現代では、県知事と首相は兼任できませんよね。
でも、江戸時代には、たとえば井伊直弼が「彦根藩主」の時期と「大老」の時期は重複している。これはいいのか、兼任は許されるのか、ちゃんと勤まるのか、みたいな疑問がありました。
なので、「藩主」という表現をすると、いわば現代における県知事のようなもので、その「藩」の政治一切を取り仕切る責任がある、多忙な地位のはずだ、とイメージされるから、こういう疑問が出るのであろつと思われます。
江戸時代のイメージは、これとはちょっと(かなり)違うんです。
封建制度において、大名は、将軍と「御恩と奉公」の関係を結んでいて、将軍に領地を保障してもらう代わりに、将軍の命令があったら軍勢を率いて戦わなければなりません。こうした「臨戦態勢」が武家社会の基本です。将軍は、大名に出陣命令を出せますが、大名家の家臣たちには個別に命令をすることはできません。家来たちは、自分の主君である大名の命令だけを聞きます。将軍からの個別命令は聞けません。これが軍隊の基本構造です。
平時でも、この基本は援用されます。将軍のために仕事をするのは、あくまで大名個人です。その家来たちは、大名が将軍様のためにお仕事をするために全力サポートするだけです。
つまり、「大老」にしろ「老中」にしろ、その家の当主、大名本人(歴史用語で藩主)しかなれない、ということなんです。
外様大名が戦争のないときに命ぜられるのは、軍事行動の代わりである幕府の城の普請、東照宮の造営、木曽川の改修工事、などの普請事業、加えて行軍演習と江戸での将軍の護衛(つまり参勤交代)などがあります。が、基本的には「自分の領地をしっかり統治して、総体的に日本の平和に貢献する」ってのがメインになります。
いっぽう、三河以来の「徳川家の家来」である譜代大名には、「徳川幕府を運営する」という大切な仕事があります。その仕事を遂行するために何万石という領地を預かっています。ですから、幕府の職を仰せつかったら、自分の領地を治める作業は家来に任せて、幕政に専念することになります。参勤交代もしません。
外様大名の領地は「先祖代々の固有の領土」ですが、譜代大名の領地は「徳川家から預かっているサラリー」みたいなもんなんです(だからしょっちゅう転勤があります)。
「藩主」という呼び名は、外様大名にはイメージ的に合っていますが、譜代大名にはあまり当てはまらない、といえます。
井伊直弼は、井伊家の当主にならなければ「大老」にもなれません。てゆうか、江戸時代後期には、井伊家の当主はある時期がくると半分自動的に大老に就任するようになります。そういう家なんです。