えいいちのはなしANNEX

えいいちのはなしANNEX

このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

「頭痛肩こり樋口一葉」主演貫地谷しほりさん、こまつ座代表井上麻矢さん、トークイベント
紀伊國屋サザンシアター で来月上演、ということで高島屋のイベントに登場したわけだが、いやー、至近距離で生の貫地谷さん見られて、良かった。声がね、なんとも、いいんだよねえ、この人。

高島屋の着物のPRで時間を取られたのはご愛嬌だけど、この衣装で来てくれたのは嬉しい。


だってこれは「お盆の芝居」、夏子(#樋口一葉)が持病の頭痛を起こすと、あの世とこの夜が繋がっちゃう、って話だから。この季節に観て欲しい舞台です、という話です。

これは、いい芝居に間違いないです。





個人的な話ですが「頭痛肩こり樋口一葉」は、SPの小劇(部内公演)が凄く印象に残ってるんですよね。確か松代麻子さんが樋口一葉で、お化けが秋山裕海さんだったと思う。
「FUJIKO」
木村太一 監督、MEGUMI さん(プロデューサー、出演)、主演 片山友希 さん舞台挨拶つき上映。

木村監督のお母さんの実話をもとに映画化した、という唯一無二感に溢れる作品。

娘を産んだフジコが、夫からも婚家で粗雑に扱われ、実の親からも社会からも疎外され、それでも逞しく生きていく様を、けっこう爆笑のうちに描いていくわけです。悲壮といえば悲壮、痛快といえば痛快!

これは、なかなか感動します。MEGUMIさんプロデュースだけのことはあり、女性の生き様映画としても一級品ではあります。


https://fujiko-movie.com/
秀吉が「上月城で虐〇をやった」というのは、信長の厳命で仕方なやらされたのに違いない、みたいなことを私、書きました。秀吉はそれで心が折れるのではないか、と。

外れました。

上月城に突入したときには、まさかの「集団自決」で一人残らず死んでいた、と。えー、どこのカルト教団ですか、って思いましたけど。

そこで竹中半兵衛が、死体を全部、磔にして国境に晒そう、と提案します。

これを「体調不良で退場寸前」の半兵衛に言わせるあたりも、なんというかエグイ、もとい、上手い脚本ですね、と言うしかないです。
とにかく秀吉は「手を血で汚す」ことをせずに済みました、このドラマでは。
上月城で「女子供まで〇されて磔にされた」という記録があるので、それは曲げられない。しかしここで「豊臣兄弟!」のドラマとしては、「副主人公秀吉は、実は残酷なことはしていない」という線で切り抜けたわけです。

上野城には、毛利に滅ぼされた尼子氏の残党たち、遺児である尼子勝久と、忠臣山中幸盛が入り。織田に味方して御家再興をと意気込んでいます。

何度も言いますが、彼が有名な「山中鹿之介」です。我に七男八苦を与えたまえ、と月に祈った。どうして「鹿之介」と言ってくれないのだろうか、と不思議なんですが。

とにかく、結局この尼子勢は、織田に見捨てられて敗北し、尼子氏は今度こそ本当に滅亡します。ちなみに、このときの落武者が虐○されて村人に祟るのが「八つ墓村」です。

尼子勢と人間的な交流をしてしまった秀吉は、どうしても救援に行きたかったのに、またも「信長に梯子を外された」わけです。

秀吉は「裏切者」になってしまったことを気に病んで、転落して頭を打って記憶喪失に陥るという意外な展開。

いや、むしろ「予想どおり」とも言えます。

比叡山焼き討ちのあとで、信長の命令で「虐〇」をやらされた明智光秀が、心が折れて腑抜けになったのと、秀吉はいま、同じ状態になったんです。

信長の「梯子外し」は、播磨の秀吉だけでなく、いまごろ丹波で明智光秀も同じような目に遭っているはずです。

「魔王」の信長のやり方に、ついていけない、ついていきたくない、という家来が、一人また一人と増えている、というのが現状です。
松永久秀につづいて、荒木村重もキレました。
次週はこの話になるでしょう、「黒牢城」ですね。

荒木が謀反に失敗しても、次にまたすぐ、誰かが何かをやらかすに違いない、そういう「気分」が、そろそろ秀吉にも身に染みて分かってきたはずです。

本能寺が着々と近づいています。
秀吉が明智光秀とつるむ、または唆す、という線は、このドラマに限っては、流石にないでしょう。
でも「明智の気持ちが分かる男」になりつつある、とは言えるんじゃないか、というのが今回の私の見立てです。
かつてタルトレットで一緒に芝居した、多田隆之 さんらのバンド「IZM’62」
KAMATAぶらぶら

‘62年うまれで結成されたバンド、ってことですね。
つまり、舞台も客席も、ほぼ全員が同世代、60歳オーバー大集合の宴。

曲目はすべて、ビートルズのカバー。これを一部二部合わせて2時間半、歌い続けるわけだよ。すごいね、尊敬するね。

当然、この会場にいる人間全ての「青春」そのもの、な訳ですけど。俺ってひねくれたガキだったから、洋楽ってのをほとんど聞かずに育ったもんでね(クラシックと松田聖子ばっか聞いてた?)、知らん曲も多かった。

隣の城詰さん(某企業社長、タルトレットの歌唱スター)は、一曲ごとに制作背景とか解説していた。それも、すげえ。


「君と僕の5分」
オム・ハヌル監督と、「#リンダリンダリンダ」の山下敦宏監督(ハヌル監督が尊敬している)のトーク付き上映。

まだ韓国で日本文化が規制されていた2001年、大邱(テグ)に「訳アリ」で引っ越してきた転校生。ヒョロリとした見た目、日本の漫画とJポップ、わけでも「Grove」が大好きで「オタク」と馬鹿にされる。しかし、隣の席の運動神経抜群のイケメン委員長が、やはりGroveのファンだったことから意気投合、親友になっていくが‥。

この オム・ハヌル 監督、若い!いかにもオタクな風貌(失礼)で、訥々と韓国語で語る、本当に日本のサブカルが好きなんだな、ってのが伝わってきてました。

しかし主人公が、「ある秘密」(これは、映画見ていれば丸わかりだけど)を打ち明けた瞬間に、イケメン委員長が急変、主人公を拒絶するとともに、自身も精神バランスを崩していき‥。

このへんの展開がスリリングで、興味を持続させる、なかなか優れた作り。テーマ云々を抜きにしても、面白い映画です。

日本人が見ると逆に感慨深いものがある(Groveが流行っていたころ、自分は何してたろう、って)。監督は、どの程度、日本の観客を意識して作ったんだろう、って聞いてみたかったが。質問コーナーはなくて残念。


https://www.youandme5minutes.com/

このドラマでは、荒木摂津守村重(トータス松本さん)が、関西弁を喋ってますが。

あれは大河ドラマの「お遊び」ですね。

確かに荒木村重は摂津(今でいう大阪)の領主ですが、だからって実際にあんなふうに喋っていたかっていえば、現代の関西弁と、戦国時代の上方弁は、違うでしょうから。

あれは「考証の成果」ではなく、制作側の「茶目っ気の演出」と観るべきでしょう。

真面目に考えてしまったら、じゃあ他の登場人物が尾張弁や美濃弁や上方弁を喋ってないのはなんでだ、っていう話になります。

藤吉郎や小一郎はなんで尾張弁を喋らないんですか。主役だからです。

荒木村重はなんで関西弁を喋るんですか。脇役だからです。演出で遊んでもいいか、って範囲だからです。

「平清盛」で、加藤浩次さんが演じる海賊「兎丸」がバリバリ関西弁を喋っていたことがありました。あの時も多少議論になりましたが。あれだって「兎丸はトリックスター的なポジションだから、現代の漫才師みたいな喋り方をしたら演出効果的に面白いだろう」というのに過ぎません。考証がどーのこうのとは関係ないです。

大河ドラマでは、登場人物はすべて現代標準語で喋るのがお約束です。それがいちばん、観客に分かりやすいからです。

「光る君へ」のときも、平安貴族がみんな現代標準語を喋ってました。何故みんな公家らしい京ことばを喋らないんだ、なんて批判も一部にありましたけど。そういうものではないんです。

最近でこそ、幕末や明治モノに限っては、一部「薩摩弁」や「土佐弁」(らしきもの)を喋るようになってます。そのほうが「雰囲気が出る」からです。

土佐の脱藩浪人と薩摩の下級郷士が、京都に集まってきて田舎者同志で議論する、という(幕藩体制の最盛期には有り得なかった)光景が「幕末」の雰囲気に合ってるよね、という「演出効果」を狙ってるわけです。

荒木村重が関西弁を喋る、あんな武将が本当にいたんですか、ではなく、荒木の関西弁によって「どういう演出効果」があるだろう、ということを考えたほうが、楽しいと思います。

このドラマ世界では「信長の喋り方が、標準語」です。

信長と、秀吉や秀長は、ドラマではみな標準語ベースで喋ってます。まあ要するに同郷で、同じ言葉を喋ってる人間に対しては、漠然と信頼感がある。

しかし、荒木村重のように「明らかに自分と違う関西弁を、治そうともせず、遠慮なく喋っている男」ってのは、何だか感情的に信頼したくなくなる、ってところ、どうしてもあるような気がするんですよね。

今回、織田信長に荒木村重が詰められる「剣の先の饅頭事件」が、また再現されました。

いやあ、怖い怖い!

ストイックな信長にとって、ナアナナな感じの関西弁で喋る荒木は「なんか肌が合わない」んだな、きっと、と見ていて強く感じました。

信長って、あらゆるモノやキモチを犠牲にして、鬼になって「天下統一」を目指しているじゃないですか。

一方、荒木村重はというと、もう天下取ろうなんて野望はない、最低限、信長に睨まれないように適当に仕事をし、愛する妻(だし、山谷花純さん)と一緒に穏やかに暮らしていければエエやん、と考えている。

そのユルミ方が、あの関西弁にどーしても現れてしまう。

ピリピリ生きてる小栗旬さんには、もとい信長には、「気に障る」のではないかなあ、と。

この二人はどうにも「ソリが合わない」んですよ、たぶん。

荒木が謀叛を起こしたのも、なんか「むべなるかな」という気がします。

理屈でどう、というより、信長という人間に、ついていけなくなった、ってことですね。

「乃木希典」という歴史実在の人物が、司馬遼太郎という小説家によって「不当に貶められ」、結果的に「貧乏くじを引かされている」というのは、事実と言えば言えるでしょう。

しかし、当たり前の話ですが、乃木が無能で児玉が有能、というのは、あくまでこの小説家の演出です。

司馬遼太郎はあくまで「小説家」です。歴史家ではありません。小説は、あくまで作者の世界観に従って描かれるフィクションです。
ところが、余りに人気作家になって広く読まれるようになったせいで、司馬遼太郎の小説こそが正しい歴史だ、と勘違いする日本人が余りにも増えてしまった。「司馬史観」なんていう贔屓の引き倒しのような言葉で持ち上げられるようになります。
すると、その反動で「司馬遼太郎は嘘ばかり書いている」とペテン師呼ばわりする人もゾロゾロ出てくるわけですが。
そりゃそうです、もともと小説家っていうのは、フィクションを書く人なんですから。

司馬遼太郎は、東京外語大のモンゴル語学科の学生時代に、学徒出陣で戦車隊に配属され、装甲ペラペラの戦車に乗せられて「これで実戦に出たら確実に死ぬだろう」と覚悟した、という話を書いています。

幸いにして実際に満州あたりに送られる前に終戦したので死なずに済んで、新聞記者から小説家になれたわけですが。

司馬遼太郎にとっては「戦争の駒として殺される」というのは、歴史や物語ではなく、我が身の現実だったんです。
人間の命を消耗品として、武器よりも粗末に扱う戦争という愚行に、憎しみに近い思いを持っていました。
これは、現実に召集されて武器を持たされ死を覚悟した経験のない今どきの若者が、どーのこうの上から目線で評論できることではありません。



大量の兵士を突撃させて殺し、それで敵陣を攻略して英雄になる、というのは、司馬遼太郎にとっては、やはり許しがたい愚行だったのだろうというのは想像に難くありません。
乃木が人格的にどうだったか、作戦が妥当だったか、そういうこととは違う話なんです。
「人間を突撃させるより先に大砲の弾を飛ばそうって、どうして考えないんだ」
と言いたくなるのは無理ないところです。
だから坂の上の雲でも、東郷や秋山は肯定的に描いているし、大砲を運んできてカタをつけた(と司馬が思い込んでいた)児玉源太郎にも好意的です。
実はここには司馬遼太郎の大きな誤解があって、大砲はすでに乃木が要請していたものの本国の無理解のため遅れていただけで、乃木の解任後に児玉がようやく到着した大砲を使用したに過ぎない、というのが実際です。

しかし「人海戦術」のような非合理が大嫌いな司馬遼太郎は、その象徴が乃木希典であると「設定」して、批判的に描いて見せたわけです。

これは小説家の「演出」の手法としては当然の効果的技法です。日本陸軍の「非合理さ」をまとめて乃木という英雄に象徴させるために、対比として「合理的」な児玉、というキャラクターを創作してキャスティングしたんです。
あくまで「これは、この小説家の世界観の中での、設定上の配置なんだ」というのを理解して、一歩引いた頭で読んでいくべきなんですが。
しかし司馬遼太郎は余りに人気があって余りに広く読まれたため、逆に「歴史家のくせになぜこんな嘘ばかり書くんだ」という謂れなき非難を浴びているというのも、また事実です。
歴史家じゃないんです。エンタメ作家です。
2045FILMS vol.1
「よもすがら」「For My Grief」「24フレームの戯言」
若手監督を支援するプロジェクト、ってことで、テアトル新宿 で中篇映画の三本立て上映です。


この日は3本目の「24フレーム〜」の #秋葉恋 監督(「東京逃避行」の人か!)とキャストほぼ全員が登壇して舞台挨拶。こういう気合いが入った上映は大好きだ。

『若手の初監督が、企画脚本の打ち合わせでプロデューサー連から詰められて悩んでいる。実は彼は学生の自主映画の撮影途中、主演女優(恋人?)が行方不明になるというトラウマがあり。その記憶が脚本作りのネックになっているらしい。ところが、その失踪した彼女が、彼のカメラのフレームに現れて‥。』

一人だけ質問を、というので、馬鹿のフリして手を挙げて、監督に「設定の意図」みたいな話を聞いてみたりしました。

私も、素人芝居ながら頭を取って四苦八苦した経験はあるので、この「監督の分身みたいな主人公」の凹む気持ちは、とっても分かるんだ。

しかしメジャーデビューしようっていうプロだったら、詰められて口籠るんでなく、もっと虚勢でも独りよがりでも、主張していかんと駄目だろう、とか思って観ていた。

それで大人たちから天狗の鼻を折られて、挫折して凹んで欲しかったなあ、とは思う。
そう、「もしも世界が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」の菅田将暉みたいにね。

まあ、そんなこんなで、3本とも「観る人を本気でイヤーな気持ちにさせない」爽やかで行儀よい映画だな、と思った。いや、充分それでいいんだけどね、いまんとこは、たぶん。

役者のクオリティーがどれも高い。ちゃんとバックアップが付いてるんだなあ。

だけど、なんか突き抜けるには、こないだここで観た「田辺弁慶映画祭」の「竜宮の誘い」みたいなエグさがあったほうが、とか思った。いや、「名無し」観た直後でもあったし。



https://2045.babel-pro.com/

https://ttcg.jp/movie/1313400.html
正直、スターウォーズのシリースはほとんど観ずに、この歳になってしまいました。
第一作(今ではエピソード4と呼ばれている)を、名画座で(ルパン三世の第一作と併映だったので)見て、フーンと思ったきりの、ひねくれた子供だったので、それ以降の熱狂を知りません。エピソード7だけ何故か(間違えて)観ましたが。
そういう人間ですので、ほとんど「スターウォーズ熱」というものがなく。

このマンダロリアンのドラマも、もちろん、一篇も観ていません。

全くマッサラな状態で、いきなり観ましたが。

ものすごく、面白かったです。これは売れていいな、と思いました。

これ、完全に「子連れ狼」ですよね。これは日本人好みのストーリーだな、と思います。一匹狼の賞金稼ぎ、正義とかではなく「男気」で動くタイプの主人公は、現代の殺伐とした世界に「居て欲しい」と思わせるキャラです。

正直「俺が世界を救うんだ」みたいなヤツは、嘘くさく感じるようになっちゃったんですよね。歳のせいなのか、世界情勢のせいなのか。

グローグーのキャラクター造形は「可愛い」というモノかどうか、正直微妙ですけど、そこがまたリアルで良かった。言っちゃえば、赤ん坊とかコドモとかって、必ずしも見た目が美麗じゃあないではないですか。でも「自分のムスコが可愛い」って感情は、そういう見た目とは別のもんですから。

何か、アメリカ製のヒーローものの「嘘臭さ」とは別のところにあるって感じが、気に入った原因だと思うんですよ。

マーベルやらDCやらの「世界の(へたすると全宇宙の)命運が、オレタチの肩にかかってる」という超大作映画には、お腹いっぱいな気分があったんで。これは、いいです。好きです。

すっと兜(中世の騎士みたいな)を被って顔が見えない「いかにも」な主人公が、途中で仮面を外されて素顔を晒したときには、正直、C3POの中から「中の人」が出てきたくらい驚きでした。それまでロボットかサイボーグだと誤解していましたので。ああ、人間だったのか、といきなり親近感が沸いてしまいました。
「風雲!竹田城」を見下ろす「羽柴長秀隊」の副将格は、宮部継潤(ドンペイさん)のようです。

この人物、甥の万丸(よろずまる)君を養子(人質)にする回のゲストかと思ったら、その後もすっかり「三人目の兄弟」みたいな感じで、羽柴家の一員となりレギュラーで登場しています。

川並衆を味方につける回に出てきた、蜂須賀(小六)正勝の弟分・前野長康が、今回の竹田城攻めに参加して、重要な役割を演じているのも、嬉しいところです。

嬉しい、というのは、こうした人物が一回限りではなく継続して出ていることで、「主人公の仲間が、増えていく」って感じがいいな、と思えるからで。藤堂高虎を含めて、彼らはまさに「兄弟」っぽい。擬似家族です。

息子「与一郎」が小一郎の養子になったことで、慶さんもホンモノの家族になりました。

万丸くんも与一郎も、いずれまた成長して「家族の一員」として出てくるのでしょう。
回を追うごとに家族が増えていくのが、この「豊臣兄弟」というタイトルのドラマの基本構造なんだなやはり、と思う次第です。

このドラマが「兄弟が力を合わせて天下を統一する物語」だとすると、クライマックスは、最大のライバル・徳川家康を「兄弟」、家族の一員とした瞬間なのではないか、と以前に書きましたが。

この件は一般的にはあまり「いい話」として語られないので、それが大団円はあり得ない、という御意見もおありでしょうが。
いや、そうではないかも知れない、従来の定説とは違っていい話に描くことも出来るのでは、と私はちょっと思っています(なにしろ、秀吉まわりの話はみんな「伝説先行」で、実のところはどうだったか分からない、というのが多いですから)。
先走りました、いずれまた、これについて書くかも知れません(ドラマが予想通り進めば)。

だって、秀長が亡くなったあと、豊臣家からは人が次々に減っていきますから。落日は、あんまり観たくもない、ですから。