西国雄藩は、なぜ幕府権力絶対の江戸時代において、討幕の力を蓄えることができたのか? | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

藩というのは幕府の下部組織ではありません。ここんとこ誤解してるひとが多い、というか誤解させるように学校で教えられている、なので多くの人が江戸時代の「幕藩体制」に間違ったイメージを持っています。

藩(というのは大名家を指す歴史用語ですけれど)とは、いわば「半独立王国」みたいなもんで、多くは幕府ができる以前から存在しています。島津(薩摩)も毛利(長州)も前田(加賀)も伊達(仙台)も、徳川のおかげで大名にして貰ったわけではありません。幕府が強いから、ちゃんとやってるから、とりあえず配下になってるだけなんです。

国全体の政治は幕府、地方自治は藩、という完全分業制が、幕藩体制です。

各「藩」は、みな独自の支配体制をもっており、幕府は基本的に口出ししません。領内で取れる税はすべて藩の収入であり、幕府に上前をはねられることもありません。各大名は、自分の責任で地場産業を育てるなり新田開発するなり商売するなりして、領国を豊かにしなきゃいけません。だから「半独立国」なんです。

もちろん参勤交代して将軍に忠誠心を示さなければいけませんし、幕府から動員がかかったらすぐに自前で人数を揃えて馳せ参じなければいけません(戦争がなければ、将軍の城の修理とか河川改修とかを命じられます、これも軍役のうちです)。この費用は全額自己負担、幕府から経費は出ない。これが「封建制」てやつです。

すると、幕府の用を果たすのが精一杯で青息吐息の藩と、経営改革に成功して豊かになってく藩が、自然に出来てきます。こうした「富裕層」の藩は西国に多いのですが(経済が発展していて商売がしやすい、気候がいい、幕府から遠くて目が届きにくい、密貿易なんかもやればやれる、とにかく自助努力がしやすい)、彼らは幕府のおかげで金持ちにして貰ったわけではありません。幕府が強いから、ちゃんと日本を治めているから従っているんであって。そうじゃあなくなったなら、幕府なんか潰してやってもいいんです。
藩というのが、幕府の完全支配下にあった、という常識が、実は間違ってる、ということです。

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