えいいちのはなしANNEX

えいいちのはなしANNEX

このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

そうか、今週末は選挙とオリンピックが重なるから「豊臣兄弟」はお休みか。
人質になって梯子を外された藤吉郎の運命やいかに、てゆうか松尾諭さんの次郎左衛門はどうなる、の話は再来週に持ち越しです。
 
ところで、「どうして、信長の妻の帰蝶(濃姫)が一向にドラマに出てこないの?」と、界隈がザワついていますが。
帰蝶は、「豊臣兄弟」には、出ないでしょう。
だって、そのぶん「お市(宮崎あおいさん)」の出じろを増やせるから、です。
今年のお市は、あきらかに、普通なら信長の「妻」がやるような役割を担っています。
このドラマは「豊臣兄弟」だから。
秀吉との関係でいえば、お市は重要人物だけど、濃姫はほぼ関係ありません。
そういえば「どうする家康」にも、濃姫は登場しませんでした。家康とも、ほぼ関係ないから。
そもそも帰蝶(濃姫)って、司馬遼太郎先生が「国盗り物語」で膨らませたおかげで有名になったけど。史実ではほとんど実像が分かっていない、いつまで信長の傍にいたかも全く分かっていない、いわば「架空に近い」女性なんですよね。

ということで、「大河ドラマでの、信長の奥さんの変遷、みたいな話をさせてください。
「麒麟がくる」の川口春奈さんが大人気だったお陰もあり、信長の奥さんといえば帰蝶、と今ではみんな思っていますが。
実は、帰蝶の影が極端に薄い時代、というのがあったんですよね。ほんの十年前まで。

 
三十年ほど前のNHK大河ドラマ「国盗り物語」(信長は高橋英樹さん)では、帰蝶=濃姫(松坂慶子さん)は信長の生涯ただ一人の愛妻でした。
本能寺にも一緒にいて、薙刀で明智軍と戦って死んでいます。
信長だって立派な戦国大名なんだから、跡継ぎ確保のために側室はたくさんいたはずなんですが、そうした女性は影も形もでてきません。
原作者の司馬遼太郎先生は、戦後民主主義者であり猛烈な愛妻家でもありましたから、一夫一妻制の信奉者です。史実はどうあれ英雄・信長に側室だの愛人だのメカケだのがいることは許せなかったのでしょう。
ですから、斉藤道三の娘を唯一の愛妻と定め、道三は娘婿の信長に美濃を譲るという遺言を書いて死んだ、ということで小説「国盗り物語」の第一部と第二部をつなげました。
いわば「司馬先生の独自のポリシー」が、この設定には大きく反映しています。
大河ドラマと司馬遼太郎のコンビネーションの威力は、強烈ですから、しばらくはこの濃姫像が国民的スタンダードでした。

ところが、十数年前の「信長 キング・オブ・ジパング」(信長=緒方直人さん)では、濃姫(菊池桃子さん)と信長との関係は終始微妙となる一方、「しの」という側室(高木美保さん)が登場してきます。
さらに「秀吉」(竹中直人さん主演)では、信長の「事実上の正室」として、生駒家の後家・吉乃(きつの、斉藤慶子さん)の存在がものすごく大きく描かれるようになります。
このあいだに何があったのか。「前野家文書」という新発見資料に注目が集まった時期です。
 新発見といっても、伊勢湾台風のときに浸水した愛知県のある旧家の土蔵を整理していたら、文書が出てきた、これが前野家文書、またの名を「武功夜話」ですが、これを詳しく読んでいくと、吉乃という女性が信長の事実上の正妻であったということが「判明」したのです。
歴史好きは色めき立ちました。これで、信長にまつわる大きな謎が解明されるからです。
正妻のはずの濃姫が、嫁いだという記録があって以降、ほとんど資料に出てこないのは何故か。
子供も産まれていないし、実は信長と濃姫は政略結婚以上の関係ではなかったんじゃないか、愛情などなかったんじゃないか、と推測してもかまわん、という雰囲気になりました。
司馬先生はなんか間違えてたね、ということになってたんです、世の中の空気は。
 
しかし、この「前野家文書」、そんなに手離しで信用していいのか、という反省が、やがて主流になっていきます。
理由は、この文書が「面白すぎる」からです。
信長は事実上の正妻である吉乃の住む生駒屋敷に頻繁に滞在し、秀吉ら家臣とともにさまざまな戦略を練ったりしており、その様子が「実際に聞いたこと」として、つぶさに描かれています。
あまりに面白いと、最初は熱狂しますが、そのうち「本当か? これ、盛ってないか?」ということにもなります。
要は、吉乃と生駒家にとって、あまりに都合がいいのです。
 
この前野家文書、リアルタイムのものではなく、かなり後世、江戸時代に書かれたものであることは、実は最初からわかっていました。
であれば、書いた者に都合よく相当の脚色がされているに違いない、と考えるべきですし、信長と秀吉が作戦について語りあっている様子などは全部「創作である」と考えたほうが妥当です。
となると、吉乃が信長の「事実上の正妻」というのも、かなり怪しくなります。
現在、前野家文書は、学術的にはほとんど「偽書」扱いされています。つまり、現状では、信忠と信雄を産んだ吉乃という女性が「いた」ということ以上は何もわからないのです。
ちなみに、綾瀬さんが帰蝶を演じた映画「レジェンド オブ バタフライ」では、吉乃はワンシーンだけ登場しています。演じていたのは見上愛さん、光る君への中宮彰子様です。
 
ちなみにちなみに、今年の主人公である小一郎秀長がクローズアップされるようになったのも、この「秀吉」からではないかな、と思います。このときの原作は「豊臣秀長」という著書もある、堺屋太一先生です。この先生が、濃姫を消して秀長を押し出したのに大きく貢献しています。秀吉の奥さんも「ねね」ではなく「おね」になりました。
NHKも「軍師官兵衛」では内田有紀の濃姫が華々しく復活し、本能寺で信長と一緒に死ぬ、という松坂慶子パターンを踏襲しました。やっぱ、司馬遼太郎先生が正しい、ということになったわけです(ちなみに「信長協奏曲」の人物設定はほとんど「国盗り物語」の引き写しです)。
でも実は、濃姫だって、「分からなさ」は、吉乃とどっこいです。
濃姫については、信長のところに嫁に来た以外は、確たる記録が、何もありません。
 「濃姫」という名前がその後、一向に記録にでてこないので「早くに病死した」「美濃攻めの前に実家に帰された」という説もありますが、結局「いつまで信長の正妻として生きていたか」も、分からないのが実情です。
 
 本能寺で信長と一緒に戦って死んだ、というのも(大河ドラマなんかだとたいていそうなってますが)、後世の物語作家の想像に過ぎません。
本能寺の直後に安土城から脱出した女性に「安土殿」という名前があり、いかにも正室っつぽい呼び名なので、これが濃姫のことだという説もあります。
つまり、信長が死んだ後まで生きていて、どっかで余生を送ってたかも知れないのですが、そのとき何とよばれていたかも分かりませんから、確認しようもありません。
濃姫は、史実的には全然わからない、幻の女性です。
 
だから、ドラマや漫画の濃姫は、登場する物語ごとに、ぜんぜん性格も違えば、設定も違うのです。
「信長のシェフ」の斉藤由貴さん、「信長協奏曲」の柴咲コオさん、「軍師官兵衛」の内田有紀さん、「麒麟がくる」の川口春奈さん、それぞれ、ぜんぜん別の人物像でした。

そういえば漫画原作の「信長協奏曲」って、実はまだ完結してないんですよ、恐ろしいことに。だから漫画の濃姫が本能寺のときどうしてるのかは、まだわかりません。
それにの漫画原作の濃姫は淑やかで可憐な、柴咲さんとは正反対の性格だったりするんですよね。
ドラマ・映画版(信長は、他でもない小栗旬さん)では、とんでもない跳ねっ返りの女性像でした。そのほうが、絵にはなる。
我々は歴史学者ではなく、史料も存在しないのだから、好きに想像をふくらませて一向に構わないわけで。本能寺で勇ましく薙刀で戦って華麗に散る濃姫が好きなら、それでいいし、安土城を健気に守る濃姫が好きなら、それでもいい。いちいち史料によって証明する義務はないわけですが。
裏を返せば、どう想像しようと自由なほど、史実では分かっていない女性なんだ、ってことです。
ドラマのテーマが「信長メイン」でなければ、登場させる必要はない。その分、お市の存在感を大きくしておくのが、ドラマとしては正解、と言えます。
 
余談ですが。

NHK「国盗り物語」では、もともとは織田信長は藤岡弘さん、濃姫は浅丘ルリ子さんの予定だったのが、いろんな事情で高橋秀樹さんと松坂慶子さんになったとか。

「麒麟がくる」の事情になんか似ている。沢尻エリカさんより、川口春奈さんでよかったな、と言う向きは多いですし。

それにしても、松坂慶子さんの濃姫は、しょっちゅう出てきて毎回可愛いけど、何をするっていうんでもなかったな、という気もするんですよね。

濃姫だけでなく、全部の女性が、みんなそうでした。そういう時代だったんだなあ、って思います。

「豊臣兄弟」の今川義元の話、続きです。

桶狭間で信長に負ける「今川義元」は、大河でも2~3年ごとに、出てきますが。

今年の大鶴義丹さんの今川義元は、桶狭間の戦場で蹴鞠をする、という「余裕」を見せていました。そんなことしてるから負けるんだ、という御意見はもちろんありましょうが。

このドラマの今川義元は、近年の中でもいちばん「油断していない」、武将としては有能な人物に見える、という印象を持ちました。

ちなみに今川家はこれで滅亡した訳ではなく、息子の氏真が旗本になり、その子孫が高家として存続しています。忠臣蔵で有名な吉良上野介も、女系ではありますが氏真の子孫です。

今年の大河には、氏真は登場しないようで、そこは残念です。

今川氏真の評価を大きく変えたのは、なんていっても大河ドラマ「おんな城主 直虎」の尾上松也さんだろう、という話は、さきほど別のところでも書きましたが。

落城寸前の掛川城で対面して、尾上松也が「争い事があるなら、戦などせず、蹴鞠で決めればいいのに、そうすれば誰も死ぬことはない、そんな世の中が来ないものかな」という、究極の名言を吐いてました。

氏真は家康に泣きつき、そのツテで京都に上ります。すると、蹴鞠と和歌の才能に秀でていたおかげで、京都の公家の間でけっこうな人気者になります。

氏真がそうした教養を身に付けられたのも、戦乱の京都を避けて駿府に下向していた公家が多くいて、京風文化を学ぶことができる環境にあったから、ですが。

今川義元や氏真が「武士のくせに、貴族のような格好をしている」と非難?する人がいますけど、間違いです。彼らは「貴族のような」でなく、「貴族」なんです。

言葉の定義では「貴族=公家+武家」です。武士のなかで貴族の位を持っている者を武家と呼びます。

今川義元も、氏真も、「そういう格式、身分」だから、あかあいうカッコをしているのです。能力とか武勇とかとは関係ありません。

今川義元が桶狭間のときに馬ではなく輿に乗っていたのは「そういう身分だから」であり。であれば、戦場でも蹴鞠をするくらいの雅さ、余裕を、周囲に見せてやらなければならないんです。

息子の氏真は「戦国大名としての」今川家を滅ぼしたのは事実なので、優秀な武将とは言えないのは確かでしようが、のちに京都で「一流文化人」としてチヤホヤされたのですから、実はかなり優秀で魅力的な人物だったのでしょう。

尾上松也さんの氏真は京都で、ほぼ天下人となった織田信長から「蹴鞠を見せろ」と言われます。家来たちは「親の仇にひれ伏すなど!」と反発するのを、「戦ばかりが仇のとり方ではあるまい」と笑ってみせています。あ、意外と大物だ、と思いました。

氏真は、このあと嬉々として?家康の京都エージェントみたいな顔して活動しています。もしかして「本能寺の黒幕」にでもするつもりかな、このドラマ・・・? と、ちょっと期待させるものすらありました。

家康が今川氏真を養っていたのは、恩義とか同情とかではなく、「役に立つ存在だったから」です。田舎大名あがりの家康にとって、貴族文化を体現した氏真は、貴重なブレーンだった、と言えそうです。

氏真は、家康の家臣というより顧問のような形で貢献し、小さいながら城を任されたりしますが。相変わらず戦場では役に立たなかったようで、すぐ解任。最後は近江で5百石の知行を貰って、京都で文化人として生き、江戸で天寿を全うしています。

その子孫は高家として、江戸幕府で実際に京都との連絡交渉で活躍するわけです。

戦国大名としては戦力外通告を受けながら、蹴鞠の才能だけで所領を得た、氏真こそ日本初のプロ蹴球選手、と言えます(?)。

氏真が少年期から身につけていた「公家風の教養」のおかげで、文化人として復活し、とっても幸せな老後を送ることができたのは、紛れもない事実です。氏真の蹴鞠の訓練は、実は戦の訓練なんかより、よっぽど人生の役に立った、といえます。

ちなみに「どうする家康」の溝端さんも、終盤で解脱したような穏やかな老人として登場していました。あの氏真も、良かったです。

今年の義元は、なんだか「蹴鞠のために家を滅ぼした」みたいな描き方がされていましたが。

その息子は、蹴鞠のおかげで家を守った、と言えます。

「どうする家康」の野村萬斎さんの義元は、懐の大きな人格者に描かれていて、新鮮でした。今川義元の認識を一新した、と言えます。

ただ、桶狭間での討ち死には「ナレ死」、つまり戦う様子は一切描かれずに死んでしまいましたから、武将としての能力があったのかどうかは分かりません。

その点、今年の大鶴義丹さんの義元は、貴族としても武将としても、なかなかだ、と思わせるものがあった、と思います。人柄とかは、さておき。

「いいひと」かどうかと、武将としての優秀さは、ある意味トレードオフなところが、どうしてもあります。今年の桶狭間では、どっちかといえば信長のほうが「悪どさ」で一枚上を行っていた、というところでしょう。

大鶴義丹さんの蹴鞠も、「名家である我等は、堂々と横綱相撲で勝たなければならんのだ」という意思表示であって。油断とか慢心とかの表現ではない、と私は考えています。

横綱は、奇襲で勝ってはいけないんですよ。

貴族だから。

「豊臣兄弟」、桶狭間でした。
大鶴義丹さんの今川義元は、細身の風貌からしても、スポーツ好きのキャラ的にも、明らかに「プーチン」を暗喩している、と今回観て思いました。

野盗にしろ今川軍にしろ、いわば「侵略者」であり、ここまでのドラマで出てきた「戦闘シーン」は、すべて主人公側の防衛戦争です。

過去2回の大河ドラマは、戦争がほとんどない、一部の人たちにははなはだ不満なもの、でした。光る君へ、の刀伊の入寇も、侵略ですし。麒麟がくるの十兵衛光秀も、侵略に暴走する信長を止める、という結末でした。

NHKの大河ドラマは、現代日本や現代世界の現実を描いていく、いわば義務がある、と思うんです。

現在のこの世界情勢を前にして、ウクライナやガザで現に起きている惨状に無関心で、征服戦争に勝って勝って天下統一してイェーイ、なんてドラマを、作れるわけが、ないと思うんです。
だから、桶狭間はきっちり詳細に描いた。敵も味方もわりと凄惨に死んでいた。これはやはり、いま現在世界に起こっている現実の、メタファーなんだと思います。

だこらこそ、今年は「豊臣兄弟」であり、秀吉ではなく小一郎が主人公なのだと思うのです。これから、秀吉が出世の階段を駆け上るために華々しい戦勝を重ねていく、というストーリーを無邪気に再現することは、今の世界に果たして合っているのか?否、だと思うんです。

だから、桶狭間をしっかりやってくれたのは大方のファンは拍手喝采でしょうが。この先の有名な戦争がおなじようにすべて丁寧に描かれるかっていえば、そうはならないんじゃないか、という気がするのです。

だって、小一郎は戦さではなく頭脳と気配りと調整能力でのし上がっていくのだから。
必ずしも華やかな合戦シーンは必須ではない。
戦争シーンが好きだから大河を観てるって層には、今後は肩透かしを食うと感じることも多くなる、と予測しています。

江戸時代をつうじて、豊臣姓を名乗ることを許された大名家が、ふたつあります。 

足守と日出の木下家です。寧々さんの実家の子孫です。

 血統としては、豊臣秀吉や秀長の子孫ではありません。しかし、家名として豊臣の名前を継いで守っていることは、間違いありません。

 秀吉や秀頼の隠し子がどこかで生き延びていて、その末裔が今も名前を隠して生きている、みたいな「プリンセス・トヨトミ」みたいな話では、残念ながら、ありませんが。 

「姓」と「名字(苗字)」は別のカテゴリーですから、表向きの名字は豊臣でなくても、「豊臣姓」を名乗っている家は存続してた、ということです。 

「徳川」は苗字で本姓は「源」氏である、というのと同じ話で、木下という苗字の家が、姓として(源平藤橘ではなく)豊臣を名乗っていた、ということです。 

なんでかって、物凄く平たく言えば、豊臣秀吉の位牌に線香をあげる家が一つもなくなったら、秀吉の怨霊が化けて出るからですよ。 

日本ってのはそういう国なんです。

負けた一族を皆殺し、根絶やしにしてはいけないんです。祭祀を継ぐ者を残しておかなければならない、直系子孫がいないなら、どっかから少しでも繋がりのある者を探してきて家督を継がせる、ということを、しなければいけないんです。

 足守と日出の木下家は、いわば豊臣秀吉を先祖として祀って「日本に祟らない」ようになだめる仕事を、幕府から委託された、ってことです。 「豊臣姓を称することを許された」って言い方をするとなんか特別待遇みたいに聞こえますけど、実質は「墓守を任された」ようなものだ、って考えたほうが分かりやすいでしょう。

 なお。 徳川幕府は、京都の「豊国神社」は破却し神号を停止していますが、高野山にあった豊臣家の墓所はそのまま残しています。 

日本は怨霊の国なので、「自分で滅ぼしたものほど、祟られないように丁重に祀る」というのがセオリーです。 

豊臣秀吉を神様として祀る神社が京都の真ん中に残ってて、民衆のあいだに豊臣家を崇拝した記憶がいつまでも残ってるのは、さすがに許せないので、これは破却する。

 だけど、徳川の世に何か悪いことが起こって「太閤さまの怨霊のおかげだ~」と言われても困るので、豊臣家の霊はどこかでちゃんと祀られていなければいけない。どっか山奥でもいいから。

 高野山というのは、そういうのに恰好な土地です。山の中では善人も悪人も、忠臣も謀叛人もない、みんな仏で、いいんです。 

豊臣の家名は、寧々さんの実家である木下家に受け継がれています。そういう、先祖の位牌を守ってくれる家がなくなったら、化けて出るんですよ。誰か、菩提を弔ってくれる人がいなくちゃ、いけないんです。

関東には古代より、ヤマトと拮抗する「日本(ヒノモト)王国」が存在しました。
彼らは蝦夷(エミシ)とも呼ばれ、ヤマトタケルにより征伐されます。
しかし、関東の土地に根ざすヒノモトの神は、その後もここに住み着いた人々のなかに生き続け、「箱根の関より東」は、ヤマトの後継の京都とは別の神がおわす、という独立の土地精神的支柱であり続けます。その象徴が「箱根権現」です(東照大権現も、そのパワーを受け継いだ存在、と言えます)。


大和の国の始祖である神といえば、伊勢神宮であり、熱田神宮であり、出雲大社です。
しかし関東武士にとっては、伊勢よりも熱田よりも出雲よりも、箱根こそが、最も霊力の強い、尊崇すべき神です。だから関東は天下を取り、現在でも首都は関東にあるんです。

天下を取りたければ、箱根権現を拝め、箱根目指して走れ、です。


西武の創設者・堤康次郎は、事業に成功したければ箱根権現を拝め、と常々言っていたそうです。

西武(堤康次郎)と東急(五島慶太)が繰り広げた「箱根戦争」は有名です。

箱根はただの観光地ではなく、ここを制すれば天下を制する、という「聖地」です。

現在でも、毎年の正月二日三日の両日に、箱根権現を奉祝する行事が開催されています。


日本のあらゆる恒例神事のなかでも最も多くの国民が注目する、大イベントです。この行事は全国放送で完全中継され、必ず高視聴率を誇ります。
皆さん、もちろんご存知ですよね。国民が誰一人知らぬ者がない、日本最大の神事を。

「箱根駅伝」です。

箱根は特別である、と誰もが言います。

箱根駅伝は「関東の大学だけの地方大会」です。なのに、出雲でやる全国大学駅伝より、よほど注目度が高く、よほど人の心を打ちます。
それは「わざわざ山を登るから」という要素が大きいでしょう。苦行です。例年、選手がフラフラになり、バタバタ倒れます。
箱根駅伝の本質は、若者が富士山に向かって死力を尽くして走る行事だ、ということです。

命懸けで山を登る行事。まるで千日回峰行のようです。まさに宗教行事です。

もちろん駅伝はスポーツです。が、スポーツとは同時に神を祭る儀式である、というのは、古代オリンピックや相撲の例を引くまでもないでしょう。


では、「箱根駅伝」が祭る関東の神とは、なにか?

「箱根駅伝」は、どうして大手町がスタートなのか。主催の読売新聞の本社が大手町だから。はい、正解。


・・いや、こういう話で、フツーの正解ほどつまらんものはないです。
駅伝は神事ですから、スタートとゴールが神社であるのが本来の姿です。熱田ー伊勢しかり、出雲しかり。西宮のえべっさんレースもその一種です(・・・そうか?)
箱根駅伝で学生たちが目指す土地は、鎌倉幕府の守り神「箱根権現」の聖域です。

であれば、スタート・ゴール地点の「大手町」というのも、新聞社がある、ってだけのはずがない。

箱根駅伝は「関東の大学だけのお祭り」だというところに意味があります。


大手町にあるのは、なんでしょう。「関東のスタート」にふさわしい「神」とは。
もちろん、平将門の首塚です。

天下の江戸城の大手門の目の前に、将門の首塚があるって、異様です。
でもホントは逆なんですよ。「将門の首塚の前に、江戸城を建てた」のです。

平将門は、関東独立王国を夢見て戦い、敗れ去った男です。彼の理想は「地方分権の確立」であり、彼が戦った相手は地方を搾取の対象としか見ない「腐った官僚制度」にアグラをかいた京都の貴族たち、です。

将門の理想は、鎌倉幕府によって形になり、江戸幕府において完成しました。


江戸幕府は、源頼朝の鎌倉幕府の精神を受け継ぐとともに、「関東の王」の始祖である将門を最大級の尊敬をもって扱いました。江戸城の大手門のまんまえに将門の首塚があるのはそのためです。

だから将門ゆかりの大手町が「箱根駅伝」のスタートなのです。 首塚の前は狭いから、かわりに新聞社の前を使ってるだけです。

鎌倉幕府から崇拝されてきた箱根権現は、関東独立の象徴です。関東独立の始祖神である将門の「魂」を、各々のタスキに乗せて、鎌倉幕府の守護神・箱根権現に届ける、これが往路。

箱根権現の霊力と合体した将門の魂を、もういちど江戸に戻す、もちろんゴールは江戸幕府の本拠地・江戸城の大手門。これが復路。
箱根駅伝は、関東の歴史を再現し、関東の神々を奉祝する儀式です。
そのために大学生たちは、速さを競って走るのです。箱根駅伝とは「関東武者の独立記念祭」なんです。 
水戸光圀が編纂した「大日本史」が、幕末水戸藩の尊王攘夷思想のバックボーンとなりました。
これはもう、誰もが知ってる、そのとおりの話なんですが。
徳川の御三家にもかかわらず、つまり幕府を守るべき徳川一門の藩が、なんで反幕府思想の温床みたいになっちゃったのか、と不思議がる人は多いですが。

まず前提として、「尊王攘夷=反幕府」では全然ない、ということを確認してください。

ここのところを類型的に考えている人が多いですが。
尊王攘夷というのは「正統な君主のもとに団結し、外国に屈するな」という思想であり、「いや、それは違う」なんてヤツは世の中に一人もいない、いわば日本人の一般常識です。
その先頭に立つのが征夷大将軍であって、天皇に政権を任されている幕府を中心に「尊王攘夷」を進めるべきだ、というのが、ある時期まで常識的な考え方だったのです。
水戸はべつに「反幕府思想」を広めていたわけでは決してない、ということは確認してください。

そのうえで、徳川のなかでも水戸家がとくにこの思想に熱心だったのはなぜか、といえば、これは「水戸は、御三家のなかで三番手だから」ということがいえます。石高も官位も尾張、紀州に比べて一段下、万が一のとき将軍位を継ぐ資格だって、尾張や紀州をおしのけて回ってく可能性はほぼゼロです。そんな水戸が、存在感を示したいと思うなら、何か他にない特色を持たなきゃなりません。それが「水戸学」だと考えれば分かりやすい。

この国の主君が将軍ならば、水戸は未来永劫、絶対服従の家来にすぎません。しかし、天皇が主君であり、武家もすべて天皇の臣下であると考えるなら、将軍も水戸藩主も同じく天皇の臣下だ、というふうに考えることができるわけです。「永久に将軍になれない御三家」の水戸家で、「天皇絶対」という学問が隆盛するのは、ある意味、自然の流れ、ともいえるわけです。

幕末の水戸藩主・徳川斉昭は、この「水戸学の本家」の立場をフルに利用して、幕政にグイグイ食い込んできます。「今こそ、尊王攘夷の総本家であるウチの出番だ、さあ、オレの言うことを聞け、幕府の実権をこっちに渡せ」というわけです。光圀の「三番手戦略」は、ある意味ここにきて効を奏した、ともいえるわけです。

水戸光圀は、若い頃は滅茶苦茶グレていて、辻斬なんかも平気でやってた、といいます。

歳とってから、回想録で「昔はヒドイことをしたもんだ」みたいなこと言ってるそうですが。
この台詞、真剣に反省しているようには感じられません。むしろ「俺も若い頃はワルかったんだぜ~」という、元ヤンのおっさんの自慢、いわゆる「武勇伝」にしか聞こえない。
「可愛そうなことをしたもんだ」
なんて、本気で後悔してる人間の台詞じゃないですよ。
人間の本性なんて、変わるもんじゃありません。三つ子の魂百までって言いますけど、光圀って、ジイサンになっても「そういう感性の持ち主」だったようです。
つまり、武士は強くあれ、強さは正義、面倒くさいものは叩ききればいい、そういう人だったのではないか。テレビドラマの水戸黄門の印象で語っているわけではないつもりではないですが、武闘派だったことは確かです。

そんな光圀が見るところ、将軍綱吉は「軟弱な若造」でしかないでしょう。「生類憐みの令」という名前の法令はなくて、綱吉が次々に発令した「あれを守れ」「これを守れ」「これはするな」「アレも駄目だ」という命令の総称なわけですけど。

「弱い者を守れ、守れ」という綱吉を、光圀が相当苦々しく思っていたことは間違いありません。だってこの若造、自分が若い頃にしたことを悉く非難して否定してくるわけですから、面白いはずがない。皮肉も言いたくなるでしょうし、反抗もしたくなるでしょう。
自分は一族の長老だから、何を言っても罰せられまい、という「上から目線」の驕りがあったとも思えます。

大陸で明が滅亡して、多くの遺臣、儒学者が日本に亡命してきます。光圀は彼らを保護し、「幕府が、明を助けて大陸に出兵すべきだ」と主張したと言われています。バリバリの武断派です。もちろんそんな案は通りません、時代が違うのです。光圀は亡命儒学者を水戸で保護し、彼らの指導で中華ソバを作って食い、彼らの思想「尊王攘夷」(漢民族の王を担いで、異民族の侵略を退けろ)に感化されて「大日本史」の編纂を始めました。過激思想のカタマリの歴史書です。

史実に実在した徳川光圀は、絶対に「温厚なご隠居サマ」ではありません。むしろ、暴走老人です。そうであれば、いきなり家老を斬り殺したという「藤井紋太夫事件」も、さもありなん、と思われます。

こうした水戸家の「特異性」を生かして、幕府を「乗っ取ろう」としたのが、幕末の水戸黄門、徳川斉昭です。

幕府というのは、徳川家の家来である譜代大名だけで運営されるもので、将軍の親戚である親藩には、勝手に口出しをする権限はありません。何故って、お家騒動になるからですよ、将軍家の。
 だから、御三家だろうが何だろうが、ご親戚筋の皆様は幕政への口出しは(こっちが頼まない限り)一切御無用。これが、江戸幕府の鉄板ルールです。
 尊王攘夷の親玉である水戸斉昭は、これを無視して、やいのやいの騒いだために、大老・井伊直弼 から罰を食らって謹慎になります。幕府のルールからすれば、ごく当然です。

そんな水戸家出身の慶喜が、のちに将軍になれたのは、御三卿一橋家を継いでいたから、ですが。

一橋屋敷が空いたとき、よりによって「危険思想の巣窟」である水戸の七郎麿を養子に入れたのは、幕府としても何かの「安全装置」としての存在を期待していたんではないかなと私は思っています。
つまり、最後の最後で「天皇」がクローズアップされる局面になったときに役に立つ、かもしれない、ってことです(明確に意図してたわけでばないでしょうけど)。
結果として、これは「大当たり」でした。慶喜という「スーパーサブ」をロスタイムに投入できたおかげで、徳川家は救われたんです。いや、日本が救われたんです。

最後の慶喜は、幕府をソフトランディングさせて墜落を防ぐことに成功しました。

つまり、とっとと降伏することで日本の内戦を最小限にとどめて政権交代させた、ということです。
これは大手柄であり、明治維新後にはその功績を天皇から賞されて公爵に列せられています。
慶喜だけでなく、徳川宗家(家達)や御三家、御三卿の当主はみな公爵、侯爵といった華族に列せられ、明治から現代に至るまで有為の人物を輩出しています。

慶喜がなぜ早々に降伏できたかといえば、頭が良かっただったからといえばそれまでですけど、彼は「尊王思想」の総本山、水戸家の出身だったから、というのは大きいでしょう。

将軍になる前の一橋慶喜時代には孝明天皇の信任を一手に集めていた時期もありました。
幕末の「ゲームのルール」は、天皇を抑えたほうが勝ち、です。というか、このルールを作った張本人が慶喜と言ってもいいくらいです。
従って、「天皇をジャッカルされたら、その時点でノーサイドだ」ってことを慶喜ほど良くわかっている者はいなかった。だから、抵抗せずにあっさり江戸城を明け渡すことができきたんです。
これで日本は救われ、同時に徳川家も名家として生き残りました(そのぶん会津は気の毒でしたけどね)。

上杉謙信は女性だった、という説(?)が、最近また流行っていて、しきりに言われるようになってるんだそうです。

ホントですか、っていえば、もちろん与太話です。

 謙信公は、本気で自分を毘沙門天の化身だと信じていた。だから生涯不犯、女性と交わったことがなかった、と言われています。 

そんな戦国武将がいるもんか。 大名は跡継ぎの男子を残すことが最大の使命であり、そのために必ず妻と複数の側室がいるものです。

跡継ぎができなければ御家騒動になって家が滅ぶのだから、ある意味では戦争に強いか弱いかより重要なことです。 

それを、毘沙門天だか願掛けだか、そんなオカルトな理由で疎かにするヤツなんて、いるはずがない。 

だから、これを合理的に説明できる説は、「謙信は実は女だった」、これしかないでしょ! と、いう理屈ですね。 

でも、そんな宗教的、呪術的な、不合理な理由で跡継ぎを作らない大名なんて、いないと本当に言えるか。 

います。現実にいるんです。 

有名な先例があります。 室町幕府の管領、細川政元。応仁の乱の東軍総帥・細川勝元の息子です。 

政元は修験道に凝って、本気で天狗になって空を飛ぼうと修行していたそうです。なので生涯不犯で、実子がいませんでした。 

そこで親戚から、澄之、澄元、高国と養子を三人も取ったんですが、政元が暗殺されたあと、この三人が当たり前のように内輪もめをはじめ、それで室町幕府はすっかり衰え、本格的に戦国時代が始まった、というわけです。 

まさかこれを見習ったわけでもないでしょうけど、「関東管領」の謙信も、養子を景勝、景虎と二人取って、どちらに家を継がせるかはっきり決めないうちに死んでしまい、そのせいで内乱になってしまいました。

失敗の仕方も、京都の先輩管領とそっくりです。

 学べよ、と言いたくなるのはわれわれが現代人だからで、当時の人の宗教心が理解できないからなんでしょうが。 

現代人の目から見れば不合理な理由に見えても、当時、それを本気で信じていた人間は確かにいたんです。 

上杉謙信「実は女性」 って話は、嘘です。

この「上杉謙信は女性説」を、最初に言い出したのは、八切止夫だとか。

八切止夫、懐かしいですね。 

このひとは「源=元(モンゴル)」「平=ペルシャ」「藤=唐」「橘=契丹」という、小学生が思いつくような思いつきの語呂合わせで、「源平藤橘」はぜんぶ帰化人(’渡来人)の子孫だ、って本を何冊も書いてしまう、なかなか豪快な人でした。

これがまた人気あったんで、通ってた高校から歩いて行けた文京区の区立図書館に結構置いてあったんで、結構面白がって読みましたよ。

「信長殺し、光秀でない」「続・信長殺し、光秀でない」てのが、なんか印象に残ってたな。

 あの頃は「邪馬台国は〇〇だ」っていう珍説奇説の本が公共図書館の歴史の棚にズラリ並んでました。

つまり、庶民はそういう与太話が大好きだ、ってことです、今も昔も。

需用があるんですよ、この手の話は常に。

だから明智光秀の自称子孫なんて人の本もウケるし、本気で?信じる人も出てくる。

そういう娯楽の一形態として確立されてるんで、「史実警察(自警団)」が潰して回るのは野暮ってもんです。

 嘘です、ってあっさり潰しにかかるのも、大人げない、と言えるでしょう。 

嫁があっていいじゃないですか、謙信、女説。

シネマ歌舞伎「阿弖流為 アテルイ」の脚本、中島かずき氏を迎えてのトークショー。ここは、前から聞きたかったことを聞く絶好のチャンスなんでね、「では、会場からの質・・・」と言うか言わんかで、バーツと手を挙げました。

「この舞台で片岡亀蔵が演じている蛮甲、という役が、ものすごく好きなんです、蝦夷いち生き意地が汚い男だ、っていうのが大好きで。とてもいい役で。英雄になりたくてもなれない決してなれない。

僕自身も、阿弖流為でも田村麻呂でもなく、どっちかというと蛮甲だと思うんで、ものすごく共感するんですけど。
彼の名前は、シェイクスピアのマクベスから取られたと思うんですけど、この阿弖流為のストーリーラインはマクベスぽくはないですよね、僕は学生のときバンクォーをやったこともあるので、この名前には愛着があるんです。彼にこの名前をつけた意図みたいなものをお聞きしたいです」

「なるほど、それは見事にミスリードが成功していますね(笑)。 京都に連行されてアテルイと一緒に殺された人物がいて、母礼(モレ)というんですよ。この実在の人物がモデルになってるんですけど。モレ、と言う音はあのキャラクターに合わないと思って、記録にある蝦夷の名前を探したんです。母礼というのを彼の部族の名前として「母礼の蛮甲」と名付けたんです」

「え、バンコーて名前は蝦夷もともとあったんですか! では、物語のストーリーを考えるときに、シェイクスピアって意識していますか?」
「史実があるものは史実が第一だけど、完全な創作には、ありますね。この『朧の森に棲む鬼』は、リチャード三世ですから。

僕は、物語を作るとき、まず登場人物の名前を決めるんです。名前が決まると、自然に物語が動きだすんですね。この「朧の~」の主人公はライといいますが、これはもちろん源頼光からきているわけですが、同時に「LIE」、嘘っていう意味があります。つまり嘘によってのし上がっていく男、なんですよ。ぜひ、朧の森に棲む鬼、を観てください。

僕は今日、これの宣伝をしてこい、って言われてきてるんで、これで務めを果たせました(笑)。

「白の花実」
蒼戸虹子(あおとにじこ)、美絽(みろ)、池端杏慈(あんじゅ)、坂本悠花里監督。

人里離れた湖畔の寄宿制の女子高を舞台にした、ファントム・ファンタジー、って何?

トーマの心臓 の少女版!みたいな話、ちょっとオカルト風味あり。

全員が十代つまりリアル女子高生、左の二人な映画初出演。監督さんも若い!

少女たちの、演技力というよりは「実存感」みたいなもんが圧倒的で、これぞ王道少女映画、というツクリが、とってもいいねえ。

この厳しくも麗しい全寮制学校の先生が、#門脇麦。これもいい雰囲気。演技力で支える大人たち、のなかで、ちょっとテンションが違うこのひと、#吉原光夫、ああ「ジョン王」だ。

すごく、いいよ、この映画。

「翔んだタックル大旋風」

テアトル新宿で舞台挨拶つき上映。


自分を暴漢から助けてくれた先輩を慕って、同じ大学に進み、アメフト部にマネージャーとして入部したヒロイン。ところがその先輩はすでに部にいない。「タックルに失敗して死んだ」という。そんなバカな? ヒロインは何故か「先輩と同じ景色を観たい」とアメフト選手になり(なんで!)、必殺タックルを編み出したりしながら(どうして‼)、先輩が「消えた」謎を追う、わけだが・・・。

いやあ、ドラマの文脈も物理法則も微妙に踏み外した脱力系の展開、嫌いじゃあないよこういうの。