いつものことながら、まず、 用語の整理からはじめます。
「都」(みやこ)というのは、昔からある日本語です。宮処(ミヤコ)ですから、天皇が住んでいる宮殿のあるところ、これ以外の意味はありません。
「首都」(シュト)というのは、西欧語の「キャピタル・シティ」を翻訳した、社会科学用語であり、「中央政府のあるところ」が定義です。都、という漢字を使っているので混同しやすいですが、これはもののたとえで、アメリカでもフランスでも、王様のいないどんな国にも首都はあります。
「首都」という言葉は明治にできた言葉ですから、江戸時代以前に使う場合は、「今の基準で考えると」というたとえにすぎません。事実上の中央政府があったのは江戸なのだから首都は江戸だと考えるのが、とりあえず妥当でしょう。
で、ここでは「首都」のことではなく「都(みやこ)」のこととして、話を進めます。つまり、「どうして天皇は、明治になるまで、京都を動かなかったのか」ということです。
いろんな解釈があります。どうせ権力がないのだからどこにいても同じ、という言い方もあり、単に引っ越しする費用も理由も場所もないから、と言ってしまえばそれまでなんですが。一言でいえば「天皇は京都にいるもの、京都にいてこそ天皇」だと日本人がみんな考えていたから、といえます。
平安京は、四神相応とか、風水っぽい知識を総動員して、王者がいるにふさわしい都市として造営されたのです。天皇はある意味宗教的存在ですから、「そこにいる」ことがイコール天皇の権威、霊力を保証する根拠であると考えられるわけです。ご本尊はむやみにあちこち動かしてはいけない、本堂の真ん中に鎮座していなければいけないんです。
で、次に、武家政権って何か、幕府って何か、征夷大将軍って何か、という話になります。
平清盛までは、政権を取ろうと思ったら、天皇のなるべく近くにいて、太政大臣とか関白とかになって、天皇から全権を委任されているということを示す必要がありました。
しかし、遠征軍を率いる「征夷大将軍」は、天皇や朝廷から遠く離れたところで戦っているのだから、現地の緊急事態をいちいち京都に報告せず、ぜんぶ現場の独断で処理する権限があります。これを根拠に、「うちはズーッと遠征中です」という名目で政治を行っている、そういう組織を「幕府」といいます。つまり、京都から遠く離れた、具体的にいえば関東にあってこそ意味があるんです。
室町将軍が京都にいたのは、さいしょのころ南北朝がどうしたで京都が安定しなかったせいで、仕方なかっただけで、ほんとうはアレは鎌倉にいるのが正しかったんです。
江戸時代になり、幕府はふたたび関東に戻りました、これが本来の姿で、「天皇から遠く離れたところに幕を張って政府を作っている」というのが、存在根拠なんです。もし「天皇が京都にいたらいろいろ不便だし、誰かに利用されたら不安だから、いっそ江戸に呼んでしまおう」と考えるヤツがいたとしても、それは、ダメなんです。
日本という国の在り方として、「政府が江戸にあるからこそ、天皇は京都にいて貰わないと、困る」ということになるんです。日本は、そういうふうな仕組みでやっていた、ということです。