「坂本龍馬はいなかった」説について。てゆうか、これを機に、彼の名前について考えてみる。 | えいいちのはなしANNEX

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「坂本龍馬はいなかった」という本が出てるそうで、「坂本龍馬が実在しなければ維新はない!」と怒っている人がいました。
はあ、そうですか。

そういう本のパターンはだいたい決まっていて、たいていはトリックプレーです。
どうせこれは、「坂本龍馬が薩長同盟をはじめとする数々の業績をあげた人物だというのは、すべて後世の講談師のような小説家が作ったフィクションである。本当の彼は何をしたわけでもないペーペーだった、だから、あなたがたが信じている『偉人・坂本龍馬』は、幻想である」、ていうような話ですよ。

「いなかった」というのは耳目を引くための売り文句であり、
 「いなかったというのは、ものの譬えだよ、そのくらいオトナなら分かれよ」
って言われるのがオチです。
 気になるなら、あれこれ言う前に、その本の内容を確認したほうがいい。ま、それほど手間をかけるほどの内容はないだろうけど。
いや、わからんですけどね、フリーメイソンがどうとか言い出すトンデモ本かも知れないし、それはそれで面白い。

あと、もうひとつのパターンは、
「坂本龍馬というのは本名ではない、本当の名前は○○だ」
みたいな拍子抜けする話。、
 「才谷梅太郎というのが彼の本当の名前であり、坂本龍馬というのは非合法志士活動のために彼が自分でつけたペンネームみたいなものである」
みたいなオチはあるかな、と思います。

たとえば、「昭和天皇はいなかった」という言い方だってできます。天皇の名前は崩御のあとに追号として贈られるものであって、生きているあいだは単に「天皇陛下」でしかない。だから昭和天皇はいなかった、って理屈です。
私は「藤原鎌足はいなかった」というタイトルの文章を書いて、本文を読みもしない多くの方々から多数のご批判、罵倒をいただいたことがあります。


 私の主張の趣旨は「鎌足が死に際に藤原姓を賜ったという話は眉唾で、おそらく日本書紀のウソである、日本書記の実質編集長は藤原不比等であり、実は藤原氏を貰ったのは彼なんだけど、家にハクをつけるために父親の事跡をかさ上げしたのだ」ということです。
 私は生身の「中臣鎌子」という人物がいて、大化改新でそれなりの仕事をした(ナンバー2だったってのは、かなり盛られている気がするけど)のは否定しません。でも、彼は「藤原鎌足」ではなかった、「藤原鎌足」はいなかった、と(私的には)確信してます。

で、坂本龍馬の話に戻りますけど。
彼の家は名目は郷士とはいえ実質は「才谷屋」という商家ですから、郷士としては坂本龍馬、商人としては才谷楳太郎、これはどっちも本名であると考えるべきだと思っています。.

楳は梅の異字体。楳津かずおの楳です。

世の中には「龍馬が偽名として使ったのが才谷楳太郎だ」と思ってる人が多いですが、そうではないです。

ちなみに彼の諱(いみな、本当の本名、とでも言うべきもの)は「「直陰」のち「直柔」であり、龍馬というのは字(あざな、普段呼ぶとき用の通称)です。だから坂本龍馬はもともと本名ではない、って言い方も出来るわけですけど。


 父が八平、兄が権平なのに比べて、次男が「龍馬」ってのはなんか不自然にカッコいいように思えます。生まれたときに背中に毛が生えてた、とかよく出来た話ですけど、ホントかなあ、という気がします。案外、本人が「志士活動」を始めたときに自分でつけたんじゃないかなあ、という気もするんですがどうでしょう。

それから、姉の名前は「坂本乙女」なのか。
女性の名前には普通、苗字はつきません、だから江戸時代までは日本夫婦別姓だとかいう主張する人は、は意味がないと思ってます。
しかしまあ、幕末ですから、意識高い系の女性は、苗字を名乗るかも知れません。
乙女さんが、自分は武士の娘だと思うか商家の娘だと思うかは本人の意識の問題で、自由です。武士だと思えば「坂本乙女」と名乗るでしょうし、竜馬が自分を商人ではなく武士だと思っているなら姉のことを坂本乙女と呼ぶでしょう。江戸時代の名前なんて、戸籍制度があるでなし、けっこう、本人たちの勝手でいいんです。
「乙女」というのも妙にカッコいいですけど、この乙は甲乙平定の乙であり、いってみれば「妹」というだけの意味ですから、普通の名前と見てもいいかと思います。