田沼意次は、どうして現代に至るもネガティブに語られるのか? それは「みんな悪人叩きが好きだから」 | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

「蚤とり侍」、冒頭から田沼意次が出てきましたよ、どかーんと。桂文枝だ。
うあ~悪い! いかにも賄賂政治家! 開明的で進歩的なんだけどやっぱり金が大好きで欲深い、あ~いい線をついてる、上手いことつくったな。

田沼意次は優れた政治家である、というのが最近の風潮ですが。

しかし同時代の、江戸時代の幕府の連中は、そうは思ってなかった、「悪魔に魂を売ったヤツ」みたいに思われていたんでしょう。
「実は、田沼はいかに偉いか」という件については、今日のところは繰り返しません。「何故、田沼は評価されないのか、三大改革に入れてもらえないのか」という点について述べます。

幕府の基本理念は「農業は正義、商業は悪徳」というものです。
商業が発展して物価が慢性的に上がれば、非生産者である武士はどんどん苦しくなります。このことを直感的に知っていた幕府は、農業以外の産業が発展する芽をできるだけ摘もうとします。「幕府」という仕組みを維持するためには、「農業だけが正義」という思想を貫かなければなりません。だから「士農工商」なんです。日本じゅうが農業のみで生きるスローライフ社会が幕府の理想だったのです。

この思想に忠実だった政治が「三大改革」と呼ばれ称賛され、この思想に逆らった政治は「悪」とされます。田沼意次のほかに、柳沢吉保もそうです。「武士の政権である幕府をあずかる者が、こともあろうに、商人と結託して金儲けをしようとした」と断罪されるのです。
これは「思想」の問題なので、正と邪しかありません。効果は関係ないのです。

家計でも会社決算でも国家財政でも一緒です。赤字で困ってるなら解決策は二つ、収入を増やすか、支出を減らすかです。
幕府の収入はほとんどすべて農民からの年貢です。商業は悪である、武士は商売をしてはいけないし、商人の上前をはねるような卑しいことはしてはいけない、これが朱子学の思想であり、幕府の基本姿勢です。ということは、収入を増やそうとすれば、新田開発か年貢率を上げるかしかない、そんなのはすぐ限界がきます、いきおい、「改革とは倹約のことである」となります。これが正しい「武士の政治」なのです。


そんな手段じゃもうだめだ、新しい収入の途を考えよう、商業を振興しよう、商人に課税しよう、というのは、普通に考えればごく当然の発想です。
でも、武士たるもの、そのようなことは考えてはいけないのです。それが朱子学に立脚した「農業立国・江戸幕府」のドグマなのです。
ですから、商業振興などと言えば、大悪党のレッテルを貼られて抹殺されるのです。そういう思想で出来上がっている政権が江戸幕府です。そういう時代だったんだからしょうがない、としかいいようがありません。

この思想を見直さない限り、幕府は滅びるしかないでしょう。で、実際、滅ぶわけですが。

田沼政治が江戸時代にメチャクチャ非難されたのは、そういう「幕府特有の思想」が背景にあってのことだ、という認識が薄いから、後世の人間までもが、当時おこなわれた田沼批判、誹謗中傷を、真に受けてしまうのです。
「江戸の三大改革」というのは、この時代の思想にかなったものだけを「改革」と呼んでいるわけで、それを現代の歴史教科書までが無批判に踏襲しているのは、知的怠慢だといえます。

それをまたテレビの安直な歴史番組などが無批判に繰り返して、田沼を「賄賂政治家」だと根拠もなく言い続けています。

いい加減に、本質のところを考え直して、三大改革と教科書に書くのはやめたほうがいいと、前から言ってるんですけどね。


歴史話でも現代の事件・騒動でも一緒ですが、悪人とか悪女というイメージがいっぺんつくと、世論に乗っかって無批判に増幅してアオったほうが「売れる」という側面は、絶対にあります。悪者はみんなでやっつけたほうが愉快でしょう。エネルギーかけてきちんと検証するというのは、効率悪いんですよね。それが実際のところです。

 

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