淀殿は、なんで「打って出る」と言えないのか? だって北条政子は打って出て勝ったじゃないか。 | えいいちのはなしANNEX

えいいちのはなしANNEX

このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

 「真田丸」の淀殿は、ダメですねえ、このひと。

 「軍師官兵衛」の淀殿(二階堂ふみ)は、子供だからしょうがないか、って思えたけど。

 竹内結子は人生経験もあるいいオトナのはずなのに・・・ってのは役なんだからしょうがないけど(笑)。三谷幸喜の「脚色」は、より「淀殿のコドモっぽいダメさ」が強調されてます。ダメだ、このひと。

 籠城なんかしても先はない、って、わかんないのかな。なんで「討って出よう」ってアイデアに賛同できないんだろう。

 という人、多数ですね。まあ、そういうツクリのドラマですから、当然でしょう。

 女だからダメだ、というけど、たとえば北条政子は、鎌倉幕府が危機に陥ったとき、「皆で討って出よう」という大演説をして、それで勝利したじゃんか。あれが淀殿にできないのは、なんでだろう、というひとも、いますが。

 それは、無理です。

 じゃあ、どこが違うのか?

 北条政子は、「歴史の流れに乗っていた」から、打って出られたし、打って出れば必ず勝てた。淀殿は、「歴史の流れに逆らっていた」から、打って出られなかったし、打って出ようが出まいが負けていたでしょう。これが本質です。
 鎌倉幕府(と後世呼ばれるもの)は、武士による武士のための武士の政権です。日本において力を蓄えてきた武士階級が、ついに掴んだ自治政府です。これが潰されたら、武士たちは元の「貴族のイヌ」に逆戻りです。そんなことはあり得ません。だって、歴史の流れは「武士の世」に決まってるんですから。打ってでさえすれば、必ず向こうについてる武士もこっちにきます。どんどん味方が増えます。


 晩年の豊臣秀吉の政治は、破綻していました。秀吉のやり方を変えないと日本はダメになる、と考えた武士が多かったから、徳川は天下を取れたんです。家康が腹黒いからではありません。

 豊臣政権は、終わってるんです。淀殿と秀頼に天下の政治を取り返して欲しいと思っている武士なんか、もういません(幕府体制からはじき出されて居場所がない牢人以外は)。だから、打って出たところで、味方は集まってきません。「豊臣恩顧の大名」なんて、もうどこにもいないんです。それが現実です。
 男とか女とかは関係ありません。歴史の流れに乗っている側は「打って出れば、必ず勝てる」と信じられるんです。乗ってない側は、そう思えないから、打って出ることはできません。

 そういうもんんです、歴史は。

 

あなたもスタンプをGETしよう