戦国大名で居城をたびたび変えたのは織田信長くらいだ。なぜか? | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

「居城を変えなかった」ということは「天下を取る気がなかった」ということとイコールです。
そして、本気で天下を取ろう、天下統一しようと考えていた戦国大名は織田信長くらいであり、だから信長は居城を移動したのです。少しずつ京都に近いところに、少しづつ大規模な城に。
武士というのは土地領主から出発したもので、先祖伝来の土地への愛着というか執着には並々ならぬものがあります。自分の領国は魂の故郷です。ほかに動きたいなんて、普通は考えません、大抵の戦国大名は、そうです。
だから、隣の国を征服しても、そこは家来に任せて自分は本国に戻る。武士ならあたりまえです。

しかし、このマインドでいるうちは、天下は取れません。
天下統一のためには、まずは京都まで進出して天皇と将軍を抑える必要があります。天下が取りたければ、一足飛びに京都まで攻め込むことは不可能ですから、京都に近い国をひとつづつ順番に征服していかなければいけません。征服したら、その国をきちんと統治して勢力を固めなければなりません。それもなるべく早く。だったら、居城を移して自分が乗り込んでいくのが一番です。家来に任せていちいち本国に帰っていたのでは、いつまでたっても天下なんか取れないんです。


つまり、昔ながらの武士の「一所懸命マインド」を軽やかに捨てて、居城を軽やかに転々と移せる武将だけが、天下を取れるんです。でも、これは簡単にできる話ではありません。
武田だって上杉だって、戦国大名の家臣たちというのはもともと国人領主であって、それぞれが自分の領地を持ち、それを一所懸命に治めています。そういうヤツラを土地からひっぺがして新しい占領地に配置換えすることは、事実上は不可能です、そんなことをすれば反抗する者が相次ぎ、武士団は崩壊するでしょう。
天下が取りたければ、「領地を移れと言われれば簡単に移る、特定の土地に執着しない、新しいタイプの家臣団」てのを形成する必要があるんです。もちろんその過程では摩擦も抵抗のあるでしょうし、失敗すれば衰退して滅ぶだけです。織田信長だけが、それをやったんです。だから天下が取れたわけです。
居城を移せない戦国大名は、天下は取れません。取る気がなければ困難を克服して居城を移す必要はありません。