「麒麟がくるまでお待ちください」の竹中秀吉の回で、なんと「吉乃」の名前を呼ばなかった。何故!? | えいいちのはなしANNEX

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一昨日放送された「麒麟がくるまでお待ちください」、竹中直人の秀吉のダイジェストでした。

このときの「秀吉」は、主人公が死ぬまでやらない、という珍しい大河でしたね。

このあと竹中直人は「軍師官兵衛」で改めて秀吉をやりました、これはそのときの、二階堂ふみの淀殿。史上稀に見る不機嫌で腹黒の淀でしたが。

それはさておき。一昨日の「秀吉」ダイjェストのなかで、

「藤吉郎は、信長の側室の家で、はじめて信長に会った」というくだりがありました。

「吉乃こそ信長のホントの愛妻」という話を最初に広めたのは、このドラマ(竹中版秀吉)だったのに、なんとNHK、今になって名前も呼ばない、「吉乃なんて名前の女性を登場させたことなんかありましたっけ?」とでも言いたげな扱いです。

この頃の大河を見て育った世代のクリエイターのなかには、相変わらず「吉乃」こそ信長の事実上の本妻、という漫画や小説を作ってますけど、実のところ、マトモな歴史の世界では、吉乃という女性はすでに消えています。

NHK大河ドラマというのは、ずっと見てると「時代の変遷」というのが感ぜられることがあります。

「信長や秀吉が出てくる話ばっかりで、代わり映えしない」かというと意外とそうでもなく、歴史学的にも最近になっても新発見や新解釈が、けっこうあったりします。

三十年ほど前の「国盗り物語」(信長=高橋英樹)では、帰蝶=濃姫(松坂慶子)は生涯、信長のただ一人の愛妻であり、本能寺にも一緒にいて、薙刀で明智軍と戦って死んでいます。

吉乃という女性は影も形もでてきません。

原作者の司馬遼太郎先生は、戦後民主主義者であり猛烈な愛妻家でもありましたから、一夫一妻制の信奉者です。史実はどうあれ英雄・信長に側室だの愛人だのメカケだのがいることは許せなかったのでしょう。

ですから、斉藤道三の娘を唯一の愛妻と定め、道三は娘婿の信長に美濃を譲るという遺言を書いて死んだ、ということで小説「国盗り物語」の第一部と第二部をつなげました。いわば「司馬先生の独自のポリシー」が、この設定には大きく反映しています。

これが1992年の「信長 キング・オブ・ジパング」(信長=緒方直人)になると、濃姫(菊池桃子)と信長との関係は終始微妙となる一方、「生駒夫人」と呼ばれる側室(しの・高木美保)の存在が大きく描かれるようになります。

ついで1996年「秀吉」では、吉乃(斉藤慶子)は完全に「事実上の正妻」として描かれます。
このあいだに何があったのか。「前野家文書」という新発見資料の研究が進んだのです。
新発見といっても、伊勢湾台風のときに浸水した愛知県のある旧家の土蔵を整理していたら、文書が出てきた、という何だか怪しげな話なんですが、、これが前野家文書、またの名を「武功夜話」です。

これを詳しく読んでいくと、この家の先祖である生駒家の未亡人、名前は「吉乃」という女性が、信長の事実上の正妻と言っていいほどの存在であったということが「判明」したのです。

歴史好きは色めき立ちました。これで、信長にまつわる大きな謎が解明されるからです。正妻のはずの濃姫が、美濃攻めあたりから以降まったく資料に出てこないのは何故か。実は信長と濃姫は政略結婚以上の関係ではなかった、愛情などなかった、と推測してもかまわん、ということになりました。

「濃姫は美濃攻めの前に離縁されて、美濃に返されたに違いない」というのが通説のようになります。津本陽先生や堺屋太一先生など、当代の流行作家はみな、このセンに添ってニュータイプな小説を書くようになります。司馬先生は「勘違い」をしていたオールドタイプ、ということになってしまいました。
しかし、この「前野家文書」、そんなに手離しで信用していいのか、という反省が、最近では主流になっています。その理由は、この文書が「面白すぎる」からです。信長は事実上の正妻である吉乃の住む生駒屋敷に頻繁に滞在し、秀吉ら家臣とともにさまざまな戦略を練ったりしており、その様子が「実際に聞いたこと」として、つぶさに描かれています。あまりに面白いと、最初は熱狂しますが、そのうち「本当か?」ということにもなります。要は、吉乃と生駒家にとって、あまりに都合がいいのです。


この文書、リアルタイムのものではなく、かなり後世、すくなくとも江戸時代に書かれたものであることは、実は最初からわかっていました。であれば、書いた者に都合よく相当の脚色がされているに違いない、と考えるべきですし、信長と秀吉が作戦について語りあっている様子などは全部「創作である」と考えたほうが妥当です。吉乃が信長の「事実上の正妻」というのも、かなり怪しくなります。
それどころか、前野家文書は「昭和に出来たでっちあげ文書」である可能性のほうがむしろ大きいらしいのです。これはワタシ、丸谷才一先生のエッセイで軽く当然のように書かれているのを読んでアタマ叩かれたほどショックでした。そりゃ、いきなり土蔵から出たなんてものを信用できるかといえば、ねえ。


前野家文書は、学術的にはほとんど「偽書」扱いされています。「生駒夫人」という信長の子を産んだ女性がいたのは確かですが、そのひと(吉乃)がどんなヒトだったのかは「確かなことは何もわからない」のです。吉乃について何かを「知っている」という人がいたとしても、それは前野家文書の孫引きをどこかで読んで語っているに過ぎません。「センゴク外伝 桶狭間戦記」の吉乃も、創作をもとにした創作でしかないのです。

吉乃という女性についてあなたが「知っている」と思っていることの、大半は「たぶん嘘」です。嘘と言って悪ければ「ロマンチックな創作物」です。ましてや、それ以上のことは誰も知らない、というのが正しい、ということになるのです。


「秀吉」で吉乃を大きく登場させてしまったのは、NHK大河にとってもはや黒歴史です。忘れたい過去なんです。
今後、大河ドラマに「吉乃」が登場することは、たぶんないと思います。歴史的に実在が怪しいという評価が定着してしまった以上、NHKはもう、火中の栗を拾わないでしょう。
とはいえ、帰蝶(濃姫)とは別の、信忠と信雄を生んだ女性がいたのは、事実として動かせません。

「麒麟がくる」では、桶狭間の回で信長が突然「奇妙丸(信忠)」をつれてきて「キツノという女が産んでくれた、俺が死んだらこの子を頼む」とか言って出陣していまい、帰蝶はしばらく呆然としていました。夫婦の危機になりかねない話をドサクサで誤魔化しました。まさかこれが本能寺の伏線だとかにはならんでしょうけど。なかなか「NHKが自分のカサブタをはがす」ような、ちょっとスリリングなシーンでした。
ここで、こういう形で名前だけ出してケリをつけた以上、これ以上「その吉乃ってのはどこの誰?」みたいな話題は出ないだろうし、生身の吉乃は画面には登場しないでしょう。
もしかしたら、NHKに「吉乃」という名前が出るのはこれが最後かも知れません。

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