織田信長の「上京焼き討ち」とは、どういう事件か。 | えいいちのはなしANNEX

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 織田信長は、創造者なのか、破壊者なのか。

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 「第六天魔王 」と自ら名乗ったように、信長は「旧秩序の破壊者」としての側面が強調されがちです。その過程で「やんなくてもいい残虐行為」をやったとして、非難されることもしばしばです。
 比叡財焼き討ちしかり、一向一揆の虐殺しかり。
 で、そういう性格の帰結として、本能寺の変もあった、と。
 「上京焼き討ち」というのが、あります。信長は名物茶器を集めるのに異常な執念を燃やし、京都の承認たちに「お宝」を献上するように強要した、それを拒否されると、なんと、腹を立てた信長は、街ごと焼き討ちにしてしまった、という事件です。
 これは、お役所が正式に認めているのだから「歴史的に間違いのない事実」だというんです。
 お役所が? 他ならぬ、上京の区役所、だそうですです。
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 上京区役所のホームページ というのが、ありました。
 なるほど。ここには「将軍義昭との不仲を理由に」とありますから、この文章を読む限りでは、「義昭攻撃は名目で、要は名物狩りに応じない京都の富裕層が傲慢だからと焼き討ちしたのだ」と読めます。
 これ、事実関係が巧妙に捻じ曲げられてる、ような気がします。お役所の文章としては、如何なものかと思いますね、いくら昔のこととはいえ。
 ただ、これが「京都市民の本音」なのかも知れません。
 つづきます。