えいいちのはなしANNEX

えいいちのはなしANNEX

このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

影武者のはなし、つづき。

織田信長が本能寺から逃げて生き延びた、という小説やマンガも、いくつも読んだことがありますが。

その生き延びた信長はどうして現役復帰しなかった(出来なかった)かという肝心なところで、「ふーん、なるほどね」って苦笑いさせられる以上のモノには、今のところ、お目にかかっていません。

大昔、信長は実はもともと吉法師の時代から入れ替わっていた影武者で、その事実が明智光秀や秀吉にバレて本能寺で殺されるんだけど、実は生き延びて家康のもとに身を寄せて、「一度は天下を取った身ですから、そうですな、これからは天海とでも名乗りましょうかな」ってのがありました。

これは「もともと影武者だった」っていう二段オチがあったから成立した話で、フィクションの上にフィクションを重ねた突飛な与太話です。それなりに有名な歴史作家の小説だったと思うんですけど、作者忘れました(オール讀物に載ってた、てのだけ覚えています)。

井沢元彦のSF小説で、なんかの弾みで生き延びた織田信長が、朝鮮中国どころか南蛮まで征服しようと乗り出していく、それを何故か察知した未来人たちが「これでは歴史が変わってしまう」と大慌てして、タイムリープで刺客を送り込んで信長を抹殺しようとする、と言う話がありました(確か、そんな筋だった)。これはSFというよりは「If小説」ですね。

もし本能寺がなかったら、あるいは信長が本能寺から逃げて生き延びたら、歴史はどう変わっているだろう、という「If」話なら、それも結構見ます。

いつのまにか「一部のライト歴史マニア」の間では「え、信長って実は生き延びたんでしょ?」てのが、やりすぎ都市伝説的なレベルの「常識」と化しています

「信長協奏曲」というドラマ+映画もありましたね。小栗旬が主演で。

原作は漫画なんですけど、恐ろしいことに、まだ完結していないんですよ。ずーっと休載していたのが、なんと今年の7月に再開して、三話で完結するとか

当然、映画の時点では当然、まだ原作は未完で、だから映画で出てきた本能寺の変は、完全に映画オリジナルストーリーなわけですけど。

あれも本質的には「信長は、影武者だった」って話のバリエーションです。タイムスリップした高校生サブローが信長になり、本物の信長は顔を隠して明智光秀と名乗って信長をサポートする、だから協奏曲なわけですが。

この映画では、信長抹殺を企む秀吉(悪いヤツ)に唆された光秀こと本物の信長が・・・って話ですけど、まあ、ネタバレになるので結末はあんまり書かない方がいいですかね。あれも「SF+If」話でした。


影武者が殿様と入れ替わっても誰も気が付かない、てのは、フィクションとしては面白いとは思います。

まあ現実には、影武者がいたとしても「遠目に観たら背格好が似ている」程度のことだろうと思います。

本当に殿様とすり替わっても、家来の誰も気が付かない、なんてほど瓜二つってのは、まあ有り得ないだろうと思いますけどね。一卵性の双子でもない限り。


あ、双子といえば。

もうひとつ「影武者モノ?」を思い出しました。

「仮面の男」という、ディカプリオ主演の映画。

フランス王ルイ十四世(暴君)と、仮面を被せられて幽閉されていた双子の弟の話。Aデュマ原作で「三銃士」の後日談です。

あと、アレがあったな「王子と乞食」。

マークレスターの二役で映画にもなった。ヘンリー八世の王子エドワードが、そっくりな乞食(今はコンプライアンスでヤバイ用語だ)少年と入れ替わる、まさに「影武者モノ」と言っていいです。



なんか、次々に思い出してきた。

「本能寺で殺されたのは実は影武者で、信長は脱出して生き延びていた」って話は、どうですか?

って、うーむ。

そりゃそれで面白い話になるんだったらいいですけどね、その生きていた信長は、どうして「ワシは生きてるぞー、光秀許すまじー」って言って出てこないんですか?

そこを説明できなきゃ、ラノベのネタにもならないでしょう。

たとえば、本能寺からは逃れたけれど、信長の顔も知らない雑兵の手にかかって殺された、とか?

それって面白いですか?

せっかく影武者のお陰で本能寺から脱出したのに、直後に下っ端に斬られたんなら、それは本能寺で死んだうちに入ります、「生きていた」ことにはなりません。

「信長は生きていた」んなら、その生きていた信長はどうして表舞台に出てこなかったのか(来られなかったのか)、一体どこで何をしていたのか、ってところを考えて面白がらないと。逃げただけなら意味ないです。

僧侶になってひっそり暮らしてますとか?

なんで?

「あの信長」が、魔王とまで言われた信長が、影武者まで立ててせっかく生き残ったのに、なんで僧侶としてひっそり暮らそうとか思うんですか? 理由も必然性も全くないですよね。

なんか人生嫌になっちゃった、とかですか?

それでは、我々の知っている歴史は、全く変わらないわけですよね。

なーんにも面白くなくないですか?

隠れてひっそり暮らしたなら、本能寺で死んだのと全然変わらないと思いますよ。

あの信長だったら、生き残った以上、なんとかして天下を取り返そうとしなきゃ、ドラマにもラノベにもなりません。

本宮ひろ志「夢幻の如く」は私も読みましたが、あれ、SFですからね。謎の力(神様的な?)によって本能寺からタイムスリップさせられた信長が、なんか世界で大活躍するという「異世界ファンタジー」です。面白いけど、ジャンルが違うので挙げませんでした。

「徳川家康は関ヶ原で戦死していて、その後の家康は影武者だった、という説がある」って書いてるサイトがありましたけど。嘘です。

正しくは「〜という小説がある」です。隆慶一郎の「影武者徳川家康」という小説(荒唐無稽なフィクション)です。とんでもなく面白かったですけどね。当時、夢中で読みましたけどね。

昔、影武者ブーム、みたいな時期があって。

黒澤明の映画「影武者」が原点だと思うんですけど。上洛途中で流れ弾に当たって死んだ武田信玄の代わりに、無学無教養な盗賊あがりの影武者が立てられる話ですけど。

この映画が一世を風靡したんで、戦国大名のアレにもコレにも影武者がいて、って話が結構作られたものです。「影武者徳川家康」もその流れの一つですけど、中でも抜群に面白かった。

あれは、すり替わった影武者「世良田次郎三郎」が、もともと名将でも名政治家でもなかったのに「天下人徳川家康」として悪戦苦闘して生きていくうちに成長していき、やがて独自の思想で「オレが日本を変えよう」とまで考えるようになる、ってところが面白かったんですよ。

影武者云々というアイデア一発なら、結構、誰でも思いつきます。その先にどんな展開の工夫があるか、でしょう。

影武者のはなし、つづく。

趣味で大河ドラマを見ていたおかげで歴史が好きになって、結果的に受験に役立った、ということはあると思いますが。
受験に仕えるからという目的で大河ドラマを見る、というのは、効率が悪すぎます。

大河ドラマ一本45分弱×50回弱=2250分(37.5時間)を見ても、その中で歴史の教科書に出てくる人名はせいぜい十数人かそこら、教科書に出てくるような事件は5,6件ではないか、と思われます。さらに、そのうちのどれかが「受験問題に出る」というのは、物凄く低い確率です。

大河ドラマは基本的に「主人公の一生」を描くものなので、その期間は短くて50年、長くても80年かそこら、です。千数百年ある日本の歴史のなかで、たったそれだけの期間しかやってくんないんですよ、1年間毎週欠かさず見ても。

確かに「面白い期間」「事件の多い期間」を選んでドラマにすることが多いのは確かですけど、何十年も大河ドラマを見続けても「戦国時代と幕末のことばっかり詳しい」という人間が出来上がるだけです。

そうはいっても。

大河ドラマのいいところは「歴史には流れがある」つまり原因があって結果がある、単なる用語暗記の科目ではない、ということが分かる、ということだと思います。
歴史を「単純な暗記科目」だと思っている人は多いし、嫌気がさして日本史選択をやめてしまう人も多いですけど、そういう人はたいてい「大河ドラマを観ていない」んじゃないかと、これは私の偏見ですけど。
大河ドラマは「時代劇」ではなく「歴史劇」です。つまり一話完結の無限ループではなく、主人公が生まれて成長して何事かを成し遂げて死んでいく、その過程で「日本は確実に良くなっていく」ように出来ています。


水戸黄門も暴れん坊将軍も「時代劇」ですから、主人公が毎週毎週頑張っても
次の週にはリセットされ、また新しい悪人が出てくるだけ、これが永遠に続きます。主人公はトシをとらず、社会は進歩しません。これは歴史ではありません、従って歴史の勉強には役に立ちません。
大河ドラマは違います、「歴史劇」です。

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「初回の時点でダメな日本が、主人公の頑張りのおかげで、数十年後にマシな日本になって最終回を迎える」のが「大河」です。
この「日本が良くなる」というのが、日本の歴史が「前に進む」というのが、具体的にどういうことなのか、一本の大河を最後まで見れば「なんとなく分かる」というのが、大河ドラマの効用だ、と言えます。
「なるほど、歴史ってこういうことなのか、面白いな」と思えるようになることは、固有名詞をいくつか思えるより、はるかに重要なことです。

 
「黒牢城」のはなし、書きます、なるべくネタバレなしで。

大河ドラマを毎週論評しては盛り上がっている、歴史ドラマオタクだけに。「豊臣兄弟!」のトータス松本氏の荒木村重との、解釈の余りの違いに感動すること然り、ですが。

この件はすでに広く注目されているところですので、今回はそこじゃない話をします。

いやあ、それにしでも面白かった、私には。しかし、歴史的背景に詳しくない人に、果たして前提の状況とか、分かったのかなあ、てゆうか日本史知らない外国人相手にカンヌでウケるのかな、という疑問がありましたが。

観ているうちに、あーこれ、そういう種類の映画じゃあないんだ、てのが段々分かってきます。

牢に捕らわれた「天才」が、伝聞情報だけで謎を解いていく。
これはつまり、「羊たちの沈黙」ですよね。
しかし事件の謎解きは実は本質ではなく、その過程で囚われの天才黒田官兵衛が、じわじわと巧妙に、主人公の精神に入り込んで侵食していく、そこが何とも恐ろしいわけで。これは黒沢清監督の真骨頂と言えます。
官兵衛が「牢の中から人を殺すのは、存外簡単だ」と呟いたところで、あー、これはそういう話か!と気が付いた、こういうメフィストテレス芝居をやらせると絶品です、菅田将暉さん。

本木雅弘さんの荒木村重は、官兵衛を捕らえている積もりが、徐々に彼の催眠的な魔術に囚われていき、やがて「我が身を滅ぼす、誤った決断」に導かれる。しかも、映画が終わる瞬間にも、村重はそのこと(自分が既に破滅していること)に気づいていない。

吉高由里子さん演じる「千代保」の出自が終盤に明らかになっていく過程も、あー気が利いているなあ、と感心しました。
この城には「南蛮衆」と呼ばれるキリスト教徒も多数いて、実はさまざまな思想が入り乱れて存在し、荒木村重はその統率に精神的に疲弊している。
それを短い間の断片的情報から察知し、見事に付け込んでいく黒田官兵衛、恐るべしです。

有岡城で次々に起こる怪事件は、言ってみれば思想的な対立構造の賜物です。
土牢の中のみならず、城内で繰り広げられているのは一種の宗教論争、宗教戦争のようなもので。
スコセッシの「沈黙」(遠藤周作原作)に相似している、という声もあって、なるほどな、とも思います。
そういえば黒田官兵衛はのちに「キリシタン大名」として名を馳せる人物であって。
そういう余分な知識も、あると楽しいかと思います。
「豊臣兄弟!」で有岡城の落城を観た翌日に、「黒牢城」を見てきました。
そっちの感想は改めて書きますが。驚いたなな。
同じ荒木村重でも、印象が全く違うんですよね。
関西弁のくだけたおっさんのトータス松本さんと、堂々とした戦国武将然とした本木雅弘さん。
山谷花純さんと吉高由里子さんも、だいぶん印象が違いましたが。映画のネタバレはいかんので、それについてはまたいずれ。

ちなみに吉高さんは「千代保」という名前ですが。山谷花純さんの演じる「だし」と同一人物のようです。
ドラマで山谷花純さん小寺官兵衛に会って「だし、と申します」と言ってたのは、ちょっと違和感ありました。(麒麟がくるの桐谷美玲さんの時から思ってたんですけど)だし、ってそれ、ほんとに女性の名前ですか?
「だし」というのは、本名ではないでしょう。女性の場合、側室は「北の丸殿」とか「淀殿」というように、居城や居室の名前で呼ばれるのが一般的です。「だし」さんというのは、城のなかの張り出し櫓とかに因んだ通称だと思われます。
それにしても、トータス版の荒木村重、あんまりなヘタレぶりでしたね。そりゃあ「だし」さん、怒るわ。
「国牢城」では冒頭で「荒木村重の謀叛の理由は不明」と言ってましたが。
「豊臣兄弟!」の村重の場合は、一目瞭然というか。ひたすら「織田信長が怖い、離れたい、逃げたい」という本能的な恐怖です。
信長に付いていったら、未来はない。いずれ殺される。
そう思わされるだけの仕打ちを、村重は受けてきました。
 
以下は(たぶん史実ではなく)「豊臣兄弟!」ドラマ限定の話ですが。
松永久秀の謀叛も、荒木村重の謀叛も、すべて本能寺の伏線です。原因はひとえに信長のパワハラ体質です。

このドラマの信長は、家臣に次々に謀叛を起こされるに相応しい存在として描かれています。

主人公の兄弟も、何度も信長の理不尽な命令で心を削られ、虐殺を強要され、何度も理不尽に殺されかけています。観客目線で言わして貰えば、心が折れて信長に叛かないのが不思議なくらいです。まあ、主人公だから設定上、謀叛できないんだろうな、ってだけです。

しかも、今週本格的に表に出てきた信忠は、家来の前で「父上が、父上が」しか言えない、パワハラ気質だけ受け継いだみたいな、もう箸にも棒にも掛からない無能な跡継ぎです。

もう、次に誰が謀叛してもおかしくないくらい、織田軍団は内部崩壊している、と言えます。

明智光秀は、度重なる信長の圧迫命令により牙を剥かれ魂が抜かれた「燃え尽き症候群」に陥っています。燃えかすに火が付いたら衝動的に何を仕出かすか、火を見るより明らかです。

このドラマは、こうした伏線をたっぷり撒いたうえで、「本能寺の変まであと○年」というヤマトみたいなテロップを出してきました。準備完了、です。

荒木の一族を皆殺しにしても、誰かがまた信長を襲うことになるだろう、という必然性をドラマは描いている、と見ます。

来週は、たぶん林や佐久間といった古い重臣が、理不尽に追放されるのでしょう。

「豊臣兄弟!」には長宗我部元親が登場する、ということは、このドラマでは本能寺の変の原因として「四国説」が採用されるのか、と期待しているムキがありますが。

いままでワンシーンチラッとしか出てきていない長宗我部元親が、ここから数話でいきなりドラマの本筋に躍り出てきたら、それこそドラマ全体のバランスを欠きます。

上杉謙信も武田信玄も「あれっ?」という扱いでした。長宗我部があれ以上に遇されるってことは、ないんじゃないかなあ。

光秀に火を付けるキッカケに、長宗我部が多少は噛むのだろうか、という程度は言えますけど。それはキッカケの一つに過ぎないでしょう。「四国説を採用」と言えるほどの主原因になるとは到底思えません。そこは、あんまり期待しないほうがいいです。

「遺愛」初日舞台挨拶、テアトル新宿

主演 山下リオさん、小川あんさん、酒井善三 監督、大森時生テレビ東京プロデューサー。

ポスターのビジュアルからして、老齢介護、ヤングケアラーといった問題をテーマにしたホラー味社会派映画かなと想像したんだけど、それよか遥かに斜め上の本格的サイコホラーでした。

認知症の老母と同居していた父が死んだ。二人の娘のうち、家を離れていた独身の姉(主人公)が、戻ってきて母と同居して介護すると言う。

家庭を持ち子供もいる妹は、姉に任せることにする。しかしこの後、彼女たちの周囲、血縁者や友人に不審な、禍々しい事件が次々起こるようになる。

姉は「母の体を何者がか乗っ取って、私たちを呪っている」と意外なことを言い出す。「私の夢に、次に何が起こるかが出てくる」という。姉はどんどん情緒不安定になり・・・。

といった話。



「母親」の不気味さが、なかなかに怖い映画でした。

「マイケル」

これは池袋のあのIMAXで観ないといけないモノだ、という気がして。

来ましたよグランドシネマサンシャイン。アガるねえ〜。

あー、これは凄い。

でかいスクリーンで観る甲斐がある映画だ。たとえばライブシーン、それも客席を俯瞰で映すシーン、大観衆の中に自分がいる感覚ね。ウォッチ ザ ムービー、オア パート オブ ワン。よく言ったもんです。

ここのスクリーン12のIMAXは、最前列客席の際までスクリーンがあるんよ、だから特に全視界が映像になる。なので、お薦めはなるたけ前の方(但し真ん中でないとちょいキツイ)。

なるほど、これは「豊臣兄弟!」だな、と納得した。

史実?の主人公から、ストーリーに都合のいい部分だけを抽出して、ある程度デオドラントして並べていく。だから主人公が「凄くいい人」になって、そうすると「本当のマイケルはこんなんじゃない!闇を描いていない!」って批判する人がゴマンと出てくるわけだけど。

そんなん、どうでもいいじゃん!

この映画として首尾一貫していて、起承転結がハッキリしていれば、それで充分なんですよ。

テーマ、ハッキリしている。父親!

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秀吉・秀長兄弟と同様に、マイケルたち「ジャクソンズ」兄弟が紆余曲折の末にスターダムを駆け上がる。

彼らを鍛え上げたのも父親なら、彼らの自立を阻む巨大な壁、というか阻害要因として立ちはだかるのも、父親。

マイケルにとっての父親は、豊臣兄弟にとっての織田信長だよなあ、とフト思ってしまうわけですよ。

幼いときは息子をベルトで殴打し、ロクに学校にも行かせず働かせ、マイケルの自立を阻害し、精神を擦り減らせていく。これって、秀吉から見た織田信長だよなあ、って思う訳です。

大河ドラマ「豊臣兄弟!」で、信長は「心を削らせる」ような命令を次々に家臣に強いて、精神的に詰めています。

急成長しているブラック企業の社員たちは、躍進の陰で、心を擦り減らしています。

その犠牲になった松永久秀、荒木村重は「謀反」を起こして、滅びました。

しかし、彼ら同様、信長のせいで追い詰められている者が、まだまだいます。言うまでもなく羽柴秀吉・秀長兄弟がソレですが、明智光秀が負けず劣らず追い込まれているのも、よく分かります。

歴史のIFばなしとして、

「明智光秀は、本能寺の変で織田信長を殺したけれど、天下はとれなかった、もし秀吉が本能寺の変を起こしていたら、少なくとも明智より上手く立ち回って、天下を取れたんじゃないか?」と言う人がいました。

さて、どうでしょう。

本能寺というのは、オセロゲームでいえば「隅の隣」です。

オセロでは、四隅のマスを取ることが勝利への近道なわけですが。隅の隣に相手の駒が置かれていて、それを挟む形で自分の駒を置くことが出来る状況を作り出さなければならない、その駆け引きなんです。

つまり、相手が「隅の隣のマスに駒を置きたくなる(置かざるを得ない)状況」に持ちこんだ方が「勝ち」なのです。

このオセロゲームを、仮に秀吉と光秀のサシの勝負と措定します。

この話題は、大前提として「秀吉も、信長を殺したいと思っている」という事実を認めるってってことからです。そうでしょ?

だから「秀吉は、信長が大好きだから、本能寺を起こすはずがない」と仰るかたは、ちょっと外でお休みください。 

秀吉と光秀、どちらも、信長を殺したい、あるいは死んで欲しい。

でも、自分で手を下してしまったら、天下は取れないんです。いつの時代でも主君殺しの叛逆は大罪であり、それをやった者には誰も付いてきません。

しかし、誰かが(相手が)信長を殺してくれれば、その仇を取る、という名目でソイツを討って、ゲームに勝てます。

それが分かっているから、秀吉は「光秀が、やっちゃってくれないかな」という期待を胸に、いろいろ餌を撒いて、待ち構えていた、と言えます。光秀が敗着を打つのを。

そして、光秀は「ひっかかり」ました。たぶん脳が疲れていたんでしょう、おっ、ここに置けば大量の相手駒をひっくり返せるぞ、と思わず「置いてはいけないマス」に衝動的に石を置いてしまった、それが「本能寺」です。

秀吉は「してやったり」です。隣の隅を取って、いまひっくり返った駒を全部ひっくり返しがえし?することに成功したわけです。

先に動いたほうが負け、という勝負事で、我慢しきれず先に動いてしまった光秀が、セオリー通りに負けました、それが本能寺の変であり、山崎の戦いです。

信長は、首が偽物だと、気がついています。これは絶対に。
いや、根拠はと言われても、このドラマの流れなら絶対にそうだろうと私は確信した、ってだけですが。

敢えて言えば、信長の一瞬の目の動きです。一瞬「バレたか」と思わせる目つきを竹中半兵衛に向けたあと、激怒するかと思いきや、半兵衛に「辛い仕事をさせたな」と、信長らしからぬ事を言っている。あ、信長は全部承知の上で飲み込んだ、と見ます。

信長にとっては、多分、首が本物か偽物かなんて、どうでもいいんです。

官兵衛謀叛という情報が広まった以上、毅然とした選択をせねばならない、でないと示しが付かず謀叛が連鎖するだろう。だから「即刻、人質を○す」という選択をせねばならない。
つまり「自分の命令は必ず遅滞なく実行される」ということさえ天下に示しさえ出来れば良いのです。
信長が「生前の」松寿丸の顔を見たことがあったかなかったか知りませんが。信長は「羽柴兄弟」ファミリーのやり口は大体分かってますから、偽首を持ってくる可能性くらい承知していたんではないか。
しかし、詳細に首を調べようともしなかった、つまり「どっちでもいい」って思ってるってことでしょう。

これ、「平蜘蛛の茶釜」の件と同じだと思うんです。

別に何が何でも本物の茶釜が欲しかったわけではない。「松永久秀が、命より大切にしている茶器を差し出してきた」という事実?が欲しかっただけでしょう。

信長が「実はすでに本物の平蜘蛛を手に入れていた」というオチらしき場面がありましたが。どっから手に入れてきたか知らないけど。多分あれも偽物です。入ってきたお市が白々しく「やはり本物は違いますねえ」なんて言ってましたけど、あれも多分、話を合わせてあげているだけです。

それにしても、松寿丸に続いて唐丸君‥じゃなかった与一郎がドラマに出てきたとき、ちょっと一瞬、嫌な予感がしました。

というのも、歌舞伎には「菅原伝授手習鑑 寺子屋」とか「熊谷陣屋」とか、現代人から見るとちょっとどうなんだという演目があって、小一郎まさかアレをやるまいな、と思ったんですが。まあ、流石に違いました。

私は別に「信長は実は優しい」と言いたいわけではありません。もし本当に秀吉が松寿丸を○して首を持って来たら、それはそれでもいいんです。

のちに官兵衛謀叛が冤罪だったことが判明したとしても、信長は謝ったり後悔したりしないでしょう。
信長の頭の中は「自らを恐怖の魔王として演出することで、最速で日本を統一しよう」というだけ、のはずです。

竹中半兵衛は、もうすぐ死ぬ自分がミニ信長になって泥を被ろうという覚悟のようです。

上月城の虐殺も、尼子と山中鹿之介の見殺しも、実のところ信長の厳命であろう、半兵衛はその意図を汲んだだけ、という見方を、私は捨てていません。しかし、この恐怖支配はますます各方面から反発を食っています。逆効果はアリアリです。
ますます、本能寺が着実に近づいている、って事です。

半兵衛、最後に「戦場に出たい、風向きを変えて見せます」と言ってました。諸葛孔明ですね、赤壁の。

「頭痛肩こり樋口一葉」主演貫地谷しほりさん、こまつ座代表井上麻矢さん、トークイベント
紀伊國屋サザンシアター で来月上演、ということで高島屋のイベントに登場したわけだが、いやー、至近距離で生の貫地谷さん見られて、良かった。声がね、なんとも、いいんだよねえ、この人。

高島屋の着物のPRで時間を取られたのはご愛嬌だけど、この衣装で来てくれたのは嬉しい。


だってこれは「お盆の芝居」、夏子(#樋口一葉)が持病の頭痛を起こすと、あの世とこの夜が繋がっちゃう、って話だから。この季節に観て欲しい舞台です、という話です。

これは、いい芝居に間違いないです。





個人的な話ですが「頭痛肩こり樋口一葉」は、SPの小劇(部内公演)が凄く印象に残ってるんですよね。確か松代麻子さんが樋口一葉で、お化けが秋山裕海さんだったと思う。