三谷幸喜脚本「真田丸」の主人公は、幸村です。だから真田十勇士を出さないはずがありません。 | えいいちのはなしANNEX

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 堺雅人は、半沢直樹でも古御門研介でもなく、真田幸村になるらしい。これは、大どんでん返しだ。

 三谷幸喜が重視するのは、史実ではありません。自分のイメージです。おそらく、若い頃に読んだ司馬遼太郎などの小説から得た人物イメージが頭の中に刷り込まれていて、それをわりと無邪気に無批判に増幅して物語を作っているようです。
 たとえば「清須会議 」の登場人物の性格設定、あれ、みんな司馬遼太郎が描写したものを膨らませているに過ぎず、三谷独自の新しい発想ってのはほとんどなかったと言っていい。みんなが「こうだろうなあ」と思うとおりの羽柴秀吉であり柴田勝家であり丹羽長秀でした。織田信雄 なんて、あんなバカに描いちゃっていいのか、いいんだよ、本当はどうだったかなんて、だって司馬先生がバカって断言してるんだから。
 真田幸村というのは架空の名前で、本当は真田信繁といったんですが。どうして「幸村」と呼ばれるようになったのか、私の独自の考察は、ここを読んでください。
 NHKは「真田幸村が主人公」と、公式に言っちゃってます。
 真田信繁ではなく「幸村」である以上、三谷氏が昔読んだり見たりして感動した幸村像を一歩も出ないでしょう。「幸村」というのは講談の登場人物ですから、講談で語られてきたエピソードが史実より優先、あたりまえです。
 皆さん、草刈正雄が幸村をやった真田太平記のことばかり語りますが、忘れてませんか、NHKは人形劇「新八犬伝」の後番組で「真田十勇士」をやってたのを。
 「さんせんそうぼくてきみかた、えいこせいすいゆめのなか、おーおーわれらは、さなだじゅーゆうしー」という唄を呪文のように歌いながら、当時の子供たちは戦国時代のイメージを作り上げたんです。三谷幸喜氏はちょうどこの年代なんですよ。
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 最近でも、NHKで「新三銃士」や「シャーロック・ホームズ」といった人形劇を作っている三谷氏ですから、人形劇「真田十勇士」にハマっていた子供であったことは確実です。彼は、絶対にその「子供の頃に刷り込まれた幸村像」から逃げられません。


 だから、私は「真田十勇士は登場するだろう」と断言しますね。だって、あいつら率いていなければ「幸村」じゃないもん。史実の信繁なんてくそくらえです。主人公は断固として「幸村」です。

堺雅人主演ということは「新選組!をもういちど」ということです。だから「真田丸」、丸は仲間、グループという意味もあるとNHKも公言してるんですから、間違いありません。
 真田十勇士は、あります!
 あ、でも楽しそうだから、私は見ますよ。ドラマはドラマですよ。