平家は滅んだけど、清盛の弟は生き残って、その子孫が久我美子! | えいいちのはなしANNEX

えいいちのはなしANNEX

このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

 壇ノ浦で滅亡したのは「平家」。平清盛の近親者で貴族となった連中だけです(家、がつくのは身分が高い一族という意味です)。
 平氏、というのは桓武天皇の子孫から「平」という姓を貰って臣籍降下した人の子孫全部を指しますから、これは当時でも日本中に何万人といます。源頼朝についた関東武士、北条氏も三浦氏も千葉氏も上総氏も、みんな「平氏」です。

 「平家滅亡」というときの平家とは、故・清盛の近親者(子、孫、妻の時子とその縁者)などが全滅した、という意味です。
 「平家(清盛の近親者)のうちでも滅亡を免れて生き残った者がいる」といった場合、伊勢平氏全般のことではありませんし、北条氏や三浦氏が実は平氏であり云々、という話をするのはピンボケです。
  「落人伝説」は全国にありますが、すべて「フィクション」と捉えたほうがいいです。湯西川の「平家の里」 には私も行きましたが、思わず頬がゆるんでしまいました。こうして「村おこし」をする人々を私は大好きだし応援したいですが、到底「史実」ではないのは、見れば分かります。

hk07 hk10

 でも、史実として確かに生き残っている家系はあります。清盛の異母弟(池禅尼 の息子)平頼盛です。このひとは早くから清盛に不満を抱き、鹿ケ谷の陰謀にも加担していた形跡があります。「平家都落ち」にも従わず、従って壇ノ浦のころにはすでに頼朝に従っています。その子孫は鎌倉幕府の御家人となり「池」という苗字を名乗りました。ただ、さほど隆盛したとは言えず、やがて家名は消滅します。
 頼盛の子、光盛の娘が久我通忠(京都の公家、村上源氏の子孫)の後妻となり、池氏の領地財産の多くは久我家に継承されています。

hk03

 久我家はこの財産をもとに隆盛し、のちに代々「源氏長者」を名乗るまでになります(この称号は足利義満が「分捕る」まで続きます)。これも「平頼盛の遺産」と言っていいでしょう。久我家は華族となり、この家から昭和の大女優・久我美子が出ます(ご存命です)。
hk05 bk04
 にしても、湯西川はいいとこでしたよ。何年前だこれは。