平重盛が、父清盛の傲慢なやり口に心を痛めていた、というのはホントの話か? | えいいちのはなしANNEX

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「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」
と重盛が言った(思った)というのは、「平家物語」の創作であり、完全なフィクションです。
重盛が、清盛が強引な手法で朝廷との関係を悪化させることに心を痛めていた、という設定自体が「嘘」であり、実際は重盛のほうが、しょっちゅう我侭から朝廷とトラブルを起こすドラ息子で、むしろその尻拭いをしていたのが清盛のほうです。

角川新書「陰謀の日本中世史」(呉座勇一著、中公新書「応仁の乱」のひとです)の第二章「陰謀を軸に『平家物語』を読み直す」のところに、ちょうどこのあたりの話が出てきます。2018年3月刊の新刊です。この本とてもいいです。
58ページ「治承三年の政変」の項(鹿ヶ谷事件のあとの記述)
・・・「平家物語」は、長男重盛の諫言によって後白河への攻撃を断念したとするが、傲慢な清盛と誠実な重盛の対比を強調する物語上の脚色と考えられる。重盛は藤原成親の妹を妻に迎えており、身内から罪人を出した責任を取って左大将を辞任している。このとき、重盛は政治的に窮地に陥っていたのあり、清盛を諫止するどころではなかった」

平清盛の時代について、いまだに日本人に圧倒的な影響力を持っているのは「平家物語史観」です。これは司馬遼太郎史観の百倍、千倍は根強いと思って間違いありません。「平家物語」は世界屈指の文学作品の金字塔です、つまり、あまりによくできている、のです。
それでも、「平家物語」は、物語つまりフィクションです。少年マガジンであれば「この物語は、事実をもとにしたフィクションです」とでも書くところですが、要するに、登場人物の名前は実在でも、起きた事件の顛末や解釈は作者の創作である、ということです。言っちゃえば水戸黄門と同じです。

「平家物語」の原作者は、貴族階級に属する仏教関係者です(たぶん)。「武士のくせに、貴族社会に土足で踏み込んできてすき放題やった傲慢な平家め、ああ腹が立つ腹が立つ、滅びやがってざまあみろ」というのが、「平家物語」が執筆された動機です。ところが、この「物語」を日本人の大多数は(その先生も含めて)「史実」だと思い込んでいるので始末が悪いことになるんですが。
「平家物語」は、数々の戦で華々しく活躍した青年清盛を描かず、すでに貴族社会の頂点を奪取している時点から書き始め、傲慢な清盛を、傲慢な極悪人として描くことに心血を注いでいます。この時代に起こった悪いことはすべて清盛の傲慢のせい、この時代の事件はすべて清盛が悪役です。その意味で「物語」としては実に首尾一貫しています。清盛の悪行の因果応報で、彼の子孫は全滅するわけです。

清盛の悪行を際立たせるためには、「ごく近い身内でさえも、清盛の傲慢に心を痛めていた」ということにしたほうが、より効果的です。そこで「平家物語」で良識派の役を振られたのが、長男の重盛だったわけです。重盛は清盛よりも早く死んでいますので、彼を「いいもの」にしておいて、この「唯一よくできた息子」が早死にしたのが運のつき、というかそれも清盛の悪行の報い、ということになるわけです。
もちろん、まじめな歴史研究をしている人々のあいだでは、清盛は「善人か悪人か」ではなく「有能か無能か」「その政策は有効だったか失敗だったか」で語られるべきものであり、清盛はワルに決まってるみたいな視点ばっかでモノを語っていたわけではありません。

たとえば「殿下乗合事件」についても、重盛の子、資盛が、摂政基房の家来とトラブルを起こした。重盛が激怒して、基房を襲い、散々辱めを与えた。これがどうやら単純な真相です。
史実がこの通りなら、重盛は、親の権威をカサに着るドラ息子以外の何者でもなかった、みたいです。清盛はのちに仲介に入り、陰で基房側に詫びを入れている形跡もあります。オトナなんです。
ところがこの事件が「平家物語」では、祖父の清盛が激怒して基房を襲い、良識ある重盛は父を諌める、ということにされてしまったのです。ちなみに大河ドラマ「平清盛」では、清盛の意志を察した時忠(森田剛)が「忖度して」実行したことになっています。

とにかく、清盛は傲慢な悪役でなくちゃいけない。でないと、隆盛を誇った平家があんなにあっけなく没落して滅亡した理由が分からない、読者が納得できなくなるんです。歴史としてというより、物語として、です。
これが「平家物語」のやり口です。
物語というのは「正義は勝つ、悪は滅びる」がお約束です。よくできた物語というのは、そういうふうに首尾一貫しているもののことです。「平家物語」はよくできた物語です。だから人気があって、みんなそのストーリーを信じて、というより、愛しています。
だから、「清盛はヤクザみたいな奴」という既成概念に囚われている日本人の多くは「平清盛」が大河になると聞くと「どうしてあんな極悪人を主役にするんだ」と怒り出し、猛然と抗議電話をかけるのです。多くの琵琶法師が「平曲」を広めて回った絶大な宣伝効果が、今の日本には脈々と生きている、ということです。

清盛は「日本を良くしよう」という志のある政治家であったと考えられます。
理想の実現のためにはまず権力を握らねばならず、権力を握るためには強引な方法論も取らねばなりません。
もちろん、清盛の政治的理想なんか、「平家物語」の作者が理解できるはずがありません。平家物語は清盛が自分の権力欲を満たそうとしか考えていいない、日本史上屈指の「悪役」に仕立てていますが、これは誹謗中傷というより時代的限界でしょう。
時の貴族知識階級には「国の発展」とか「公共の福祉」なんて考えは毛ほどもなかった。
その代わりにあったのは「天皇家に忠か不忠か」という観念論だけです。
自分の幼い孫を強引に天皇にして、ある意味皇室を乗っとろうとした清盛は、旧来の価値観では極悪人に間違いありません、だとすれば、後白河法皇を圧迫して幽閉する張本人も、清盛本人でなければいけない、わけです。

というわけで、最初の話に戻りますが。
「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」
父親は尊敬したいけど、そのやり方には同意できない、みたいなドラマチックなジレンマを抱えた人間を描くと面白いな、というのは、あらゆる物語作家が考えるところでしょうから、これに似た設定になりそうな親子関係を見つけたら、多少事実を曲げてでも、そういうシチュエーションに持っていくでしょうね。
だから、「似たようなことを思っていたひと」というのは、物語の中には沢山いるでしょう。
ある作家は、織田信長と信忠の関係がそうだといい、足利義満と義持の関係がそうだといい、斉藤道三と高政(義龍)の関係をそれに当てはめる作家がいてもいいでしょう。
親に反抗する息子というのは、「親孝行うんうんよりも大きな倫理を、親父は踏み外している」ということを根拠にするのが常道です。それは本音のときもあれば単なる口実のときもあり。たいていはそのどちらも含んだ複雑な感情でしょう。これを「アンビバレンツ」とかいいます。

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