「義経北行伝説」というのが大昔からあります。東北から北海道にかけて、「平泉で実は生きていた義経一行が、この地に逃れてきて、しばらく滞在したのちに、さらに北に去っていった」という伝説がいっぱい残っていて、義経を祀る神社もいっぱいあります。
これだけ沢山証拠があるんだから、義経が生き残ったのは確実だろう、と思いたくもなりますが。もちろん「義経には生きていて欲しい」という庶民の願望が形になったに過ぎません。一種の「神話」です(だから神社にもなるわけですが)。
で、義経のはなしも、そのテです。
しかし、東北や北海道はさすがに、奈良時代や平安時代の偉人は来ません。そりゃそうです、そのころはまだ日本じゃかかったんだから。
そこで、岩手県、青森県、北海道あたりの町で「その昔、来そうな人気者」はと考えれば。ちょうどいいんです、義経は。なにせ日本史上いちばんの超人気者なのに、死亡確認ができてない。「死んだフリして密かに逃げた」とすれば、秘密旅行なわけですから、証拠もなにもなくて当然です。「実は・・・」という伝承だけでいいんですから。
だから、どこの伝説でも「義経はさらに北に去っていった」ということになるわけです。
そんなわけで、北東北、北海道には「点々と、義経の足跡が残って」おり、全部集めると妙にリアルなことになります。しかもどこにも終点(墓)がない。となれば、もう義経は、樺太から大陸に渡っていったと考えるしかないじゃあないですか。せっかく大陸に渡ったんなら、エライ人になって欲しいじゃないですか。
みんなが「そうだといいなあ」と言っていることをあえて否定するのは「野暮」ということで、「ロマン」は広まっていくわけですが。
こうなると都市伝説みたいなもんですが。戦前の日本人がこの説を熱狂的に支持したのもまた事実です。「判官贔屓」に「国威発揚」の要素が加わってしまったのです。
「軍隊にダマされた」みたいな言い方をしちゃいけません。
「庶民感情」というのは、必ずしも「弱者の味方」だけではないんです。ちょっとキナくさい話でもあるんです、これは。
私も昔、高木彬光「成吉思汗の秘密」を子供の頃に読んで、「義経はジンギスカンだ、絶対!」と思って、友人を説き伏せまくったものです。甘酸っぱい思い出です。ちなみにこの小説では、満州の女真族(→清の皇帝)というのは成吉思汗の子孫で、「わが先祖は清和なり、ゆえに国を清と号す」と記された文書をどっかから見つけてきて、これぞたしかな証拠!て話になるんですけど。そんな文書が実在するのかどうか知りません(小説はフィクションだよキミ、とか高木先生に言われたら笑えません)。
あと、源氏の家紋が笹竜胆、というのはフィクションです。義経の時代はまだ個人の意匠で、家紋というものはありません。笹竜胆は、後世に(歌舞伎の舞台なんかで分かりやすくするために)当時の源氏の名族が使っていた家紋を「これが源氏!」と勝手に決めたものです。義経が笹竜胆を使っていたことはありません。平家の揚羽蝶も同様にフィクションです。
なんにせよ、他国の歴史的英雄を、勝手に「ウチの国の敗残兵がそっち行ってなりあがったんだ、だっておまえらの国のトップになるくらい簡単だから」って、とんでもなく失礼な話ですよね。どうかと思いますよ。