平将門の怨霊が、京都ではなく関東で怖れられていた(らしい)理由 | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

将門は関東では独立運動のカリスマヒーローだけど、京都ではただの地方の反逆者だからです。カストロか、カダフィか、ジオン・ズム・ダイクンみたいな存在ですな。

祟りには巨大なパワーがあって、敵対者にはとんでもない災厄をもたらすけど、うまく崇め奉って味方にすれば、とんでもなく頼りになるんです。

畏れると敬うとは、表裏一体ということです。

この巨大なパワーを、歴代の関東の支配者は崇拝してきました。最終的に将門を関東の守護神の地位に据えたのは家康と天海です。将門の首塚が「大手町」つまり江戸城の正面にあるのは、そのためです。将門は、江戸を護ってるんですよ。自分を尊敬して崇拝する限り。

だから、京都や長州から乗り込んできて東京にのさばっている連中が、江戸の街を潰して役所を建てたりするのは怪しからん。将門様を軽く見て碑を動かしたりすれば、そりゃもう目茶苦茶怒って祟るんです。ふざけるな、この田舎者どもが!って(実は、怒ってるのは江戸っ子なんですよね)。

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