点で、摂関政治は終わります。もちろん鎌倉時代にも江戸時代にも摂政関白はいます。しかし、もはや最高権力者ではないので、摂関政治とはいいません。
国家を運営してるのは摂政だ関白だ大臣だっていう、藤原氏の上級貴族と、その次男三男が「門跡」として乗り込んでいる大寺社です。 荘園領主ってのは、イコール、そういう上級貴族です。
国家のルールを勝手に作れる連中が「自分たち上級貴族だけは、国家の財産を公然と横領してもいい」という仕組みにしたんですよ。 それが「摂関政治」の時代の国政ってヤツです。まあ、平安時代ってのは、そういうくだらない時代だった、てことです。いくら源氏物語や枕草紙ができても、雅なのは都の権力者の周囲だけです。
とはいってもね。首相は自分の支持者ばかりを大量に「桜を見る会」に招待して、国費を使って接待してもいいとか、自分のお友達ばかりに美味しい事業を認可してもいいとか、「ルールを作れる人間は、自分ばかり得するルールを作りがち」なんてのは、いつの時代でも一緒の、あるあるですけどね。