以前、「中学受験をした理由」という記事で、娘が公立の小学校に通っていたときの経験を書いたのですが、

 

 

思った以上に反響があり、たくさんの方からDMをいただきました。

 

 

ありがとうございました!ちなみに、もう一度子育てをやり直す機会があっても、わたしは100%公立小を選びます。小さい頃にたくさんの経験をさせてもらえたことに感謝しかありません。

 

 

おうち英語をしていると、お子さんが英語ができることで周りから妬まれることもあると思います。

 

 

嫉妬に対して我が家がどう対処していたか、一応書いておきますね。

 

 

まず、わたしは嫉妬というのは無くならない、と思っています。

 

 

なので、嫉妬で嫌がらせしてくる相手からは出来る限り離れるように娘には伝えていました。

 

 

おいおい、小学校に入学したとき「友達100人できるかな?」って歌ってたジャーン、あれどこいった?ってなりそうですが、

 

 

娘には酷なようだけれど、「全員と仲良くなろうとしなくていい、仲良くなれないと思う子とは離れても良いんだよ。」と伝えていました。そう伝えるようになったのは小学校中学年くらいからかな。そろそろ伝えても良いかな?って感じがしたので。もっと小さい頃はいろんな子と仲良くできるように働きかけていましたよ。

 

 

「離れるっていうのは無視するのとは違うよ。朝会ったらおはようって挨拶する、友達が消しゴムを落としたら拾ってあげる、そんな風に相手が喜ぶことはする。でも、必要以上に一緒にいない、意地悪なことを言われたらそこから離れる、そういうことだよ。」

 

 

と話していました。こんな風に分かりやすいルールを作ってあげると良いと思います。

 

 

ネイティブの先生に英語で話しかけられたら英語で話して良い、

 

 

友達から英語の宿題を頼まれたら手伝ってあげても良い、

 

 

でも、必要以上に相手の嫉妬心を煽ることはしない、

 

 

例えば、「自分の英語はすごいんだ!」って気持ちで英語を披露したり、

 

 

相手が英語が理解できないのをわかっていて、わざと英語を話したり、

 

 

聞かれていもいないのに相手の英語の発音や英文の間違えを指摘したり、

 

 

それはダメだよって伝えていましたね。具体的に1つ1つ例を出して説明していました。

 

 

あとは、娘がわたしに話してくれたことには

 

 

注意深く耳を傾けるようにしていました。


 

ある日娘が「今日、こんなこと言われてびっくりしちゃった。」と言うので掘り下げて聞いてみると

 

 

「英語の発音が良すぎて気持ち悪いって言われた」と言うんですね。

 

 

「それは酷いね、お友達、意地悪だね。」と答えると

 

 

「やっぱり意地悪だよね?ママにそう言ってもらえてほっとした。そう感じる自分がいけないんじゃないかって思ってたから。」と話してくれたことがあって。

 

 

子供って、それをどういう感情で受け止めたら良いのか判断できないときにサラッと「こんなこと言われた。」と報告してくることがあるのですが、

 

 

わざわざ親に話すってことは、そこには何かしらの意味があるのだと思うから、

 

 

本当に酷いと思ったことに関しては、「それは酷い!怒って良い!」と話すようにしていました。もちろん、基本的には先生やお友達を悪く言うことはしないように、「そんなもんじゃない?」「あまり気にしなくて良いよ。」と伝えるようにしていました。

 

 

世の中にはいろいろな子がいるんだということを小学生のうちに知ることができたのは

 

 

本当にラッキーだったと思っています。

 

 

みんなにはみんなの事情があって、それぞれがいろんな思いの中で暮らしてる。

 

 

嫉妬するということはそれだけ頑張っている証拠だから、娘を妬ましく思う気持ちも良くわかる。

 

 

でも、嫉妬する心はその子自身の問題だから、それを全部こちらが受け止める必要はない。

 

 

なので、小学生時代はスルーする力がとても鍛えられましたね。

 

 

そして、こういう経験を小学生の頃にしていると、自分が自分らしくいられる環境ってどんなところだろうと本気で考えられるようになります。

 

 

小学生ってまだまだ子供ですけれど、それでも自我が芽生えてきて自分で自分の道を選択できる力も少しずつ付いてくる年齢です。

 

 

自分が自分らしくいられる環境ってどんなところだろう、

 

 

それは自分と同じような子が集まるところ、

 

 

自分が特別じゃなくて、「普通」でいられる場所、

 

 

じゃぁ、中学受験を頑張ろう、

 

 

自分で自分の選んだ環境を手に入れよう、

 

 

そんな話を娘とはよくしていましたね。

 

 

周りには、「私立に行ったら逆に能力が埋もれてしまうんじゃない?」「公立中へ行った方が常にダントツトップでいられて楽でしょう?」と言われたこともあるのですが、

 

 

本当にそうでしょうか。

 

 

わたしは、自分の能力を本当にわかってくれるのは、自分と同じような仲間だけだと思うんですね。

 

 

その中で本気で自分の力を発揮できたときに「すごい!」と言ってもらえることの方がどれだけ嬉しいか。

 

 

たとえそこで1番に慣れなくても、自分のことを理解してくれる仲間に認められることが何よりも子供の心を満たすのだと思います。

 

 

今の娘は帰国子女の仲間の中で、英語でプレゼンして、ディベートして、スピーチして、エッセイ書いて、もちろん自分よりもすごい子が山ほどいて、でもたまには自分が健闘することもあって、

 

 

そんな仲間と切磋琢磨する中で「お前、すごいじゃん!」て言われることの方が、ただ英語のテストで100点を取ることよりもずっと嬉しいんじゃないかなと思います。


 

そして中高の6年間、自分と同じような仲間と過ごすことで「あぁ、こんな心の休まる世界があったのか。こんな風に分かり合えて、ありのままの自分を出すことができて、自分を心から理解してくれる人がこの世の中にはいるんだ!」

 

 

ってことを知ることができた今、

 

 

「いつかこの仲間と離れる時がくる。じゃぁ、将来自分はどんな世界に身を置きたいのか。」

 

 

それを真剣に考える時期がきているように思います。

 

 

嫉妬されたりする時期って、親子共に相当辛いです。

 

 

わたしも自分たちがいけないのかな、なんか変なのかな、

 

 

そんな風に思う時もありました。

 

 

でも、今思うのはあの時がいろんなことを学べるチャンスだったってことです。

 

 

あの時期があったから、今がある。

 

 

そう思うと全ては繋がっていて、結局人生はうまくいくように出来ている、なんて感じますね。