私の微妙英語勉強法
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初めての海外(1)

私はあまり海外旅行に興味がなかったので、それまで海外に行ったことがありませんでした。それがいきなり、ヨーロッパの日本人がまったく居ない大学ににいって、ヨーロッパやアメリカからの参加者と4週間共同生活をしつつ、講義を受けて、自分のプロジェクトを行わなければならなくなってしまいました。

ルームメイトはドイツ人、オランダ人、イスラエル人でした。挨拶をして一緒にすむことにしたのですが、まず、彼らの英語が分からない。今にして思うとすごくなまりの強い英語で仕方なかったのかもしれませんが、当時の自分には彼らが英語に関して完璧であり、いったい基本的な聞き取りさえできない自分はどうなっているのかと、へこみました。初日からこの調子だったので、これからの4週間がどうなるかと、かなりへこみました。

修士課程(初めての海外)

なんとか学部を卒業して修士課程に入っても、特に英語に関する意識はは変わりませんでした。ただ、漠然たる危機感があったのですが、どうしたらいいか分からなかったというのが正直なところです。それほど危機感があったわけでもないですし。ただ、研究者となるのなら、どうにかしないといけないなという意識はあったのですが、どうしようもなかったという感じだったです。

そんなある日、一ヶ月ほとヨーロッパのある国に行くことになりました。私の研究分野のサマースクールがあり、試しに応募したら日本からの生徒に選ばれてしまったのです。それまで海外にいったことがなかったので、いきなり一ヶ月日本人がまったくいない環境でヨーロッパとアメリカの人々と暮らしながら、勉強、研究することになったのです。この経験が僕の人生を変えてしまいました。狂わしたともいうかもしれない。。。

ふー、ようやく長いまえふりが終わりました。ここからが本題です。

学部時代

努力のかいがあり、第一志望の京大に入ることができました。なぜ、東大を志望しなかったというのにはいろいろあるのですが、いろいろ若かったということにしておきましょう。でも、京大にいって本当に良かったと思っています。運命のいたずらで院は東大にいくことになり、それはそれでいい経験だったのですが、もう一度同じ選択をするのなら、また学部は京大に行きたいものです。院はアメリカの大学にいっておけば良かったと本当に後悔しています。

さて、学部時代の英語勉強ですが、まったくしませんでした。英語嫌いですから。ESLなんかに入る人の気持ちがしれませんでした。英会話教室に行く金もなく、まったく忘れていました。おそらく受験以来英語力が一番低下した学部3回生の時にTOEICをうけたら600点とすこしでした。妥当な点数ですね。

卒論のときにちょっとだけ英語の文献を読まないといけなくなり、読んだのですが、そんなことで英語が身につくはずがないですよね。はははー。

浪人時代

しかし、勉強法に気づいた時はすでに遅く(計画通り?)浪人してしまいました。しかし、一気に勉強法に気づいた私は、合格体験記を読み漁り、主要な参考書、問題集を買い、浪人時代に普通のテストで偏差値が70を下回ることはほとんどなくなりました。
あれほど苦手だった英語も足を引っ張らない程度にはなりました。しかし、この時に勉強法は受験英語に特化していて、受験には効率的だったのですが、実用英語にはほとんど効果がない方法でした。しかも、この成功体験があったため、勉強法をもう一度変えるのにえらく苦労してしまったのです。成功体験を次の成功のための努力の源となりうるが、時に努力の方法を変える支障になるということでしょう。東大生、京大生によくある話です。
たとえば、発音ですが、まったく実際の音を聞きませんでした。アクセント問題を発音記号と結びつけることで解いていました。単語も当時メジャーだった単語帳に載ってない単語は他の受験生も分からないだろうと、あえておぼえませんでした。

高校時代(3)

この時、私は気づきました。勉強というものは世の中で皆が良いという教材を使って、皆が良いという方法でやればいいだけではないかと。これは確かに受験には当てはまると思います。しかし、ながーい人生ではそれほど応用が利かないということには、この当時はきづいていませんでした。

細くしておきますが英分解釈教室は当時東大京大合格者はほとんどがこなしていた名著であるが、難解でいきなり手始めに始める本ではなかったです。無知とは恐ろしいもので、我ながらそんな本をよく最初の一冊として選んで終わらせることが出来たものです。

高校時代(2)

そんな情けない点数をとりながらも、高校3年生になり受験が視野に入ってきました。トップレベルの伝統校というのはどこでもあまり先生が受験指導や対策をしないのです。学生が自主的にやるものだから。で、いい加減私もこのままではいけないのではないかと思い始めました。そこで夏休み前(すでにスタートが遅いのだが)本屋さんにいって適当に英語の本を買ってやってみますが、続きません。これではいかんと思い、受験経験記を読み漁り、当時の受験英語のバイブルを買って夏休み中に取り掛かるのです。それが「英文解釈教室」でした。これを頭から全部やりました。今、思うとなんでやり通すことができたのか良く分からないのですが、なんとか全部ごまかすことなくやり通りました。すると、目に見えて英語力が上がったのです。といっても赤点から平均点程度ですが、初めて自分で勉強を計画して達成し、成績が上がったのです。

高校時代(1)

高校に進学しても同じような生活を繰り返していました。そんなある日、英語の先生がテストの返却をして学年の平均点、最高点、最低点を書き出した時、びっくりしました。自分の点数が書いてあるんですもの。いや、学年トップかー、俺もがんばったもんだ、ということは当然なく学年最低点でした。取った本人もビックリ。ほんと、情けないですね。

中学時代(2)

この教科書は一年間に1000語の新しい単語がでてくるという、膨大な量があり、日本語がまったくない。だから、いまだに英文法が日本語でよく分かりません。リーダーもかなりの量があり、えらい目にあいました。付属のテープもえらい量がありました。まったく聞きませんでしたけど。今、つくづくしっかり聞いておけば良かったと思う。。。。

中学時代(続き1)

そんな英語の点数をみた父は危機感を持ったのか、私の英語の勉強を見始め、見事期末テストでは90点台に復活し、英語の先生じきじきに誉められます。めでたし、めでたし、といかないのが根が怠け者悪いところで、反抗期と自立心のために両親からの干渉をすべて排除していっさい勉強に干渉させたことから、一気に次の中間テストで赤点にもどり、高校3年まで赤点が標準という状況が続きました。勉強しなかったから当たり前ですね。でも、いまでも両親から精神的に独立しようとあがいたのは良かったと思います。僕より才能あふれる元神童のクラスメートが親からのプレッシャーでつぶれていくのを多くみることになりましたから。。。

中学時代(英語の授業の始まり)

そんなとほほな面接での失態は見逃してもらったのか、なんとかその中学校にいれてもらい、英語の授業が始まりました。悪夢の始まりです。今にして思うと、英語というのは他の教科と勉強法が違うと思うのです。ですが、小学生時代になまじ神童扱いをされていたために、小学生時代の勉強方の延長でなんとかなると勘違いしてしまった。そう、一夜漬けですべてごまかせると。ところが、その学校の生徒はみんな出身小学校で神童だった訳です。ですから、一夜漬けでごまかすにはまわりにレベルが高すぎた。しかも、その学校は英語教育にとくに力を入れていて、要求が高い。姉妹校の神父さんが作った教科書にProgress in Englishというのがありまして、それをこなしていくのですが、その質量とも公立校で使われている教科書とはぜんぜん違います。しかも、週6回の授業。忠一の時、半分の授業は外国人が教えてました。私立校にいって同じ教科書を使っている友達に聞いても、明らかに進度が速い。初めての中間テストをいきなり赤点。目の前がまっくらになりました。まあ、テストの前日しか勉強していないのですから当たり前です。