外国語を勉強していると、日本語の不思議さに魅了されるときがよくあります。理屈を立てて外国語を学習しているので、無意識に使っている日本語に、かえって大きな謎を感じるときがあるわけです。
英語では電話にでることをanswer the phoneと言います。answerは「呼びかけに対する返事」を意味しますから、電話が鳴るという「呼びかけ」を無視せずに、それに応える、という意味でanswerが使われます。ここらへん、「質問に対する解答」というイメージでanswerを覚えてしまう人が多いので、「電話に出る」という動詞がanswerだ、と言われて、「え?」となってしまうひとが結構多いですね。表面的な和訳を英単語にあてがって、わかった気持ちになると遭遇してしまう、典型的な落とし穴です。よく考えれば「質問」というのも、相手に対する一種の呼びかけですね。
では日本語ではなぜ「電話に『出る』」と言うのでしょう?例えば「表に出る」とか「通りを抜けると広場に出る」とは言いますが、そういうイメージで「~に出る」という日本語表現を覚えてしまった外国人が「電話にでる」という言い方を初めて聞いたら、answer the phoneという表現に戸惑う日本人と同じ気持ちになるでしょう。
日本語の「~に出る」には「公共の場に出る」、つまり「プライベートな場所から、パブリックな場所へ出て行く」という側面があると私は考えています。もちろん日本文化の大きな特徴と言われる「ウチとソト」の感覚が作用していると考えられます。もうお気づきかと思いますが、日本人は電話を「ソト」、つまり「公共の場所」と捉えているのですね。「悪事が明るみに出る」とか、「テレビに出る」という言い方にも同じ考えが作用しています。
現代ではその感覚はなくなりつつあるのかもしれません。駅のトイレで用を足しながら携帯電話をかけている人を見かけると、そう思います。排泄という究極の「ウチ」行為と電話という「ソト」が同居しているのですから。まぁ、そういう理由があって「オシッコしながら電話するのって人間としてどうよ」と思ってしまうのでしょうが。
しかし、不思議なことに明らかに逆転していると思われる心理現象もあります。電車の中で電話でしゃべっている人を目にすると不快に感じますが、これなんかは考えようによっては「電車という公共の空間に、電話での会話というプライベート空間を持ち込みやがって」という気持ちが働いているはずですから、ここでは電話を「プライベートなもの/ウチなるもの」と捉えている心理が働いているはずですね。これは「携帯電話と日本人の『ウチとソトの感覚』の関係」を考えた時、興味深い時代変化を表しているのかもしれません。このあたり、心理学者に尋ねてみたい気がします。携帯電話の出現によって、電話での会話はプライベートな側面が強くなってきたのかもしれませんね。そのうち「電話に入る」なんて言い方が生まれてきたりして、なんて考えてしまいます。
それでも、その昔、電話という機械が生まれた時代のことを考えると、「電話にでる」という感覚にはうなずかされるところです。電話という機械のおかげで、突如家の中という「ウチ」空間に、他人様、ヨソ様との会話という「ソト」空間が出現するわけですから。当時の人たちにとっては衝撃的だったでしょうし、電話が鳴ったときの緊張感までこちらに伝わってきそうな気がします。
言葉というのはこのように、我々の暮らす文化を色濃くにじませるものです。そして、その文化というのは教科書に書かれる他人事のような事柄では決してなく、我々の日常生活の息づかいや、体温のようなものを感じさせるものなのです。ですから私は言葉を研究することは単に言葉を研究することを超えて、人間そのものを研究することだと思うのです。私は学者などではなく、ただの予備校講師ですが、言葉がこのようなものであるからこそ、自分の一生を言葉を研究することに捧げてもいいな、と思うわけです。
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