えいいちのはなしANNEX

えいいちのはなしANNEX

このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

道鏡を天皇にして良いかどうか? の神託を受ける使者・和気清麻呂を、称徳天皇(孝謙上皇の重祚)は、なぜ伊勢神宮ではなく、遠い九州の宇佐八幡宮に送ったのか?
「道鏡を皇位に就けると良い」という神託は、もともと宇佐八幡宮のほうから(勝手に)持ってきたものだからです。和気清麻呂は「それって本当ですか?」という確認のために宇佐に派遣されたんです。
そもそも、なんで遠い九州の宇佐八幡が、そんなことをわざわざ言いってきたのか、って話ですが、
当時道鏡の弟の弓削浄人が太宰帥(九州地方の長官)であったことが関係している、と推察されています。兄を天皇にしようとした浄人が、配下にあった宇佐八幡に神託を出させたか。あるいは宇佐八幡宮のほうで上司である浄人に阿って、この機に八幡宮の格上げを図ったか。あるいは、どっちもアリか
とにかく、この神託事件は、基本的には宇佐八幡側からの「猛烈アピール案件」に過ぎないんです。
八幡宮は、神功皇后が三韓征伐からの帰途にこの地で応神天皇を産んだ、ということで、応神天皇を祭神とする「天皇家の祖先神」を名乗ってはいますが。
アタリマエですが天照大神を祀る伊勢神宮より格上なんてことは有り得ません。てゆうか、このままでは九州で威張ってるだけの「地方神社」のままです。
そこで、大宰府に「今をときめく道鏡禅師の弟」が赴任してきたのをいいチャンスに、「ウチの神様と組んで、あなたの兄を天皇にしませんか?」と持ち掛けた、みたいなストーリーが想像できます。これをチャンスに八幡宮を全国区に、あわよくば伊勢をしのぐナンバーワン神社に成り上がってやろうという「宇佐八幡の野望」があったのでは、と想像することもできます。いや、私が勝手に想像しているだけですが。ありそうな話だと思いませんか?
なんにせよ、道鏡事件は最初から最期まで「宇佐八幡がこんなこと言い出しましたが、どうしましょう?」という話であって。伊勢神宮とかは、全く関係ない話なんです。
まあ、もし本当に道鏡が天皇になるって話になりそうなら、伊勢も黙っていられず乗り出しかも知れないけど、実際にはそこまでいかずに事件は終わっちゃったわけです。

道鏡本人は本当に天皇になりたがっていたのか、称徳天皇は何故皇位を譲ろうとか言い出したのは、私としてはいろいろ考えていることはありますが。それ書きだすと「長文」になっちゃいますので、今日はやめておきます。

徳川家康の魂というのは、「東照大権現」のことですね。
栃木県日光の東照宮に鎮座ましましている。

日光は、江戸からみて真北にあります、つまり関東全域を宇宙に見立てたとき、日光は北極星の位置にあります。

天において唯一「動かない」星で、他のすべての星はその周りをまわります。従って北極星は「天帝」と言われます。
東照大権現は、ここから江戸と関東を護っているんです

ちなみに北極星を守護する「北斗七星」に喩えられているのが「平将門」です。江戸には将門を祭る神社が北斗七星の形に並んでいます。
このシステムを考えて実現したのが「南光坊天海」です。明智光秀の生まれ変わりといわれる(違うか、どっちにせよ嘘だけど)天才宗教家です

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江戸の鬼門にあるのは「東叡山寛永寺」です。
上野の山に今もあります(かつてはいまの国立博物館まで含む広大な寺でした)。
京都の鬼門にあたる「比叡山延暦寺」に倣って造営されたものです。
この寺の中にも「東照宮」はあり、もちろん江戸の町と江戸城をまじかに護っています。

ということですので、日光の東照宮が護っているのは「関東地方だけ」なんですが。
しかし、実は「東照宮」は全国にあるのです。
というのも、江戸時代のすべての大名は、自分の城の中や傍にミニ東照宮を作ることを、ほとんど義務付けられていたんです。
だから、今でも、どこの城に行っても東照宮はあります。
このネットワークで、徳川家康の魂は、日本全国をくまなく護っているのです。だから大丈夫です。

本能寺の変を裏切りと呼ぶことは適切ではないと当職は思量いたします、
明智光秀(甲)は、織田信長(乙)の家臣であるのは事実ですが、それ以前に日本国民であり、乙の悪政を排除し日本を平和にすることを目的とした甲の行動は、いかなる要因においてもこれを裏切りと呼ぶことは適切ではないと思料するものであります。

信長は人情家ではありません、気分屋です。

気に入ったヤツはやたら可愛がるけど、いつ気が変わって捨てられるか分からない。
こういう人間がトップにいる企業は、従業員のストレスは半端ありません。
あえて現代的な、ざっくりとしたたとえをすれば、信長は「急成長した企業のワンマン経営者」みたいな存在です。ユニクロとか、ワタミとか、イーロンマスクとか。
「天才経営者」というのは、自分の成功体験に強烈な自信を持ってるから、そのやり方を部下、というか従業員全員に押し付けて当然と思い込んでいるものです。
だから「24時間、365日働け」なんてことを平気で書けるし、それで「ブラック企業」だなどと批判されても、何の痛痒も感じないものです。

自分のやり方についてこれないヤツは無能で不要な存在だ、と平気で切れる。こういう人物は、現代では「サイコパス」と分かりやすい名称が与えられるようになりました。

人の痛みが分からない、という人格は、ビジネスの世界では有利に働くこともある、ってのは事実なようです。
ブラック企業の経営者はサイコパスが多い、という話は「サイコパス」(文春新書 中野信子著)にもあります。
信長の時代にサイコパスという用語かが当てはまるかどうか分かりませんけど。

こんな人だから、部下の誰に不満が溜まっているかなんて全然わからない。分かる必要もない、使えない奴は切ればいいだけ。
家来のプライドなんか一切気にしない配置転換が平気でできる、それで恨みを買うなんて毛ほども思わない。
まあ、こういう経営者じゃなきゃ、あんな急成長はできませんけどね。
信長は「その特殊な気質」のおかげで異例の成長をします、周囲の人間も信長に付いていけば自分も得なので、喜んで(という顔をして)従っています。しかし、だんだん我慢の限界がくる、人間なら、あたりまえ。

だいたい、浅井や松永や荒木が裏切ったとき、いっつもそんな馬鹿な、信じられん、って言ってますが。
そもそもなんでオレの部下は次々に裏切るんだろう、って、いっぺんでも考えたこと、ないんですか、この人は?
反省、ってことが、できないんですよ信長は。
自分が絶対正しいと思い込んでるから、離反する家来の気持ちなんか、わからない。
本当にわかんないんですよ。だから「お前の悪事は許してやるから、戻ってこい」という言い方しかできない。
耐えて耐えて我慢して遂にキレて謀叛した奴が、こんな言い方されて、戻ると思いますか? あなたなら、戻ります?
明智に謀叛された時も「なんでだ!あんなに可愛がってやったのに!」としか思えなかったことでしょう。
そういうところですよ、あなた。

ということで、信長に叛旗をひるがえした仲間や家臣は、明智光秀が始めてではないわけです。浅井長政、松永久秀、荒木村重。
明智光秀が本能寺を襲わなくても、あるいは信長殺しに失敗したとしても、またいずれ誰かが信長の首を狙うでしょう。

信長って人は「部下の梯子を外す」ことにかけては右に出る者はいないブラック経営者です。
官兵衛が荒木村重に捕らわれて行方不明になったときはロクに調べもせずに人質の息子を殺せといいだしたり、秀吉が苦労してまとめた和睦を簡単にひっくり返し、降伏すれは命は助けるといった秀吉の立場をなくさせたり、ホントに「上司にしたくない武将ナンバーワン」です。

明智が謀反したのは、自分が苦労してまとめてきた長曽我部外交を簡単にひっくり返されて、失望したっていうか絶望したからだ、って説が有力です。
光秀はこれまで、戦争より外交交渉などを徳地としていたのに、本社の企画戦略室長を外されて地方の工場長に転勤させられたようなものです。
出生コースから外されて、地方に飛ばされる内示を貰って、もう俺はこの会社では終わった、いずれ無能の烙印を押されて追放されるか、罪を着せられて殺されるか。
光秀は、そうとう神経が参っていた、と考えられます。こういうとき、人間は得てして、理屈に合わないバカなことを仕出かすものです。
信長を襲って殺したって、それで天下が取れるってもんじゃあありません。光秀だって、それくらいは分かってたはず、なんですけどね。

織田家臣団は皆、大なり小なり信長のプレッシャーに苦しんでいたはずです。
実は、光秀の次に崖っぷちだったのは、秀吉じゃないかと思います。
だから、明智の心境も手に取るように分かった。「あいつ、近々、なんかやらかすぞ」と秀吉は、読んでいたんですよ。
秀吉も官兵衛も、信長が死んでくれてホッとした、てゆうか大喜びしたはずですよ、これで毛利と和睦ができる、無駄な戦争しなくて済む、って。
安国寺が「いずれ高転びする」と予言したように、実はみんな信長に「そろそろ死んで欲しい」と思っていたんです。
明智が失敗してれば、たぶん、いずれ秀吉がやったでしょう。あるいは、家康が。
畳の上では絶対に死ねない人間って、います。信長がまさに、そういう人です。

本能寺の変に「誰それ黒幕説」が山のようにあるのは、つまり「信長には一刻も早く死んで欲しい、と思っていた人間が、山のようにいた」っていうことです。
本能寺がなければ当然のように信長は長生きして天下統一したに決まってる。織田政権が長続きして日本はガラリと変わってた。織田時代が続いて海外進出していた。日本はもっとはやく先進国になっていた。とか暢気に言ってていいのか、考えてみたほうがいいです。
そんな「信長が作る、強い日本」をみんなが望んでいんたなら、本能寺の変なんか起きなかったんです。
「信長の作る日本は、ロクなものにならない、これは世のため人のための鬼退治だ、だからみんな褒めてくれるはずだ、成功すればみんな味方になってくれるはずだ」。
明智光秀は、そう自分に言い聞かせて、本能寺を襲ったんです。

「シンプル・アクシデント 偶然」
感想(多少ネタバレあり)

この監督さんは只者ではないな、と思いながら、とにかく終盤まで娯楽映画のように楽しめた。イランという国には体制に重大な問題、人権侵害どころではない大変な弾圧があって、監督自身がその被害者だという予備知識を、途中で忘れさせるほど、見事な「ドタバタ喜劇」が展開されて。笑っていいのかな、と思いながら笑わずにはいられなかった。

偶然出会った義足の男を、自分を拷問した刑務官であると「確信」しちゃった主人公が、拉致して縛り上げて復讐のためキルビルみたいに穴掘って埋めようとしたら、人違いだ、と強く主張されて。

だんだん確信が持てなくなった主人公が、同じく拷問された「仲間」と言っても初対面)を呼び集めて確認しようとするんだけど。

集まってきた連中が、みんなクセが強いヤツばかりで、早く殺しちまおうとイキリたつのを、必死にまとめる男の姿が、段々気弱で可哀想に見えてきて、なんだか、泣けてくる。
これどうやら人違いだな、そういう流れの映画だな、って見てる私には思えてきていて。だからゲラゲラ笑って見ていられたんだけど。
終盤の意外な展開には、すいませんでしたー!ナメでしたー!という気分だった。
こんなに見事などんでん返しって、なかなかないでしょう、しかもそれが「イランという国の、どーしょーもない現実」を我々の脳裏に刻みつける。
しかし主人公は、中盤の出来事から「相手が敵だとしても、人間であり家族がいる」ということを認識してしまった、そうなると人は途端に「弱くなる」のだろう。
ラストの、主人公の背後から迫る「義足の足音」の意味は諸説あるみたいだけれど。具体的に「あの男」が仕返しにやって来たというより、復讐が成就しようとしまいと生涯消えないトラウマ、みたいなものを象徴しているのだろう、と思う。
今週は、慶さんの息子「与一郎」が、小一郎の養子になった、つまり家族に加わった、という物語がメインです。このドラマは、回を追うごとに「家族が増えていく」という構成になっていきます。

秀吉の甥の万丸(よろずまる)君を養子にした宮部継潤(ドンペイさん)は、その後すっかり「羽柴家の一員」になって、準レギュラーで登場しています。

大河ドラマのタイトルは、原則的には主人公の名前ではなく、ドラマの「テーマ」を表しています。青天を衝け、どうする家康、光る君へ、べらぼう、みんなそうです。

「豊臣兄弟!」というタイトルは、藤吉郎と小一郎の兄弟が主人公であるという意味ではなく、「このドラマは、兄弟がテーマなんですよ」という意思表示です。

蜂須賀正勝と前野長康、織田信長と信勝、足利義輝と義昭、信長とお市、信長と浅井長政、といった「いろんな(義)兄弟(兄妹)」の関係が比較され強調されて、ドラマが進んできました。

このドラマのほとんど全て登場人物は、「家族関係の中」で存在しています。

今年の大河は、主人公秀長が死ねば、そこで最終回でしょう(たぶん)。

朝鮮出兵、秀次や利休の切腹、関ケ原、大坂の陣といった「豊臣家の落日」は描かれません。
「兄弟が力を合わせて天下を統一する物語です」と事前に告知されていますので、日本が統一される瞬間がドラマ全体のクライマックスということになるでしょう。
それはいつか。

徳川家康のもとに、秀吉・秀長の妹「あさひ」が嫁いだとき、家康が「豊臣(義)兄弟」つまり家族の一員とした瞬間こそ、それだ、と言えるんじゃないでしょうか。

日本中が「家族」になれば、日本は平和になるんです。

今年の大河は、そういうテーマに沿って構成されていくのではないか。と、思っております。
「もし本能寺の変が起こらなかったら、日本の歴史はどうなっていたか?」
それを真面目に考えるなら
「なぜ本能寺の変が起こったのか」
ということも、一応、考えるくらいは考えてみましょう。
信長は、本能寺で隕石に当たったわけでも、忍者に暗殺されたわけでもありません。つまり、偶然に死んだのではないのだから。

「豊臣兄弟」を見ている人には、あるいは信長が登場する大河ドラマを一つでも二つでも見たことのある人であれば、信長に叛旗をひるがえした家臣や同盟者が、一人は二人ではないことを御存知でしょう。

浅井長政しかり、松永弾正しかり、荒木村重しかり。それこそ列をなして謀反人が次々に現れています。
明智光秀が本能寺を襲わなくても、あるいは信長殺しに失敗したとしても、またいずれ誰かが信長の首を狙うでしょう。
これは「信長ってなんて可哀想」って思う人のほうが少ないはずです。信長には、みんなに謀反されるような「人格的欠陥」があった、と言うしかありません。

信長って人は「部下の梯子を外す」ことにかけては右に出る者はいないブラック経営者です。

たとえばNHKオンデマンドで「軍師官兵衛」を見て頂ければ、よく分かりますけど。
官兵衛が荒木村重に捕らわれて行方不明になったときはロクに調べもせずに人質の息子を殺せといいだしたり、秀吉が苦労してまとめた和睦を簡単にひっくり返し、降伏すれは命は助けるといった秀吉の立場をなくさせたり、ホントに「上司にしたくない武将ナンバーワン」です。
その、信長に苦労ばっかさせられた官兵衛さんの岡田准一が、「どうする家康」では自分で「絶対に上司にしたくない信長」を演じていたのも、面白い話ですけど。岡田信長も、部下や同盟者にしょっちゅうプレッシャーをかけて部下に怖れられ怨まれるブラックっぷりでは、ヒケを取りませんでした。

明智光秀が謀反したのは、自分が苦労してまとめてきた長曽我部外交を簡単にひっくり返されて、失望したっていうか絶望したからだ、って説が有力です。

畿内担当を外され、秀吉の毛利攻めの手伝いをしろ、というのは、いわば本社の「経営戦略室長」から「地方の工場長」にいきなり異動させられたようなもので、出世ルートから外された、もう信長政権内で出世の道はない、いずれ無能の烙印を押されて追放されるだろう、という絶望感です。
これまで信長に叛乱して失敗していった浅井も松永も荒木も、同じような心理状態だったことが伺えます。
こうして追い詰められるのは、光秀が最後か?そんなはずはありません、もし光秀が失敗して信長が生き残ったとしても、また次の「追い詰められたヤツ」が必ず現れます。

次は、もしかしたら秀吉かも知れないし、家康かも知れません。

「豊臣兄弟!」をずっと見ていた人なら御存知でしょうけど。秀吉も、信長から「切腹しろ」と理不尽に命ぜられたのは、一度や二度ではありません。来週も、北陸で柴田と喧嘩して帰ってきた秀吉は、信長に殺されかけるはずです。
織田軍団の誰もが、ブラック上司信長の怒りの矛先を何とかかわして生き残っています。限界を超えたヤツから脱落して謀叛します。

「豊臣兄弟!」をずっと見ていた人なら御存知でしょうけど。秀吉も、信長から「切腹しろ」と理不尽に命ぜられたのは、一度や二度ではありません。来週も、北陸で柴田と喧嘩して帰ってきた秀吉は、信長に殺されかけるはずです。
織田軍団の誰もが、ブラック上司信長の怒りの矛先を何とかかわして生き残っています。限界を超えたヤツから脱落して謀叛します。


秀吉も官兵衛も、本能寺で信長が死んでくれてホッとした、てゆうか大喜びしたはずですよ、これで毛利と和睦ができる、無駄な戦争しなくて済む、って。
安國寺が「いずれ高転びする」と予言したように、実はみんな信長に「そろそろ死んで欲しい」と思っていたんです。
明智が失敗してれば、たぶん、いずれ秀吉がやったでしょう。あるいは、家康が。
畳の上では絶対に死ねない人間って、います。信長がまさに、そういう人です。

本能寺の変に「誰それ黒幕説」が山のようにあるのは、つまり「信長には一刻も早く死んで欲しい、と思っていた人間が、山のようにいた」っていうことです。
本能寺がなければ当然のように信長は長生きして天下統一したに決まってる。織田政権が長続きして日本はガラリと変わってた。織田時代が続いて海外進出していた。日本はもっとはやく先進国になっていた。とか、なんで暢気に言えるのか、ちょっと立ちどまって考えてみたほうがいいです。
そんな「信長が作る日本」をみんなが望んでいんたなら、本能寺の変は起きません。

おっと。そんな説教が話が聞きたいんじゃない、「カッコいい信長が天下を統一したら、日本はどんなに素敵になっていたか」っていう夢のある話をしてくれ、って言ってるんじゃないか、とおっしゃいますか。
承知しました。
奇跡的に第二、第三の本能寺の変を切り抜けて「先進的な思想の」織田信長が全国統一していたら、どんな日本になったか、って話をいたします。
日本はもっと早く西欧文明を取り入れて、早く文明開化を実現したに違いない。
そう単純な話ではないでしょ、という話をします。

信長が、日本を統一したあとも依然として南蛮貿易大好き、キリスト教おおいに結構、ヨーロッパ文明大歓迎、という革新的な王様でいたかって考えれば、そんなことはあり得ないでしょう。
信長がキリスト教に寛容だったのは、宣教師が貿易船を連れてくるから、です。日本国内にまだ敵がいる限り、南蛮貿易で鉄砲弾薬を優先的に輸入できる者が圧倒的に有利なのは間違ありません。
しかし、日本を統一した時点で、キリスト教は脅威でしかなくなります。



そりゃそうでしょう。

日本にキリシタンが増えるってことは、日本文化がヨーロッパに侵食されるってことであり、天皇の命令よりローマ教皇の命令を聞く日本人が増えるってこと、つまり日本がイスパニアやポルトガルの属国、植民地にされるってことなんですから。
実際、豊臣秀吉は、九州征伐を完了して日本統一を目前にした頃から、手のひらを返したように宣教師を追放したり処刑したり、キリスト教弾圧に転じています。
信長がもし本能寺を免れて長生きして日本統一したとしても、絶対に同じことをしたでしょう。
これはキャラの問題ではありません、日本の支配者としての当然の責任です。
キリスト教はお断りだか貿易はガンガンしたい、っていう虫のいい話は、通りません。
宣教師も貿易船も、要するに日本を文化的、経済的に支配したいから、わざわざやってくるんですから。
ヨーロッパ文明の無制限な輸入をキッパリ跳ねつけることが出来るかどうかが、国家の指導者の責務と言えます。

徳川家康は陰キャだったから南蛮貿易をやめた、ってのは大間違いです。

最終的に布教と貿易を切り離せないカトリック国であるイスパニア、ポルトガルを切って、プロテスタントのイングランド、オランダとのみ貿易をすることで、ヨーロッパ文化の流入を最小限に抑えて、交易の利益を確保しました。
徳川幕府は基本的にこの政策を継承することで、260年の泰平を実現しました。

もちろん、この間に日本人は眠っていたわけではありません。独自の文化はべらぼうに花開き、産業は目覚ましく進歩しています。

徳川幕府が倒れたあと、明治政府が「文明開化、産業革命」を実現できたのも、日本が欧米諸国に簡単には支配されないだけの体力がついていたから、と言えます。
徳川の鎖国という悪政によって日本は停滞した、というのは、幕府を倒して成立した明治維新政府によるネガティブキャンペーンなんです。

小一郎にも木下(羽柴)の家族にも心を開かなかった慶さんが、しばしば「怪しげな武士」と密会していたり、怪しいタイミングで家を空けていたりしていた件につき。

私は「反織田のレジスタンス活動をやっているのでは?」「信長狙撃(杉谷善寿坊)事件に関係していたのでは?」「打倒織田の執念が、もしかして本能寺まで繋がるのでは?」みたいな推理をしておったのですが。

違いました。

慶さん、別れて暮らす息子を、陰ながら見に来ていたんですね。

与一郎、というこの子、目が大きくて可愛くていかにも聡明そうで、いや絶対の子どっかで見たことがある!と思ったんですが。

「高木 波瑠」くん。

いや見たことあるどころではない、大河ドラマはもう四作目です。

「青天を衝け」では尾高平九郎(渋沢栄一の従兄弟)の幼少期。

「光る君へ」では一条天皇の幼少期。あー、高畑充希さんの定子様の袖の下に潜り込んで遊んでいたあの懐仁親王サマだ。

「べらぼう」では蔦屋重三郎の幼少期・柯理(からまる)を演じていますね。

主役級の役で、三年連続出場です。いやいや流石の演技、っていう感じです。

与一郎、というのは、秀長の早世した子供の名前として記録にある、んだそうですが。

このドラマでは事実上「架空の人物」ですので、今後どう活躍するか(しないか)は分からない、ということで、期待していいんではないかな、と思われます。

 

「氏姓制度はその人の家系で偉さが決まるけど、聖徳太子の冠位十二階はその人の能力で位が決まる」
という理解で、合ってますか?
違います。もしかして小学校の先生はそんなふうに教えるかも知れませんが、全然、違います。
ものすごく、ざっくりした言い方しますよ。
氏姓制度というのは、「位の高い豪族の家に生まれた者は、それだけで偉い」という制度。官位十二階は「豪族の家に生まれた者には、天皇から高い位を表す冠を授ける」という制度。
つまり、豪族の序列を「元々そうだから」ではなく「天皇が認定したから偉いんだ」というふうに、天皇の権威をもとに秩序だてよう、という、天皇強化策が「冠位」です。

回りくどくて、分かりにくくてすいませんね。

でも、これは、そういう問題なんです。「現実」ではなく「思想」の話なんです。

十七条の憲法も、冠位十二階も、夜するに「貧しいヒトにパンを分け与えます」というような「政策」ではありません。

「天皇偉い、仏教偉い、日本はひとつ、豪族はみんな天皇の家来、だから喧嘩禁止、内乱禁止」っていう「思想」を説いてる(だけの)ものなんです。

だから「言葉をひねくる」ような解説しかできないんで、ご諒承ください。

そもそも、能力ってなんですか。筆記試験でもしたんですか。

いいえ。「科挙」の制度は、ついに一度も日本に導入されていません。

だったら、天皇は、どうやって人の能力を判定するのですか。

結局、古代においては、というより(戦国時代などごく一部の例外を除いて)日本史のほとんどの時代に、特定の「人物が優れている」と「家柄が優れている」は、ほぼイコール、というのが現実なんです。

聖徳太子のおかげで「低い家柄に生まれたけど、読み書き算盤が優れているから出世できるようになった」なんてことは全くないのです。現代的な解釈を安易に古代史にかぶせるのは、禁物です。

実力主義とかいうのは、戦後の民主主義教育の理想を「聖徳太子は偉い」という理想にくっつけて意図的に混同した誤解あるいは嘘です。

「十七条憲法」というのも、要するに「天皇は偉いんだから言うことを必ず聞け」って繰り返し言ってるだけです。
「天皇だけが偉い国を作るんだ」というのが、中央集権、統一国家というものです。
「実力主義」とか「民主的」とは対極の思想でできてるのが「聖徳太子の政治」です。

「天皇がいようといまいと関係なく偉い」のと、「天皇に認定ししてもらわなければ偉いことにならない」とは、エライ違いだ、というのは分かりますか。前者なら、豪族たちはもとは同格で、天皇家はぞのなかでたまたちょっと強いだけ、ということになります。後者であれば、天皇は唯一神聖不可侵で、他の豪族はすべて横並びで生まれながらに天皇の下、ということになるのです。

これが「中央集権制」ということ、なんですよ。

って話を、あちこちでしてますけど。いずれまた、改めて。




石田佐吉(三成)の「三献の茶」を、やっぱりやらないのかぁー!という声が出ていますが。

今週の「一括採用試験」は、なかなか上手い脚本だったなあ、と思いました。

だって、石田三成、片桐且元、平野長泰、藤堂高虎、この四人のテストを一緒にやることで、キャラクターの特徴が一発で分かるような仕組みになっている。見事です。

これは「カイジ」ですね。

挑戦者たちに「命がけ」の競争をさせて、それを主催者が笑いながら見ている、っていう「隠さない階級格差」。なんかねえ、藤吉郎と小一郎、殿様になった途端に衣装が派手になったもんだなあ。

二人が笑って観てる時点で、これはフェイクだな、って我々視聴者には分かるわけですけど。俺たちも、こっち側(館力者側)の、ガラスの内側の人間になったみたいで、複雑な気分になったのは私だけでしょうか?

いちいちイキリ立って大騒ぎ?する藤堂高虎、冷静に状況を読んで泰然としている石田三成、トリックを暴いて得意満面の平野長康、ついでの仏像救出アピールで細かく点数を稼ぐ片桐且元。

この四人を並べて登場させることで、みんなそれぞれキャラ立ちして、いや実に良かったな、と。

一次試験、二次試験、三次試験とあるところが「三献の茶」のオマージュ、なのかも知れない。

この平野長康ってひと、「真田丸」を思い出しますね。近藤芳正さんが演じていた。

真田源次郎(堺雅人さん)に「あのひと誰ですか?」と聞かれた石田三成(山本耕史さん)が「賤ケ岳の七本槍、知ってるだろう」。

「勿論です!  加藤清正、福島正則、加藤嘉明、片桐且元、脇坂安治、糟屋武則・・・あれ?」「あと一人は?」「・・・分かりません!」「アイツだ。平野長康」爆笑でした。

御用部屋の隅で皆に忘れられている男。哀愁漂う窓際中間管理職。この調子のいいコナン君が、将来ああなるか、と思うと、なんとも、です。

池袋のシネマロサで「長篠」を観てきました。
「豊臣兄弟」が、ちょうど長篠合戦を一瞬やった(てゆうかスルーした?)直後ですので、あ、これ今観るべきだな、と急遽思い立って、池袋西口に。

ここは「カメラを止めるな」や「侍タイムトリッパー」をヒットさせたカリスマ的ミニシアター、じゃないな、風情は「古き良き昭和」みたいな名画座です。

柴田勝家(山口馬木也さん)は、ここから天下を取った、と言ってもいい。

長篠、ってくらいだから、武田騎馬隊vs.織田鉄砲三段撃ちの壮絶な戦いが展開される、のではないです(そういうのは、大昔に「影武者」で観たから、あれでいい)。

長篠の戦い前夜、かつて最強を誇った武田軍団の面々が集まり、明日は戦えば必ず負ける、華々しく散るか、適当に逃げるか、それとも‥、と延々と議論する、という熱いディスカッション劇。
それだけだと華がないので?、長篠合戦に参加してない「お艶の方」(信長の叔母で岩村城の女城主)と、その夫の猛将秋山虎繁を、この会議に参加させてるのが、面白いところで。
武藤喜兵衛(若き日の真田昌幸)が、いい味出してます、もちろん部下の忍びは佐助って名前です。

「豊臣兄弟」はもちろん、大河に出てるような知った顔の役者さんは出ていません。

なのに、衣装や鎧兜が、みんな新品のピカピカなんですよ。なんでヨゴシとかかけないの?と思ったんだけど。そうか、今気がついた、レンタルだから綺麗なまんま返さなきゃいけないんだ、きっと!
サワヤカなほどの低予算映画です。
が、ここにしかない味というか、意気に感じるというか、そういうモノです。21日(来週木曜)まで、午前一回です。 — 場所: 池袋 シネマ・ロサ