「バクマン」の評価が宇多丸と岡田斗志夫で正反対な件 | えいいちのはなしANNEX

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宇多丸師匠がラジオの映画評で「バクマン」をほぼ絶賛してました。ちょっと意外だった。で、その番組をもういっぺん聞こうかと思って検索したら、岡田登志夫師匠が同じ映画を「酷評」してる動画を見つけました。
いやあ、なるほど、面白いね。


映画は、原作漫画から、多くの部分をバッサリと切り落として構成されてるんだけど、宇多丸は、その取捨選択がテーマを純化させて素晴らしいと評し、オタキングはそれが漫画への理解も尊敬もない と怒る。なるほど。
岡田師匠は漫画家ではないけれどアニメ映画制作者であった人物で、いわば漫画現場に近い。宇多丸はミュージシャンであり、クリエーターではあるけど、漫画家の仕事場を直接には知らない。岡田師は、アシスタントというものが出てこないマンガ制作現場なんて嘘っぱちでリアリティがないといい、宇多丸師はアシスタントを敢えていない設定にすることでクライマックスの「あるドラマ」を可能にしたのだから正しいという(このエピソードは、ちばてつや先生の実際の逸話をモデルにしてる、らしい)。ドラマ的リアリティはリアルとは違ってもいい、という立場。

女性キャラクターをあづき以外全員カットしたことで、登場人物の「モチベーション」の設定が変わった。岡田師は原作への尊敬がなく許せないと評し、宇多丸師はこれによって主人公たちがマンガを描く動機が色恋ではなく「マンガが好きだから」という点に集約されたことを評価する。なるほど、見る立ち位置でまったく違った解釈になるんだ。
俺には、どちらももっともな言い分に思える。でも、ちょっと岡田寄りかな。アシスタントなしで週刊連載するって、ピッチャーだけで野球するみたいで、いくらなんでも、って思うほうだな。やっぱり、立場上(笑)。

でも、宇多丸師匠は一方で、「心が叫びたがってるんだ」のクライマックスのミュージカルシーンには辛口だ。それは、学芸会とはいえステージショーである以上は絶対に甘えが許されない部分があるという、ミュージシャンとしての立場から来ている。それは俺もその通りだと思う。舞台者の端くれとしては、ね。
面白いもんだね。